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政治壊滅 この危機は「対米従属に甘んじる政府」と「自立を志向しない国民」の合作だ!白井聡が徹底解析

白井聡氏
白井聡氏

戦後最大級の「政治壊滅」を白井聡が徹底解析

 裏金問題以降に露呈した壊滅的な政治状況の底に、閉塞しきった社会のありようが透視できる。そう喝破する白井聡氏が、この国の根腐れの構造を冷徹に暴いていく。その根本には、属国であり続けてきた戦後日本の歪みがあった。

岸田首相は国民の自画像だ このままの道を行けば、待つのは死だけ

 いよいよ日本の政治と社会は進退窮まった。かつてないほどに政治への不満は高まっている。政治の不毛と閉塞(へいそく)を非難する声は高まるばかりだ。だがしかし、政治の酷(ひど)さは、部分的には制度の欠陥に帰すことも可能だが、マルクスの概念を用いて言えば、政治は上部構造だ。その土台には腐敗して閉塞した社会があり、その行き詰まりが政治に反映している。したがって、その本質が摘出されなければならないのは、今日の日本社会の行き詰まりなのだ。

 だが、手始めとして現在の政治状況を見ておこう。昨年から引き続いてきた自民党の裏金キックバックの問題は、自民党議員の襟を正させるどころか、完全に政争の具と化した。下った処分の根本的な異常性を見てみるがよい。国会の政倫審で、安倍派幹部の政治家たちは、不正なカネの還流がどのようにして再開したのか、ついに誰も語らず、口を揃(そろ)えて「自分のせいではない」と述べた。問題はこの証言の真偽と処罰の関係だ。この証言内容を真実だと党が認めているのならば、処分する根拠がない。反対に、証言が虚偽であると認めているのならば、真相が何であるかを明らかにし、それを根拠として処分を下さなければならない。ところが、根拠はまったく曖昧なままに、処分は下された。何があったのか一向に明らかでなく、明らかにする気もなく、関係者の誰も責任を認めていないが、それでも処罰するというのである。法治国家においてあってはならない蛮行にほかならない。

 かくして、処分はおよそ原則を欠いた恣意(しい)的なものとなった。その目的は、この問題にけじめをつけたというポーズの演出と、それ以上に、岸田首相ほか有力者の政治力学のなかで、生贄(いけにえ)として失脚させる者を決める一方、懐柔して自らの影響力のもとに取り込むべき者を決める、という権力闘争のゲームを演じることでしかない。どれほど不正が暴かれ、腐敗が明らかになっても、問題に対して誠実に対処しようとする意志は皆無である。

政策論争なき無内容な権力闘争

 また、この裏金キックバック問題の成り行きにも看(み)て取れるように、現在の自民党内の権力闘争は普段よりも一層激化している。問題の発覚を受けた岸田首相は、派閥の解体を宣言し、宏池会を解散した。実はこれも、岸田は宏池会を離れているはずで、なぜ解散できるのかまったく意味不明なのだが、その狙いはやはり権力闘争だった。派閥解体宣言は、岸田政権を支え、また従わせてきた麻生太郎に対する強烈なカウンターパンチとして繰り出された。実際、裏金キックバックの問題が出現するまでは、麻生は支持率の低迷する岸田に対して首相交代を働き掛けていたと目されるが、この派閥解体宣言によって形勢は逆転した。「性懲りもなく派閥政治に固執する麻生(と茂木敏充)」というイメージを首尾よく流布させることにより、岸田は麻生に対して一転優位な立場に立った。そしてさらに今次の処分は、すでに追い込まれていた安倍派を再建不可能なかたちでの解体に導くであろう。このように、本来危機であるはずのものを権力資源にすり替える錬金術を岸田は駆使している。

 しかしながら、見事なのは技だけであり、技の巧妙ぶりがこの権力闘争の内容的貧困と対照をなしている。これほどまでに空虚で無内容な権力闘争は筆者の記憶にない。本来の権力闘争は、異なる政治理念や異なる利害集団が権力獲得を目指して衝突するという現象である。

