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皇位継承の自覚はゼロ 賀陽邦寿の「政界」野望 社会学的皇室ウォッチング!/102

邦寿の選挙広告。体重が100㌔を超し、「オタフク豆」とあだ名されたことも(『毎日新聞』1968年6月30日紙面)
邦寿の選挙広告。体重が100㌔を超し、「オタフク豆」とあだ名されたことも(『毎日新聞』1968年6月30日紙面)

これでいいのか「旧宮家養子案」―第4弾―

 旧宮家皇族は戦後、「万が一には、皇位を継ぐべきときが来るという自覚」を持って暮らしていた――。「旧宮家養子案」を推す人たちはそう主張する。東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)、久邇朝融(くにあさあきら)の例で見てきたようにこれは歴史の歪曲(わいきょく)である。今回はもう一人、政治の世界に飛び込もうとした賀陽邦寿(かやくになが)の破天荒ぶりを取り上げる。(一部敬称略)

 邦寿(1922~86年)は陸軍士官学校を卒業後、ジャワ、スマトラなど南方の戦地体験もある旧軍人だ。45年の敗戦時には大尉で23歳。翌年、一念発起して京都帝大経済学部に入学する。

 実は邦寿は43年、昭和天皇の三女、和子(孝宮(たかのみや))と結婚の内約をした。だが、敗戦と変革のなかで、和子に中等教育を受けさせる必要から婚約は白紙に戻された。邦寿も在学中、京都・祇園の茶屋「万イト」の芸妓(げいこ)(南洋子)と恋仲になった。そうした相手がいるにもかかわらず、邦寿は48年、旧佐倉藩主の堀田家の娘と婚約した。だが、邦寿の行状を知った堀田家がこれを解消した。

 邦寿は49年春、京大を卒業し、短期間であるが東京銀行、国土開発に勤務した。しかし、長く続かなかった。女性関係では、洋子を身請けし、東京に連れてきた。しかし彼女は52年、結核で亡くなる。悲しい純愛物語と思いきや、洋子が亡くなる前から別の女性とも付き合った。都内・深川の料亭の娘、長島まり子である。

 さらに、51年12月には、政治家、津雲(つくも)国利の二女龍子(たつこ)と結婚する。津雲は当時、公職追放のため議席はなかったが、有力政治家だ。つまり、元芸妓、料亭の娘、政治家の娘と3人の女性と同時に関係したのである。邦寿はのち「南洋子さんとか、長島まり子ちゃんは、まあガールフレンドだね。(略)流れに逆らわず、自然に生きてきた」とお気軽なコメントを残す(『週刊新潮』85年2月14日号)。

 邦寿の父・恒憲(つねのり)と津雲が知り合いで、資産家でもある津雲からの経済支援をあてにした側面はある。邦寿と龍子は、実質的な夫婦関係もないまま、55年に離婚する。これも、父への反発だと見ることもできる。

政治家の娘を利用

 ただ、邦寿は「私を代議士にするということで、その〝政略結婚〟に乗ったんです」(『週刊文春』74年1月7日号)、「政治をこころざすぼくが、津雲さんに近づいたのだ、とも一面において、いえる」(『女性自身』69年4月21日号、原文では津雲は「S」と表記)とも吐露する。つまり、政治家への野心のために、津雲父娘を利用したと正直に認めるのだ。

 邦寿は、兵庫県西宮市を生活の基盤とし、大阪化成、広瀬製作所、源利製菓など知人の事業で顧問料をとった。名義貸しビジネスである。日本習字教育連盟総裁、子どもを交通事故から守る黄色い帽子の会会長など多くの団体のトップとなった。

 最も問題になったのは、日本積財会顧問への就任である。日本積財会は、曹洞宗の信徒らの支援のもとに、不動産、株式に投資し、寺院建設、社会事業を行うとして、地方の資産家からカネを集めた闇金融だった。実体はない詐欺行為で、54年に群馬県警が理事長らを逮捕した。邦寿は、肩書を与えられ、カネ集めに利用された。事件では、邦寿に対する損害賠償訴訟も起こされた。直接事業にかかわっていなかったため、請求は棄却されたが、「宮様」の威光を信じて投資した人に道義的な責任は残るだろう。

 邦寿が国政に挑戦したのは46歳だった68年の参院選全国区。旧陸軍元将校らでつくる偕行(かいこう)社、妙見(みょうけん)宗・念法眞教・トゥルース教など新宗教票を頼りに、自民党に公認申請した。しかし、「落選したらどうなるかも考えねばなるまい」「(応援を)集中しなきゃならんだろう」(『週刊文春』68年6月3日号)などの理由で公認を得られなかった。諦めきれない邦寿は「超党派無所属」を名乗り、立候補する。

たった14万票で落選

 邦寿の政見は「靖国神社の国家護持に、国民のみなさんが反対であろうハズはない」(前出『週刊文春』)と言うように、旧軍人らしい国家主義に基づく。政治評論家、藤原弘達は「宣伝方法いかんでは、大量得点の可能性もある」(同)と当選を示唆した。当選ラインは約60万票。

 だが、蓋を開けると、法定得票をわずかに上回る14万2077票を得たのみで、67位の惨敗だった(当選は51位まで)。石原慎太郎、青島幸男、横山ノックら知名度のあるタレント候補が大量得票するなか、旧皇族の邦寿は古臭く見えた。

 邦寿は71年も全国区での出馬の準備をしたが、また自民党から公認を得られなかった。74年も立候補しようとしたが、自民党にまたも振られ、公明党の門をたたいたがこちらも断られた。政治への道はこれで断念する。

 邦寿はその後も問題を起こす。76年、邦寿が会長となった日本経営功労者顕彰委員会が、功一等から功五等の民間勲位を売り出して問題になった。新聞にたたかれて(『読売新聞』76年12月20日夕刊)、一度はやめたものの翌年に再び、邦寿が会長となった「時事新聞社社会事業団」が同じビジネスを行って物議をかもした。

 邦寿は結局3回、結婚・離婚を繰り返したが、子はいなかった。弟が5人おり、銀行マンだった章憲(あきのり)(29~94年)の系統だけに若い男子が2人残る。未婚のため、愛子さまの結婚相手候補だと根拠のない噂(うわさ)が女性誌に書き散らかされる。

 もし邦寿が、賀陽家の系統に皇位がめぐる将来を想定していたら、行動をもっと慎んだのではないだろうか。破天荒さを確認するにつけ、自覚はゼロであったと断言せざるを得ない。

 邦寿は86年、63歳で亡くなった。『週刊新潮』(5月1日号)は「(宮内庁は)さぞやホッとしている」と失礼なことを書く。ただ、トラブルの数々を見れば、それもやむを得なかったかもしれない。(以下次号)

(成城大教授 森暢平)


もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など


「サンデー毎日」2/18-25号表紙(表紙:「ハイキュー!!」)
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