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スキャンダルの業火のなかから広末涼子がよみがえる 中森明夫

◇「破天荒な軌跡」と「芸能者の革命」

広末涼子が12月にライブを行う。数々のスキャンダルに見舞われ、常識の枠に収まらないキャラクターで無頼派ともいえる芸能人生を歩んできた彼女は、いまどんな姿を現すのか。デビュー時からその軌跡を見つめてきた中森明夫氏が、広末に宿る「芸能のデーモン」を解き明かす。

◇広末涼子が帰ってくる!

 昨年6月、カリスマシェフ・鳥羽周作氏とのW不倫が報じられ、CMはじめすべての仕事を降板、表舞台から姿を消した。三人の子の母であり、キャンドル・アーティストと再婚していた。そのキャンドル・ジュン氏の独自の記者会見は世の耳目を集めた。奇妙な巨大ピアスを耳につけ、涙ながらに世界平和への祈りと妻・広末涼子の異様な二面性を語ったのだ。

 ふだんはメイクもせず、家事に励み、子供思いの良き母である彼女が、突如、「濃い化粧に派手な格好をして、眠ることもできず、常に何かを書いていなければ心が収まらず、誰かに連絡をしたり、豹変(ひょうへん)してしまう」のだという。夫の明かす、もう一つの〝ヒロスエ像〟には、鬼気迫るものがあった。

 他方、鳥羽周作氏との不倫報道では、なんと交換日記(!)が流出。生々しい手書き文字による広末の愛の言葉の数々……〈出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれて、くっついてくれて、入ってくれて、泣かせてくれて、きもちくしてくれて(略)本当にほんとに、ほんとうに、、ありがとう〉〈周作、あなたのことが大好きです〉。まさに爆発的なパッションを浴びせかけられるようだ。

 栄養満点の丸々とした鳥羽シェフの笑顔と、妖気の炎がめらめらと揺れるキャンドル氏の激白と、〝恋愛食いしんぼう万歳!〟広末涼子をめぐる血のしたたる濃いキャラの男たちのフルコースに、もうお腹(なか)いっぱいである。

 そんな彼女が一年半の沈黙を破って、今年12月にライブを開くという。どんな表情をして、どんな声を我々に聴かせてくれるのか? いや、その前に私は考えてみたいのだ。

 広末涼子とはいったい何だったのか――。

◇篠山紀信が中学3年生の広末を撮る

 1996年2月、初めて私は彼女に会った。そう、15歳の広末涼子だ。中学3年生、卒業の間際である。四国・高知から上京していた。週刊誌の巻頭グラビア頁(ページ)を、篠山紀信が撮る。文章を添える私も、撮影に立ち会った。

「まだ新人やけど、すごい女の子がおるんや」

 そう言って推薦したのは、〝天才ヘアメイクアーティスト〟の誉れも高い野村真一である(2010年没)。通称、シンちゃん。宮沢りえ、葉月里緒菜らをいち早く美しくメイクしたシンちゃんの審美眼を、篠山も私たちスタッフも信用していた。

 場所は東京港区西麻布の建設現場である。インターネットカフェになるという。コンクリートがむき出しの壁面、鉄パイプで機材が組まれていた。「よろしくお願いしまーす!」と弾んだ声がして、女の子が現れる。ショートカットでつるんとした小さな顔、つぶらな瞳、すらりとよく伸びた手脚……ほう、とスタッフからため息がもれた。美しい。背後では、得意満面の笑顔のシンちゃんが、ヘアブラシ片手に関西弁まじりの鼻歌を唄っていた。

 篠山紀信の瞳がきらりと光る。「よし、あそこへ登ってみようか」。鉄パイプで組まれた高い櫓(やぐら)のてっぺんを指差した。「ハイ」と元気よく広末はするすると登ってゆく。まったく物怖(ものお)じしない。抜群の運動神経だ。陸上部のエースだったという。高い櫓のてっぺんに立ち、微笑(ほほえ)む美少女がまばゆいフラッシュの光に照らされる。魅力的な獲物を狙う銃口のように向けられた篠山紀信のカメラが、シャッターを切り続けた。

「恵比寿に開店しためちゃめちゃ美味(うま)い蕎麦(そば)屋があるんや」。シンちゃんが言う。ちょうどお昼時だ。撮影を終え、打ち上げのランチへ行こう、と車で移動した。「あかん、臨時休業や!?」。シンちゃんは泣きそうである。やむなく近場のどうでもいいような中華料理屋へ入った。客は我々だけだ。テーブルをくっつけて宴会になった。小皿料理を並べて、青島ビールや紹興酒でしたたか酔う。篠山は上機嫌で笑い、シンちゃんは相変わらず鼻歌を唄っていた。あっ、と思ったのだ。その日、撮影した美少女のことをすっかり忘れていた。

 ふと見ると、テーブルの片隅で15歳の広末涼子が黙々とスブタ定食を食べていた!?

