週刊エコノミスト Online サンデー毎日
46年ぶり紅白出場・伊藤蘭と朝ドラ『ブギウギ』絶好調・趣里 芸能は時代を熱くする 中森明夫
今年の大晦日、伊藤蘭が46年ぶりに紅白の舞台に立つ。『ブギウギ』で日本中を熱くしている娘の趣里も共演するだろう。アイドルを論じて40年、新著『推す力』を刊行した中森明夫氏が、暗い時代に希望をもたらす、芸能の不思議な力を語り尽くす――。
コロナ明けの痛んだ時代に『ブギウギ』
今年のNHK紅白歌合戦、初出場歌手に……伊藤蘭! の名前があって驚いた。68歳。もちろん、キャンディーズのランちゃんである。ソロとしては初出場だが、紅白の舞台は46年ぶりだという。46年前……1977年だ。その年、彼女が発した言葉――。「普通の女の子に戻りたい」
これは、くっきりと歴史に刻み込まれている。人気絶頂だったキャンディーズが、7月17日の日比谷野外音楽堂のステージで、突如、解散宣言を行ったのだ。所属事務所には無断で、彼女ら自身の意志だったという。大騒ぎになった。
キャンディーズは、73年にデビューした。今年で満50年だ。スクールメイツのメンバーだった、ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤村美樹)の仲良し三人組である。デビュー曲「あなたに夢中」以降、もう一つパッとしなかったが、75年に5曲目の「年下の男の子」をリリースすると、大ヒット! 一躍、人気グループになった。
センターポジションがスーちゃんから、この曲でランちゃんに変わった。年長のランが中心となる同曲で「お姉さん」路線へ移行したとも言える。当時、15歳の私も夢中になった。そんなキャンディーズ・ファンの〝年下の男の子〟の一人に慶應義塾高校生・石破茂少年もいた。そう、未来の総理候補(?)である。
71年、「17才」でデビューした南沙織が日本のアイドル第1号とも呼ばれた。今、70年代半ばのキャンディーズの映像を見て、気づく。衣裳や振り付け、キャラ設定、メンバーカラー、フォーメーションと呼ばれる立ち位置の変化――等々、アイドルをかたちづくるものが、既にこの時点で完成されているのだ。AKB48や乃木坂46がキャンディーズの曲を唄い踊ってもなんらおかしくはない。
実際、伊藤蘭と乃木坂46のメンバーが2019年の『日本レコード大賞』のステージで「年下の男の子」をコラボして、大いに話題を呼んだ。
キャンディーズはブレークしたが、チャート1位を獲得することは叶(かな)わない。解散コンサートまでの残り9カ月間、ファンたちは連帯した。男子大学生を中心とするファン組織、全国キャンディーズ連盟(全キャン連)が存在したのだ。結果、最後の楽曲「微笑がえし」で遂にチャートのトップに輝く。
キャンディーズは伝説になった
78年4月4日、後楽園球場に5万5千人の観客を集め、ファイナルコンサートが開かれた。最後に唄われたのは、伊藤蘭が作詞した「つばさ」である。「私たちは、幸せでした!!」と3人は叫んだ。4年半の活動を終えて、解散。キャンディーズは伝説になった。
その後、二度と再結成することはない。プライベートでの交流は続いたという。しかし、3人が揃(そろ)っておおやけの場に姿を見せるのは、解散から33年後の2011年4月25日のことだ。いや「3人が揃って」というのは正確ではないかもしれない。その1人は、棺(ひつぎ)の中で眠っていた。享年55。田中好子の葬儀である。伊藤蘭と、久々に藤村美樹も姿を見せた。葬儀では、故人の最後の肉声テープが流されている。
「蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした」
出棺時、クラクションが鳴らされ、霊柩車(れいきゅうしゃ)が出発すると、突如、音楽が鳴り渡る。
「あなたに夢中」――そう、キャンディーズのデビュー曲だ。見送る群衆から一斉に「スーちゃーん!」とコールが上がり、田中好子のメンバーカラーの青い紙テープが何本も投げられた。33年ぶりに集ったファンたちによる、キャンディーズの真のファイナルライブだった。
伊藤蘭は、キャンディーズ解散後、芸能界を引退する。2年後、映画『ヒポクラテスたち』で女優として復帰した。「普通の女の子に戻りたかったんじゃないのか?」と物議をかもしたものだ。
同映画の監督は、新鋭の大森一樹である。大森監督にインタビューしたことがある。85年、私が25歳の時だ。『ヒポクラテスたち』が大好きです、と伝えた。京都に生きる医学生たちの青春群像劇で、医大卒の大森の自伝色が濃い作品である。映画のエンディングで登場人物たちのその後がテロップされた。そうして、ラストで黒バックに伊藤蘭の写真が映り、彼女が自死を遂げたことが知らされる。これはショックだった。観客たちの賛否両論を呼んだものだ。
私は大森監督に問うた。
「あのラストは、普通の女の子としてのランちゃんの死であり、そうして女優・伊藤蘭の誕生を告げたものじゃないですか?」
大森は「へえ」ともらし、微笑(ほほえ)みながら私の問いには答えなかった。インタビューが終わり、去り際、振り返った彼は「さっきの君の質問ね、ほら、ランちゃんの……いつか、ちゃんと答えたいから、また話を訊(き)きにきてよ」と言って、笑った。遂(つい)にその機会は訪れない。2022年11月12日、大森一樹死去。享年70。
1989年1月、伊藤蘭は水谷豊と結婚した。今でこそ水谷はドラマ『相棒』の刑事・右京さんだが、70年代キッズの私たちにとっては違う。『傷だらけの天使』でショーケン(萩原健一)に「アニキ~」と呼びかけるリーゼントのアキラだ。70年代に10代の少年だった自分に教えてあげたい。「〝傷天〟のアキラは、キャンディーズのランちゃんと結婚するんだよ」、と。どんなに驚くことだろう。
趣里は爆発的なパワーを発揮した
そうして結婚の翌年、誕生した一人娘が、今、日本中の朝のテレビ視聴者らを魅了している。そう、NHK朝ドラ『ブギウギ』の主役……趣里だ。
『ブキウギ』は、戦後〝ブギの女王〟と呼ばれた笠置シヅ子をモデルとする福来スズ子の物語である。歌あり、ダンスありの心楽しい音楽劇。主演の趣里が溌刺(はつらつ)とした演技を見せている。本名は、水谷趣里。水谷の姓を封印したのは、彼女が親の七光りを拒否したからだろう。この役もオーディションでつかんだ。
大阪の銭湯の娘として育ったスズ子は、歌劇団でキャリアを積んで、上京。ソロで初舞台に立つ第30回は、序盤のクライマックスである。フルオーケストラをバックに唄い踊るのは、「ラッパと娘」。
〽吹けトラムペット 調子を上げて デジデジドダー デジドダー バドダジデドダー……
笠置シヅ子の唄う原曲を初めて聴いた時は、ぶっ飛んだ。昭和14年の歌。どうして、こんな圧倒的に「スイング」したジャズソングの2年後に、アメリカと戦争ができるのか?
