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戦後社会が欲していた旧皇族の「離婚」醜聞 成城大教授・森暢平

サンデー毎日7月21-28日合併号
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◇社会学的皇室ウォッチング!/120これでいいのか「旧宮家養子案」―第22弾―

 戦後の混乱期、旧皇族をはじめとする上流社会の離婚スキャンダルが少なからず報じられた。戦後民主主義の時代、しきたりや因習にとらわれない新しい生き方が模索されるなかで、旧皇族の結婚の失敗は、反面教師と見なされたのである。(一部敬称略)

 1951(昭和26)年8月22日、『毎日新聞』社会面トップに「私は離婚せざるを得ない」「許せない歪(ゆが)んだ自由」「華頂氏が〝夫の苦悩〟を告白」という見出しが躍った。華頂博信(46)、華子(42)夫妻が離婚にいたった真相を報じたのである。

 博信(1905~70年)は伏見宮家の三男として生まれた。26(大正15)年、21歳のとき、結婚にあたって臣籍降下。華頂博信として侯爵に列した。当時、宮家継嗣ではない二男以下は華族とならねばならず、博信もその例に従った。妻の華子(1909~2003年)は、閑院宮家の五女。秩父宮妃候補として名が挙がったこともある。

 記事は、その1カ月前の出来事を、博信の手記として報じる。「七月十八日も深夜であった。その日、夕方から来邸して華子と用談中の戸田氏がなかなか辞去する気配がない。もう大分遅いようだからとそれとなく帰宅を促そうと客間に行って見た。二人の姿は見えなかった。私は附属のクローク・ルームを何気なく開けてみた。――そして私はそこに見てはならない戸田氏と華子との姿を発見したのだ。夫である私は半狂乱となったことを記憶している。翌朝我に帰ったとき、客間のフロアーには血潮が飛散し、私は病院で骨折の手当を受けた」

◇三流映画のような衣装室での情事

「戸田氏」とあるのは、実業家の戸田豊太郎(51)である。当時、秋田製鋼社長や日本工業倶楽部役員などを務めていた。戸田と華子は、女性の生活改善などを目指す「日本婦人衛生会」の活動を通じて知り合った。

この日、渋谷区常盤松にあった華頂邸を戸田が訪問。華子と夜遅くまで打ち合わせをしていたため、博信が戸田の帰宅を促そうと客間に行くと、衣装部屋であるクローク・ルームで2人の情事を見てしまったというのだ。

『毎日新聞』の記事には、クローク・ルームが窓のない密室であるとか、壁際には一列に六つの椅子が並んでいて、いまも事件の日のままだとか、生々しい記述がある。大衆向け週刊誌記事や三流映画のようだ。「寝取られた」形となった博信は、当時の宮内庁長官、田島道治(みちじ)に対し、「仮に天皇さまが皇族全体の名誉のために離婚を思い止(とど)まれといわれても、私はお断り申します。そして日本国籍を離脱して謹慎します」と伝えたという。

 博信と華子には、博道(21)、博孝(19)、治子(17)の3人の子があった。華子は、「事件」の翌々日、ひとりで家を出て、当時閑院家があった小田原の兄のもとに身を寄せた。「事件」の20日後には、渋谷区役所に離婚届が出された。閑院宮家という深窓に育った華子が絡むこのスキャンダルは社会に衝撃を与えた。のち「華頂事件」として語り継がれていく。華子は翌年、戸田と再婚した。

 博信はもともと海軍軍人。敗戦時は中佐で、海軍水雷学校教官を務めていた。戦後は本宅を焼き出され、養鶏をしたり、ダンス教師をしたりして、何とか生活していた。学究肌の博信は、社交好きの妻と生活が合わなかったと報じられた。

 妻側の言い分はどうか。『毎日新聞』報道の2日後、華子が『産業経済新聞』(現・『産経新聞』)の取材に応じ、手記も提供する。「婦人衛生会の仕事でお知合いになつたのですが、その後ほかの会でも御一しょになるようになり、また私共の仕事の面でもいろ〳〵面倒をみていたゞくこともあるようになり、家へも時々遊びにいらつしておりました。そのうちにだん〳〵私の生活の不満、さびしさが戸田さんとの間を更に深いものとするようになり、昨年のクリスマスのころから私の気持は急速に傾いていつたのです」

◇「因習」打破の戦後民主主義

 婦人の解放と因習の打破――。そうした風潮のなかで、上流階級の人たちの離婚は、戦後社会の注目の対象となった。厳密に言えば旧皇族ではないが、旧朝鮮王族、李鍵(戦後は桃山虔一(けんいち)を名乗った)が妻、佳子(よしこ)(高松・松平伯爵家の分家出身)と離婚したのは、「華頂事件」の直前、51年5月である。

 華子と佳子は、ある意味、メディアの寵児(ちょうじ)となった。華子についていえば、「華子が幸福になれるなら――斜陽階級悲劇の女主人公は結婚へ」(『面白倶楽部』53年7月号)、「女の幸福を愛情の歓びに――再婚して新生活をきずく戸田華子さん」(『婦人倶楽部』56年10月号)など、多くの記事が書かれる。「『戸田はドン・ファンだ』という、世間の噂も、華子さんの耳には、はいらなかつた。(略)男女間の解放された心情を発見しはじめた華子さんにとつて、せまくるしい貴族社会の外の空気を、さつそうと身につけた戸田氏は、魅力的なものだつた」(前掲『面白倶楽部』)

 皇族や華族は縛られた生活をしていたからこそ、旧弊な家父長制の軛(くびき)から彼女たちが逃れようとする――という物語を、戦後民主主義社会が欲するのである。逆に、皇族の新しい形の婚姻が称賛されるようになる。昭和天皇の三女孝宮(たかのみや)和子、四女順宮(よりのみや)厚子の結婚は、いまの基準から見れば、見合いの範疇(はんちゅう)に入る。しかし、メディアはことさらに「恋愛」要素を見出(みいだ)し、自己決定で婚姻する女性皇族という物語を紡いでいく。昭和30年代に現れる正田美智子という新時代の象徴も、実は、こうした時代の流れのなかにある。

 戦後社会は自由であった。現代に同じことが起きたなら、旧皇族の不倫としてさんざんにバッシングされたであろう。私たちは戦後の自由を失いつつある。解放された旧皇族を再び皇籍に戻そうという運動こそ反動化の典型である。

「華頂事件」をテーマに、作家坂口安吾は以下を書いている。「上流階級の内情や人情というものは、離婚された娘や妹の身のふり方や将来ということよりも、一家一門の名誉だけを考え、そのためには、たとえ娘や妹に正理があっても家名のために彼女の一生や幸福をふみにじる」(「宮様は一級紳士」『オール讀物』51年11月号)

 踏みにじられる皇族女性にとって、それはたまったものではない。

<サンデー毎日7月21-28日合併号(7月9日発売)より、以下次号>

■もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

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