 2年後、98年6月に彼女と再会する。17歳の広末涼子は、国民的アイドルになっていた。CMにドラマに歌番組に出ずっぱりだ。〝アイドル冬の時代〟と呼ばれたその頃、たった一人、広末だけが光り輝いていた。

 映画『20世紀ノスタルジア』の主演に15歳の彼女は大抜擢(ばってき)された。ところが、広末がブレークしすぎて時間が取れず、撮影が一年半も中断する。完成した映画では、途中で成長して彼女の顔が変わっていた!? 97年7月公開、広末が舞台挨拶に訪れたテアトル新宿の前には熱狂的なファン数千人が殺到する。靖国通りに人群れがあふれ交通を遮断、新宿警察が緊急出動して流血騒ぎとなるパニック状態に!? 広末人気、恐るべし。

 代官山にある古い洋館のハウススタジオだった。2年ぶりの篠山紀信による撮影である。現れた17歳の広末涼子は、きらきらしていた。異様なオーラだ。篠山はノリにノってシャッターを切る。「こういう時は全部がいい写真になる!」と、あっという間に撮影を終えた。洋館の応接間のソファで篠山は昼寝する。広末はテーブルに用意されたパンを食べていた。隣席の私は、その様を見つめている。トップアイドルが頂点にある瞬間にのみ発するその輝きを間近に見て、めまいを覚えたのだ。

「どうして、そんなに輝いてるの?」と、ついにクサいことを言ってしまう。すると広末は応えた。「ん? 革命があったんだよね。あたしの中で、いっぱいいっぱい革命があったんだ」と自信満々の笑顔で。革命!「広末涼子のその〝革命〟を全面支持する!!」と思わず私は赤旗を振り廻したくなったのだ。

◇「清純派アイドル」が成立不可能な時代

 広末と同世代のトップアイドル・吉川ひなのと対談した時のことを思い出す。「君は、ひなの星から舞い降りた、ひなの星人だ!」と私が称(たた)えると「うん、ひなの星ではね……」と彼女は面白いことをいっぱい言った。同じことを広末にも告げたのだ。この世の女の子の美しさではない、ヒロスエ星からやって来たヒロスエ星人なのだ、と。「えっ?」とパンを食べる手を止めて、彼女の表情が急に曇る。「ヒロスエ星には、ヒロスエ星人がいっぱいいるんですか?」と訊(き)いた。私は「うん、そう」と適当に答える。すると「いっぱいいたら、ダメじゃないですかーっ!」とキレて、マジ顔の広末がカンカンに怒り出したのだ。

 ああ、と思った。彼女は機転が利かないのだ。吉川ひなのとは違う。こんな冗談のたとえ話でも絶対に許さない。自分がワン・アンド・オンリーの存在だということを、まったく疑っていない。大真面目に、まっすぐに〝特別なスター・広末涼子〟であることを信じきっている。その疑いを知らない自信満々のまっすぐな瞳に、私はどこかざわざわとした不吉なものを感じていた。

 思えば、それがアイドル広末涼子の人気のピークの頃だった。18歳になって、早稲田大学への自己推薦入学を発表する。翌年2月、全国の大学受験生たちがヒイヒイ言ってる頃、日本武道館をはじめとする全国ツアーで〝自己推薦〟早大生・広末涼子は唄い、踊っていた。ガリ勉くんたちをあざ笑うかのように。同世代の受験生たちを完全に敵に廻してしまったのだ。

 大学への初登校の日、早稲田のミーハー学生どもは広末に群がって集団パニックを引き起こす(皮肉にも、彼女を有名にしたドコモのCMの携帯電話で「広末、来てるよ~」と連絡を取り合いながら)。結局、ろくに登校することも叶(かな)わず、大学を中退したのである。

 誰が悪かったのか? そう、時代が悪かったのだ。これが吉永小百合の頃なら、早稲田の学生たちも遠巻きにサユリ様を見守っていた。九州から上京した同世代の青年は、学食で吉永が食べ残したパンの耳をこっそり持ち帰ろうかと思ったという(タモリである!)。写真週刊誌もワイドショーもスマホもない。そんなメディア環境が、清純派女優・吉永小百合の神話を生んだ。対する広末涼子は、清純派アイドルという幻想がもはや成立不可能な過酷な時代を生きなければならなかった。

