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渾身ルポ 3400万円の現金を残して孤独死した女性 あなたは一体誰ですか? 警察も解明できなった「名もなき人」を記者が追った

『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)
『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)

 2020年春。兵庫県尼崎市のアパートで一人の女性が亡くなった。3400万円余の多額の現金を残しており、警察や探偵が調査したものの解明できなかった。〝ありふれた〟孤独死として静かに葬られようとしたこの事件を記者が追った―。

(「サンデー毎日2022年12月11日号」掲載)

 昨年春、何かネタになりそうな話はないかとネットを徘徊(はいかい)していた私は、小さな官報の記事に目を奪われた。少し長いがそのまま引用する。

「本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133㎝、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円。

 上記の者は、令和2年4月26日午前9時4分、尼崎市長洲東通×丁目×番×号錦江荘2階玄関先にて絶命した状態で発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡。遺体は身元不明のため、尼崎市立弥生ケ丘斎場で火葬に付し、遺骨は同斎場にて保管している(後略)」

 要約すると、高齢女性がアパートで孤独死したという、一見ありふれた〝行旅死亡人(こうりょしぼうにん)〟の存在を知らせる官報の記事である。しかし、ほかと際立って違う特徴があるのに気づくだろうか?

 そう。残された現金の額がずばぬけて多いのである。

―これは何かにおう。

 半信半疑で自治体に問い合わせたのがすべての始まりだった……。

「行旅死亡人」とは何か

 この記事の女性のように病気や行き倒れ、自殺などで亡くなって、身元が判明しないために引き取り人が不明の死者のことを行旅死亡人と呼ぶ。日本では、年間およそ600~700人ほどが行旅死亡人として発表されている。

 明治時代に成立した「行旅病人及行旅死亡人取扱法」では、窮民(きゅうみん)や巡礼者、流浪人などが行き倒れて亡くなった際に、誰が責任をもって対応すべきかを定めている。

 同法では、死者が見つかった現場が属する自治体が火葬し、死者や死亡時の状況を官報に掲載して引き取り人を探すことになっている。

 そのため、官報の行旅死亡人記事は多くの場合、「心当たりの方は、当市〇〇課までお申し出ください」と縁者に呼びかける文言で締められている。

 とはいえ、定期購読している役所の職員などを除いて日常的に官報に目を通す人などほとんどおらず、「心当たりの方」が親切にも申し出てくる幸運などめったにない。

 行旅死亡人として官報に死亡記事が載った時点で、事実上、その死者は半永久的に身元不明のまま。行旅死亡人として葬られた彼らは、生まれたときに授けられた名前で呼ばれることも、思い出されることもなく無縁仏となっていく。

「この事件はかなり面白いですよ」

 さて、件(くだん)の記事に戻ろう。

 記事の女性について自治体に問い合わせると、家庭裁判所から残された財産を管理するよう相続財産管理人に選任された弁護士に取材することができた。その弁護士のひと言に再び私は度肝を抜かれることになる。

「弁護士を22年やっていますが、この事件はかなり面白いですよ」

 いったい、どういうことだろう?

 弁護士によると、部屋には金庫があり、中に現金が入っていたのだという。女性は「田中千津子(たなかちづこ)」と名乗り、1982年から40年近く同じ部屋に住み続けていたものの、他の住人や大家と交流はなかったうえ、親戚の住所が記した物など身元に関する手がかりは残されておらず、警察が調べても身元を特定できなかった。なお、死因はくも膜下出血で、事件性はなかった。

 さらに、記事で「右手指全て欠損」となっていたのは、1994年4月、働いていた市内の製缶工場で労災事故を起こしていたせいだったと、部屋に残された労災書類から判明した。しかし奇妙なことに、その3年後、自ら労災年金を打ち切っていたのだという。

 金庫に残された大金について、「このまま親類縁者など相続人が見つからなければ、財産は国庫に帰属してしまう」と心配した弁護士が探偵を雇って周辺を聞き込みしたものの、女性を知る人は誰ひとりとして現れなかった。もちろん、官報に掲載したところで「心当たりの方」が現れることもなかった。

 さて、残された大金の謎も気がかりだったが、私が惹(ひ)かれたのは、彼女の徹底した孤独だった。部屋から見つかった1980~90年代初頭の写真には、恋人か夫とみられる男性が写っており、一時期は親密な人との生活があったことは間違いなさそうだったが、約40年、尼崎市の下町に住み続けて、誰も知る人がいないという状況は、不思議というほかない。

「田中千津子」さんとされるこの女性はいったい「誰」だったのか?