 例えば、記憶に新しいところで言えば、小泉純一郎が首相に就任する前後、「構造改革」「自民党をぶっ壊す」と連呼したのは、激しい権力闘争でもあったが、重大な政策転換・政治理念の転換という内容を伴っていた。いわゆる小泉構造改革路線は、産業政策によって優遇された都市部の大企業があげた収益を地方に分配することによって、財界と農村という利害の一致しない集団の両方から支持を得る、という自民党が戦後日本で長らく続けてきた統治の構造を否定し破壊した。このようにして日本版新自由主義改革が実行に移されていったわけだが、その際に小泉が「抵抗勢力」と呼んだのは、この統治構造のなかで分配のパイプ役となっていた勢力であり、「旧田中角栄的なもの」だった。この闘争は不可逆的な変化をもたらし、現に旧田中派の系統から自民党の総理大臣は以後一人も出ていない。

 これに対し、目下繰り広げられている権力闘争、その具体的なメイン・プレイヤーは岸田、麻生、茂木、二階俊博といった面々だが、そこには政治理念上の差異はまったく認められない。岸田は支持率低迷の逆風のなかで自らの政権の持続を専ら目指しており、麻生はキングメーカーとしての影響力を維持することのみを目指している。茂木にしても、「頭は切れるがハラスメント体質」といった人間性についての噂(うわさ)が盛んに立つばかりで、何をやりたい政治家であるのかは、誰も知らない。二階に至っては、先手を打って事実上の引退宣言を発することで処分を免れるという老獪(ろうかい)ぶりを見せつけたが、その意図するところは、地元和歌山で世耕弘成の挑戦を退けて子息に議席を世襲させたいということでしかない。

 つまり、これらの面々が演じている「闘争」は、見事なまでに無内容であり、きわめて純粋な権力闘争だ。そこには、政策に関する対立も、政治理念の衝突もない。ただひたすら権力や影響力を維持しようとする意図がせめぎ合っているだけであり、いかなる混じり気もない権力闘争そのものである。

対米従属構造の本質を衝いた下村博文

 しかし、このような「純粋性」は見かけのものだ。当事者が意識しているか否かに関わらず、政治闘争は必ず何らかの理念を体現している。闘争が生じるのは危機のためであるが、危機は権力構造に重大な変化をもたらし、新たな権力構造を生み出す。変化を通過した後、われわれはそこでどのような理念の交代が生じたのかに気づくのである。そして、今次の自民党支配の危機の深さは、1980年代末から90年代にかけてのリクルート事件・佐川急便事件によるものや、2000年代初頭の森喜朗政権の低迷、2000年代末の麻生政権の低迷に匹敵するか、それ以上のものだ。これらの危機はそれぞれ、政界再編と平成の政治改革、小泉新自由主義政権の登場、民主党への政権交代といった重大な帰結を生んだ。

 してみれば、いま必要とされるのは、現下の権力闘争に対する一種の解剖学である。権力闘争が生じている地盤を掘り返すことによって、いかなる変化が生じようとしているのかを見極めなければならない。生じつつある変化の規模が大きいことは疑いない。

 その兆候として興味深いのは、今回の裏金問題により党員資格停止一年の処分を受けて「負け組」となった下村博文の言動である。報道によれば、処分が下される直前、地元支援者を前にした下村は、裏金問題について弁明するとともに、次のように述べたという。

「自民党は結党70年近くなるわけですけども、本来の保守政党としての政策をやってこなかった。憲法改正もしてないし、日米安保条約についても、集団的自衛権を含めた日米地位協定もそうです。

 これだけ米軍基地が日本にあってですね、アメリカの大統領が日本に来る時、成田や羽田を経由しないんですよ。横田基地から来て、正式な通関なしで入国できるっていうのはですね、まさに日本が独立国家じゃない証でもあるわけですね。その間、羽田空港の飛行機の離発着が相当制限される。これが当たり前にできてしまっていることが、自民党が本来の保守政党ではないということでもある」(FRIDAY DIGITAL 4月3日)

 この下村の言葉の内容はまったくの正論であり本質を衝(つ)いている。ただしもちろん、この言葉は最高度に滑稽(こっけい)でもある。下村は長年議席を守り、大臣も務めた自民党の有力な政治家である以上、ここに述べられている惨状について大いに責任がある。自民党とは、その本質において、保守政党でも何でもなく、戦後日本の対米従属体制の仕切り役にほかならず、したがって、売国的性格を根本的に帯びていることは周知の事実だ。この発言はまさに「それをお前が言うか」の極みである。