 かつて私は「加護亜依は勝新太郎である」と書いた。勝新は天才役者だが、私生活はめちゃめちゃで、役者馬鹿だ。同じく加護ちゃんもスキャンダルまみれだが、プリティーの天才で、プリティー馬鹿!と名づけた。

 加護亜依が勝新太郎なら、広末涼子は横山やすしである。見かけはプリティーだが、中身は無頼派アイドルなのだ。2001年、泥酔した広末がタクシーに無賃乗車したというスキャンダルが報じられた。そういえば、横山やすしもタクシーで事件を起こしている!?

 モデルや男優と度々、熱愛ショットを写真週刊誌に撮られたが、会見も開かず、コメントも寄せない。まったく「無かった」ことのように振る舞う。清純派キャラを無理矢理に押し通そうとする。そのつど私はあの〝まっすぐな瞳〟を想起した。自身の思い込みを強固に曲げない。いやはや、これは無理がある……。

◇「広末の耐えられない熱さ」を見よ

 すべてのマイナスを逆転するように、フランス映画『WASABI』(01年)に主演した。彼女の愛する映画『レオン』の監督リュック・ベッソンがプロデュースで、共演相手はジャン・レノだ。一躍、世界的女優HIROSUEへ。しかし……。フランスから帰国後、開いた記者会見で突如、号泣する等、不可解な言動や奇行が世を騒がせる。あげく〝プッツン女優〟なる称号が冠せられるハメに。

 後に彼女が告白している。芸能界が嫌になって、辞めたかった。太ったら辞められるかもと思い、暴飲暴食して、なんと15キロもの激太りを果たしたのだという。

 03年、モデルの岡沢高宏と、できちゃった結婚。一児をもうけるも、08年には離婚。2年後、キャンドル・ジュン氏と再婚する。キャンドル氏の先の激白は興味深い。若き広末涼子は芸能界の不条理にぶつかった。なんとかそのプレッシャーをはねのけようとして、優等生すぎる彼女は無理に無理を重ねて「心が壊れてしまった」というのだ。ジュン氏のキャンドル・テラピーによる悪魔払いは、彼女を癒(いや)し、数年間の平穏をもたらした。女優・広末涼子は奇跡的な復活を遂げる。しかし……。

 やはり、彼女の内なる情熱の悪魔は死んではいなかった。破天荒な無頼派の表現者のみが持つ、熱い熱い熱いマグマのようなものが内側から噴出して、四十路を迎えて遂に、大爆発したのだ。カリスマシェフとの情熱的な不倫愛が発覚する。夫キャンドル氏と離婚、長らく所属した事務所を退社、仕事と名声のそのすべてを失った。

 広末涼子は、どこへ行くのか? ある世代にとって彼女は特別な存在だ。90年代後半、もはやアイドルなんてこの世に存在しない……と思われていたあの頃、忽然(こつぜん)と現れて異様な輝きを見せた。あの時代(ころ)の広末涼子の輝き! 広末を推すということは、あの奇跡の輝きを信じること、信じ続けることなのだ。

 熱心な読書家・広末涼子が愛するチェコの作家ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』を想起する。〝永劫(えいごう)回帰〟(ニーチェ)の観念をめぐる冒頭、この世界では同じことが何度も繰り返されるという。宿命のように。広末涼子という〝存在の耐えられない熱さ〟、彼女は熱愛を繰り返し、何度もスキャンダルを反復して生きる。しかし……。スキャンダルの炎に焼かれ、その灰の中から、また新たな輝くアイドルとして甦(よみがえ)るのだ。〝永劫回帰〟のように。

「あたしの中で、いっぱいいっぱい革命があったんだ!」。そう告げた17歳の広末のあのまっすぐな瞳は、きっと今も生きている。私は今でも……いや、この今にこそ、44歳の広末涼子の〝革命〟を信じたいのだ。


なかもり・あきお

 1960年、三重県生まれ。評論家。作家。アイドルやポップカルチャー論、時代批評を手がける。著書に、『東京トンガリキッズ』『アナーキー・イン・ザ・JP』『午前32時の能年玲奈』『青い秋』『TRY48』など多数。最新作は、自身のアイドル評論人生の集大成たる『推す力』

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