作詞作曲は服部良一。モデルとした羽鳥善一役の草彅剛がノリノリで指揮棒を振る。ステージ狭しと踊り、走り、唄い、脚を高く上げ、シャウトする……さながら笠置シヅ子の魂が乗り移ったかのような趣里は、爆発的なパワーを発揮した。すごい、すごい! SNSでは大絶賛の嵐。日本中の朝の〝観客〟たちの度肝を抜いたのだ。 私はX(旧ツイッター)の履歴を検索する。
〈吉祥寺バウス……ポエトリー・リーディング&映画館の通路で乱舞の趣里、すごかった! 伝説の夜。これ観れた人、ラッキーだな~〉。2013年8月2日の日付があった。ちょうど10年前、インディーズ映画『おとぎ話みたい』に主演する趣里を見て、魅せられた。同映画のイベントに駆けつけ、通路で乱舞する彼女に圧倒される(通路際の席の私は、蹴っ飛ばされそうになった!?)。
すごい! この人はいつか絶対に大ブレークする!! と確信した。その「いつか」が、まさか10年後の今になろうとは……。
先頃、私は新著『推す力』(集英社新書)を上梓(じょうし)した。副題は〈人生をかけたアイドル論〉。アイドル評論家として集大成の一冊である。人生初の出版記念パーティーを開いた。
スピーチしてくれたのが、渡辺ミキ氏である。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長……そう、ナベプロの会長だ。
「中森さんは、昔、私のことを〝星を継ぐ娘〟と書いてくれました」
それこそ笠置シヅ子の歌声が流れる戦後に、渡辺晋・美佐夫妻――彼女の両親が我が国の芸能界の基盤を作ったのだ。そうしてナベプロが70年代に送り出したアイドルこそが、キャンディーズなのである。
渡辺ミキ会長は私と同い歳だが、とても若々しく、今どきの女子のようだ。気さくな笑顔に吸い寄せられるように周囲に人の輪ができた。つい私は敬称抜きで呼んでしまう。「ねえ、ミキちゃん、なんで僕が〝星を継ぐ娘〟と書いたか、話してあげてよ」
彼女の父、芸能界の総帥・渡辺晋は87年、59歳で亡くなった。
「亡くなる時に、父の耳元で歌ったんですよ」
それは『シャボン玉ホリデー』のエンディングでザ・ピーナッツが唄っていたナンバー「スターダスト」だった。
朝ドラの話になる。趣里はミキ会長の妹・万由美さんの事務所(トップコート)に所属している。『ブギウギ』での「ラッパと娘」のあのパフォーマンス……。
「すごかった! 顔も笠置シヅ子に似てるよね」と言うと、思わず、ブギのリズムで体を揺らしてみせた。その様は、楽しそうな音楽少女そのもののよう。
「万由美さんはNHKの『プロフェッショナル』に出たんでしょ。もっとテレビで顔出しすればいいじゃない、ミキちゃんも、ほら、そんなにかわいいんだからさ」と私が言うと、アハハと声を出して、ナベプロ会長は笑った。
今こそ甦れ、笠置シヅ子の魂よ
今年の紅白歌合戦が楽しみである。伊藤蘭が46年ぶりに紅白のステージに立つ。そうして彼女の娘・趣里もまた登壇するだろう。朝ドラ『ブギウギ』のコーナーで福来スズ子として唄い、踊ってくれるはずだ。それは単に母娘共演といった下世話な興味のみではない。
今から50年前、1973年。ドルショックに続くオイルショックが勃発、高度経済成長は完全に頓挫した。その年に、キャンディーズがデビューしたのだ。70年代半ばの暗い不況期に3人の娘たちは明るく唄い続けた。
それは太平洋戦争の敗戦後、焼け跡に高らかなブギのリズムで踊り出し、庶民を元気づけた笠置シヅ子の歌声と重なり合う。
そうして太平洋戦争の3年8カ月に匹敵する、新型コロナ禍の3年4カ月が遂に今春に明けた。その年の大晦日(おおみそか)、笠置シヅ子の魂が甦(よみがえ)って福来スズ子――そう、趣里がブギウギを唄い、踊り出すだろう。
今年の紅白にはジャニーズのアイドルは出演しない。しかし、草彅剛がSMAP解散以来、8年ぶりにステージに立つはずだ。服部良一の化身として指揮棒を振る。そうだ、そこは昭和の大晦日のエンディングで「蛍の光」のタクトを振る服部良一が立っていたステージなのだ!
日本はダメになった。未来は暗い。しかし、いつでもその暗闇から、アイドルたちが歌声を上げ、踊り出すだろう。やがて冬の時代が終わり、春一番が吹く。キャンディーズのランちゃんが唄い出す。
そのメロディーが、ブギウギに変幻する。そうだ、今こそ甦れ、笠置シヅ子の魂よ。
〽トラムペット鳴らして スイングだして
さあ、唄い、踊れ、趣里!
〽デジデジドダー デジドダー バドダジデドダー……
なかもり・あきお
1960年、三重県生まれ。評論家。作家。アイドルやポップカルチャー論、時代批評を手がける。著書に、『東京トンガリキッズ』『アナーキー・イン・ザ・JP』『午前32時の能年玲奈』『青い秋』『TRY48』など多数。最新作は、自身のアイドル評論人生の集大成たる『推す力』