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乳人へのバッシング 上皇の生まれたころ 社会学的皇室ウォッチング! /97 成城大教授・森暢平

皇太子殿下誕生 国民の奉祝(1933年12月)
皇太子殿下誕生 国民の奉祝(1933年12月)

 上皇さまは12月23日で90歳。記録が確認できる歴代天皇では最長寿である。皇太子(明仁親王)として生まれた1933(昭和8)年当時、母乳を与える乳人(めのと)は、一般国民から選ばれた。乳人は本人にとって名誉ではあったが、選ばれた女性への批判も激しかった。彼女たちはなぜバッシングされたのだろうか。

 昭和天皇の第5子として生まれる明仁皇太子の乳人が、宮内省から正式発表されたのは誕生12日前の12月11日。茨城県太田町(現常陸太田市)の進藤はなさん(23)、埼玉県幸手町(現幸手市)の野口善子さん(21)が選ばれた。今回は、進藤はなさんに注目してみる。乳人は、母乳が出ることが第一条件で、選ばれるより少し前に子どもを産んでいることが必須である。はなさんもこの8月に第3子(隆子ちゃん)を産んだばかりだった。

 はなさんは1910年、兵庫県安師(あなし)村(現姫路市)に生まれ、村の高等小学校、公民学校(女子技芸塾)を卒業し、17歳だった27年に同じ村出身の進藤俊男さんと結婚した。俊男さんは、姫路師範学校卒業後、一年志願兵として姫路歩兵連隊に勤務。この間、勉強を続け、広島高等師範学校を経て、茨城県立太田中、県女子師範学校で物理を教えていた。

 いったい、はなさんはどのようにして乳人になったのだろうか。この年、宮内省は、東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨の関東8府県に乳人の選定を依頼した。各府県で1人か2人が推薦され、宮内省で身体検査や乳質検査が行われ、最終的に2人が選ばれる仕組みであった。茨城県の資料は残っていないが、東京都公文書館に資料が残る。それによれば、東京府は33年8月30日、管内区市町村長に以下の条件を満たす女性を探すように依頼した。

◯8月上旬から11月下旬までの間に出産する者

◯20歳から35歳まで

◯初産でも経産でも構わないが、その都度、母子ともに健康であること

◯身体精神ともに健康で品行方正

◯らい病(ママ)、精神病、結核など

 悪疾の遺伝的系統がないこと

◯身分、職業は問わないが、それが「賤(いや)しからざる者」

◯家族が健康で、家庭の風紀が正しい者

◯近親に前科者、不穏な思想を有する者、不品行等で世の指弾を受ける者がいないこと

3代前まで遡り調査

 乳人本人の父系、母系双方の3代前の曽祖父母、2代前の祖父母はその兄弟姉妹まで―遺伝病がないかについて厳重にチェックされた。重要だったのは、列記されたとおり、ハンセン病、精神病、結核の三つである。

 茨城県の場合、それぞれの警察署が管内で出産する女性を探し、身元や家柄などを調査した。地方紙『いはらき』(33年11月21日)によれば、各警察署から推薦された10人の家庭について、「家系、其(その)他疾病、精神系統に就き、厳密なる調査を行」い、はなさんを選定。太田署特別高等警察の和田部長が郷里の兵庫県まで出張して県内候補に決定した。

 はなさんは12月1日、他府県からの候補者とともに青山御所で身体検査を受け、乳人のひとりに選ばれた。12月20日に上京した様子が右㌻のもので、乳児の隆子ちゃん、はなさんの身の回りの世話をする親族の女性が写り込んでいる。自分の赤ちゃんも宮中に連れて行き、その授乳をしながら明仁皇太子にも乳やりをしていたのである。

 昼は主に、良子(ながこ)皇后(香淳皇后)が授乳するから、乳人の出番は夕刻から朝方までであった。2人交代ではあるが、皇嗣への乳やりは大変なプレッシャーだったに違いない。

 そのはなさんに大きな問題が起きたのは、乳人業務が開始されて約2カ月後、兵庫県の軍医が、「血統系に忌むべき遺伝症あり」などと言い出した。姫路に本拠がある第十師団の副官が上京して、林銑十郎(せんじゅうろう)陸相に事情を具申するという行動に出たのだ。

 内大臣だった牧野伸顕は「本件に付ては之迄(これまで)も繰返へされたる事なるが、地方的感情、嫉妬等の動機に起因したる疑あり、目下極力取調中」と記している(『牧野伸顕日記』34年2月13日条)。牧野は「こうしたことは繰り返し起こっている」と述べているが、どういうことだろうか。

 27年、昭和天皇の第2子(祐子(さちこ)内親王、6カ月で夭逝(ようせい))が生まれたとき、2人の乳人のうち山梨県出身の女性の夫の親族が傷害罪で有罪判決を受けていたことが分かり、この女性は上京直後に辞任した。

公金横領、自殺、病気…

 29年、昭和天皇の第3子(和子内親王)のときは、東京府の女性の兵庫県の実家について問題となった。彼女の尊属の精神疾患がやり玉にあがったのである。さらに、神奈川県の乳人の高知県の実家についても、宿毛(すくも)町(現宿毛市)の町長だった祖父が在職中に自殺していたことが問題となった。政治家に選挙費を援助するため、公金横領などの疑いがかかっていたのである。問題は中央政界にも波及し、政友会は有志代議士会を開いた。宮内省は、血統よりも本人の体質を本位にしたという建前を強調し、両乳人は更迭を免れた。

 31年、昭和天皇の第4子(厚子内親王)のときも、東京府から選ばれた軍人の妻について問題が起きた。滋賀県の実家を批判する投書が宮内省に届いたのだ。親族に、賭博にかかわった者と、度量衡法で有罪になった者がいた。最終的には「常習的ではない」などの理由で不問とされた。

 乳人は、地方の名望家の娘が選ばれることが多い。こうした女性やその出身家への嫉妬が、バッシングの第一の背景にある。さらに、デモクラシーに容認的な姿勢に基づき進歩的な皇室像を演出してきた宮内省幹部に対し、風当たりが強くなっていたことも要因に挙げられる。昭和戦前期の乳人は、一般社会から選ばれることを売りに行われていた。それが皇室のいきすぎた平民化と受け止められ、乳人がやり玉になった。

 一般に時代の不安定さが増すと社会の不満が高まり、既得権のある者への風当たりが強まる。こう考えると令和の皇室バッシングと似ている側面もあるだろう。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

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