 なぜか彼女の「孤独」が気にかかって仕方ない。乗りかかった船とばかりに、同僚記者と二人でこの事件を追いかけることになった。

珍しい姓の印鑑が解決の糸口に

「田中千津子」さん
「田中千津子」さん

 書類や写真類を除くと、遺品の中で唯一、手がかりになりそうだったのが印鑑(写真5)だった。印鑑は三つ残されており、うち一つが「田中」で、残り二つが「沖宗(おきむね)」姓だ。インターネットで調べると、日本に100人ほどしかいない姓で、わずかな「沖宗」さんたちの多くは広島に住んでいるという。

 もしかしたら、行旅死亡人の彼女は旧姓、沖宗なのかもしれない。ひとまずそう仮定して、各地の沖宗さんたちに取材していくと、段々と家系図ができあがっていった。

 最終的に、系図上の空白は広島市内に絞り込まれていったため、私たちは6月、広島市を訪れた。駄目で元々の調査行だった。

 レンタカーを借りて、ひたすら各所の沖宗さんを訪ねて回ることほぼ丸一日。タイムリミットぎりぎりの夕刻に会えたある沖宗姓の市議会議員(当時)の男性が「そういえば、亡くなった母はきょうだいのことを話したがらなかった」と気になる言葉を口にした。とはいえ、女性の身元判明につながる取材の成果はない。半ば落胆しつつ大阪へ帰ると、翌日、その男性から電話があった。

「私の叔母でした」

 役所に行って戸籍を見てきたところ、彼の母は四姉妹で、母は長女、行旅死亡人の女性は次女に当たるのだという。戸籍の画像を送ってもらうと、やはり間違いなかった。なお、女性に結婚歴がなかったこともわかった。

「名もなき死者」が本当の名前を取り戻す

 こうして、「(自称)田中千津子」さんは広島市出身の「沖宗千津子」さんだと、半ば判明したのである。

 なぜ「半ば」か。それは、ここで確実に判明したと言えるのは、あくまでも彼の叔母に、沖宗千津子さんという長年行方不明だった女性がいたという事実だけだからだ。その女性と、尼崎市のアパートから遺体で見つかった女性が同一人物であるかどうかは、DNA鑑定を経なければわからない。身元の特定とは、想像していたよりはるかに複雑な大仕事なのだった。

 それから兵庫県警が男性とその親族からDNAを採取し、科学捜査研究所(科捜研)で鑑定した結果が数カ月後に出て、ようやく遺体が沖宗千津子さんに間違いないと証明された。相続財産管理人の弁護士は、特定された親族を沖宗千津子さんの相続人とする手続きを進めて、残された財産が国庫に編入されてしまうという懸念された事態も防ぐことができた。

 そうして、無縁仏になりかけていた沖宗千津子さんの遺骨は、広島市にある男性の菩提寺に納められることになった。

 私は今夏、取材の終わりとして、同僚と再び広島へと足を運んだ。菩提寺(ぼだいじ)の納骨堂へ行き、「沖宗」の壇の前で手を合わせる。女性はもう、「名もなき死者」ではなかった。

「孤独死は他人事」で片付けられるのか?

 ニッセイ基礎研究所の推計によると、孤独死は全国で年間、約3万人に上る。いたるところで人は孤独のうちに亡くなっている。実は、それは私たちの未来の姿でもあるかもしれない。孤独死の数はこのまま、増えることはあっても減ることはないだろうというのが大方の見方だ。また、高齢者の孤立は、コミュニケーションを避けがちになった新型コロナウイルス禍でさらに拍車がかかったとも言われている。

 孤独死のうち、身寄りがなく、死後に時間が経過して遺体を本人と断定できない場合などでは、身元不明の行旅死亡人となってしまう可能性もある。そうなると文字通りの名もなき死者として、半永久的に無縁仏として葬られてしまう。

 そうした事態を防ぐためにも、自治体などは遺書やエンディングノートを書き残しておく「終活」を奨励している。自身の本籍地はどこか、親族や知人はどこにいるのか、葬儀はどうしたいのか、遺産はどうしてほしいのか。そういった情報や希望を生前のうちに書き記しておくことで、いざというときに残された人や周囲の負担を減らし、自分にとっても不本意な死後を迎えないよう準備することが勧められている。