 とはいえ、つい先頃まで日本の権力中枢におり、知名度も高く、いまも現役の国会議員である人物が「部屋に象がいる!」と叫ぶという事態の持つ意味は小さくはない。自民党の有力者という究極の鉄面皮であっても、戦後日本の矛盾、異様な対米従属の事実をもう否定できず、その欺瞞(ぎまん)を指摘せずにはおられなくなったのだ。

 それと同時に、ここには「人の将(まさ)に死せんとするその言や善し」(『論語』)という面がある。正論を下村が口にできたのは、いままさに下村が自民党の政治家として死にかけているからにほかならない。それは、政治的な死を覚悟せざるを得ない状況から発せられた言葉なのだ。

「革命が爆発するには、『下層』が以前のような仕方で生活することを欲しないというだけでは十分ではない。『上層』がこれまでのようにやっていけなくなるということが、また必要なのだ」とは、レーニンの言葉である。まさに「上層」にいた下村は、「下層」に滑り落ちようとするなかで、真実を指摘せざるを得なくなった。

バイデンといちゃつく首相に激怒せよ

米ホワイトハウスで、歓迎式典後に手を振る岸田首相とバイデン米大統領=2024年4月10日
米ホワイトハウスで、歓迎式典後に手を振る岸田首相とバイデン米大統領=2024年4月10日

 

 何かが崩れようとしている。崩れつつあるのは、短くは「2012年体制」と筆者が呼んできたもの(すなわち、2012年以降の安倍晋三を中心とする自民党による実質的な一党支配体制であり、安倍没後も継続している)であろうし、長くは戦後日本の体制そのものではないのか。

 そうしたなかで、本稿を筆者が書き上げる直後には、岸田首相が国賓待遇で訪米し、バイデン大統領と面会する。アメリカの要求に応えて身代を傾けてまで米国製兵器を大量購入するという決断に対する褒美が、今次の訪米である。例によって、バイデンと岸田が仲睦(なかむつ)まじく肩を組む映像が大量に流されるであろう。注目すべきは、何かが崩れつつあるなかで、この画(え)に対して日本の大衆がどのような反応を示すのか、ということだ。言い換えれば、見え透いた猿芝居のプロパガンダの洪水が、あとどれだけ有効性を保ちうるのか、ということだ。

 現在の自民党の有力者たちが不毛きわまる権力闘争に耽(ふけ)っていられる理由のひとつは、野党によって政権を奪取される脅威をさほど強く感じないできたところにある。日本の有権者の多くの自民党支持は、惰性、慣習、あるいはほとんど伝統宗教の域に達している。ゆえに、この自民党の惨状を許してきたのは、ほかならぬ日本の有権者だ。それでも次回の総選挙では、自民党はかなりの数の議席を失うであろう。連立政権の枠組みの変更も生ずる可能性が高い。

 政権の枠組みがどうであれ、問題は、この10年以上続いてきた異常な政治の状況に終止符が打たれるか否かにある。その異常さとは、ひとことで言えば、現実に対する対処能力が欠如してきたことだ。不都合な事実から目を背け、誤っていると十分に判明している道を走り続ける。さらには真実を指摘する者を数を恃(たの)んで糾弾する。こうして日本は、大災害(能登半島地震)に対する全力の対応すらできない国にまで堕(お)ちた。

 初めに述べたように、この政治状況の悲惨さは、社会の惨状を土台としておりその反映である。そして、そのような社会の出現は、まさに下村が指摘したように、独立国であろうとすることから逃げ続けてきたことの帰結であると筆者には思われる。「一身独立して一国独立す」とは福沢諭吉の名言だが、裏を返せば、独立を志向しない国には独立した個人もあり得ないことを、この言葉は物語る。

 今次の政治危機は、どのような政治を国民が選んできたのかを白日の下に晒(さら)している。このままの道を行けば「死」が待っているのは、下村だけではない、すべての国民だ。この自覚のみが社会を変えうるし、ひいては政治を変えうる。希望的観測を述べるならば、バイデンといちゃつく岸田の腑(ふ)抜けた笑顔に、国民が激怒し、そこに己の自画像を読み取るとき、本当の変化が始まるであろう。


しらい・さとし

 1977年生まれ。政治学者。『永続敗戦論』で石橋湛山賞、角川財団学芸賞を受賞。他の著書に『「戦後」の墓碑銘』『国体論 菊と星条旗』『主権者のいない国』『長期腐敗体制』『マルクス 生を呑み込む資本主義』など

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