ベトナム戦争を見つめ直して共感呼ぶクリスティン・ハナの新作 冷泉彰彦
歴史フィクションというジャンルは、架空の人物が歴史の中で翻弄(ほんろう)されるスタイルが特徴だが、日本の場合は、むしろ近年の漫画作品に多く見られる。一方、アメリカでは歴史フィクションは近年かなり人気があり、特にクリスティン・ハナの作品はさまざまな歴史の舞台で活躍したり苦しんだりした女性を主人公に、ドラマチックなストーリーを描いていて評価が高い。
1970年代のアラスカを舞台に時代の光と影を描いた"The Great Alone"(「偉大なる孤立」)や、第二次大戦中のフランスにおけるナチスへの抵抗を描いた"The Nightingale"(「ナイチンゲール」)はいずれもベストセラーとなった。そのハナの最新作、"The Women"(「女性たち」)は彼女の最高傑作という評価が多く、ベストセラーとなっている。今年2月末に発売以来、アマゾンのランキングで上位を維持しており、6月に入ると改めて1位に定着している。
本作では設定をベトナム戦争を戦う米軍部隊として、そこに働く看護師の女性たちの視点から戦争の過酷な状況を活写している。そのうえで、多くの兵士や看護師までがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ姿を具体的に描き出している。特に、主人公の女性看護師はカリフォルニアの「古き良きアメリカ保守」の価値観に囲まれて育った人物として設定され、過酷な運命の中でその強さと限界が試されていく。
読者は、単にベトナム戦争期の物語を体験するだけでなく、最新のPTSDへの理解をベースに現代の価値観から当時の悲惨な状況への「見つめ直し」を強いられる。また、「古き良き」アメリカの価値観が歴史の中で崩壊していくさまについても、考えさせられるのだ。
けれども、本書がここまで多くの読者に支持されているのは、歴史観やイデオロギーからではない。現代社会の中で、人々は高いストレスの中で生きているし、心の傷を負うことも多い。そんな中で、主人公がベトナムで、あるいは帰還後にも経験する痛みや孤立というのは、時空を超えた共感性を持っている。
つまり、誰もが抱えている「生きづらさ」を追体験できるのであり、そうした評価が口コミやSNS(交流サイト)で広がっている。
(冷泉彰彦・在米作家)
この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。
週刊エコノミスト2024年6月25日号掲載
海外出版事情 アメリカ 時空超え共感できる歴史小説=冷泉彰彦