 もちろん、日頃から周囲とのコミュニケーションを大事にしておくということも肝要であろう。一人暮らしや身寄りのない高齢者同士のつながりを作る取り組みをしている熊本市のNPO法人「でんでん虫の会」事務局長の永田貴子(ながたたかこ)さん(52)は、「困り事や体調など、身の回りのちょっとした変化に〝気づき〟を得てくれる人が、少しでも身近にいることが重要だ」と話す。

 でんでん虫の会は2010年、ある男性が孤独死し、約2カ月の間、発見されなかった出来事をきっかけに発足した。一人で抱えずに周囲に「助けて」と言えるような、日頃の関係作りこそが命を守ることにつながるとして、「おしゃべり会」という集いを主催している。

 会では毎週水曜日、20~30人ほどの老若男女が集まっては、テーマを決めておしゃべりしたり、絵や編み物など趣味を通じた交流を図ったりする。互いに顔の見えるつながりを作ることが狙いだ。2016年の熊本地震では、会員同士が避難所で自主的に助け合う事態が起きたといい、「日頃のコミュニケーションが生きた」と永田さんは言う。

 でんでん虫の会は、ほかにも生活困窮者に対する支援や買い物の付き添いなどの高齢者への生活支援、依存症などさまざまな悩みを抱えた人々に対する相談支援も行っている。「従来、家族が担ってきたような機能を、社会の中で作っていくことが必要だ」と永田さんは指摘している。

孤立が引き起こした放火事件

沖宗千津子さんが生まれた広島県呉市川尻町小用の風景
沖宗千津子さんが生まれた広島県呉市川尻町小用の風景

 行旅死亡人をめぐる取材が佳境に入った昨年12月、大阪市で北新地ビル放火事件が起きた。クリニック院長や患者ら26人が亡くなり、谷本盛雄(たにもともりお)容疑者自身も死亡した。

 私は取材班の一員として容疑者の足取りを追ったが、見えてきたのは谷本容疑者の孤独な晩年だった。妻との離婚後の2011年に家庭内で殺人未遂事件を引き起こし、有罪判決を受けて服役。出所後は前科のため定職に就けず、売れない不動産を財産扱いされて生活保護も受けられなかった。そのため各種メディアでは、事件は孤立した犯罪者が自暴自棄になった末に引き起こした「拡大自殺」だと解説された。犯行時、谷本容疑者の預金残高はゼロだった。

 社会的な孤立を防ぎ、福祉制度や人と人とのつながりによって包摂(ほうせつ)すること。それは、こうした凶悪事件を防ぐためにも必須なのは間違いないだろう。

 しかし一方、孤独な生活や、その先にあるであろう孤独死に対し、一概に、不幸なものであるとのまなざしを向けることはできない。沖宗千津子さんという、晩年を孤独に生き、孤独に亡くなった女性を半年近く追いつづけて、私はそう思うようにもなっていた。

 死の刹那(せつな)、彼女が何を考えていたかは誰にもわからない。しかし遺品のアルバムには、恋人とおぼしき男性と自身の写真が丁寧に綴(と)じられていたことから、きっと幸な思い出を胸に抱き続けていたのだろう。たとえそれが生涯のうちのわずかな期間だったとしても、かけがえのない時間だったのではないだろうか。

 彼女のように極度の孤独を生きたケースは珍しいかもしれない。だがそもそも人間とは、孤独に生まれて孤独に死ぬ生き物だろう。多くの罪のない人たちを道連れに死んだ男とて、自身の死は誰とも共有できないものであり、死が孕(はら)む絶対的な孤独から逃れるすべはなかった。私たちは、その実相から目を背けて生きることはできない。あらゆる死は孤独死である。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」(空海)。

(共同通信大阪社会部 武田惇志)

たけだ・あつし

 1990年生まれ、名古屋市出身。京都大大学院人間・環境学研究科修了。2015年、共同通信社に入社。横浜支局、徳島支局を経て18年より大阪社会部

 毎日新聞出版では「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション『ある行旅死亡人の物語』(共同通信大阪社会部・武田惇志、伊藤亜衣)を発売しています。

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