法務・税務特集

IFRS のれん償却の衝撃=浜條元保 

のれんバブルへの警鐘か 経営者の説明責任の要求か

 かたくなに拒んできた「のれん」の償却義務づけを国際会計基準審議会が検討するという。世界標準を目指した会計基準に何が起きているのか。

特集「国際会計基準のれん償却」

「のれんバブルへの警鐘」──。会計評論家の細野祐二氏は、国際会計基準(IFRS)を策定する国際会計基準審議会(IASB)が、のれんの定期償却義務づけの検討に入った背景をこう推察する。

 のれんとは、企業の合併・買収(M&A)の際に発生する無形固定資産の一つだ。買収先企業の純資産と買収価格との差額を指す。通常は、買収先が今後収益を上げることを期待するため、買収価格が純資産を上回る。純資産1000億円の企業を1200億円でM&Aすれば、200億円がのれんとなる。

M&Aのインセンティブ

 のれんの扱いは、日本の会計基準とIFRSとは異なる。日本基準が20年以内の定期償却を義務づける一方で、IFRSでは定期償却が不要。ただし、IFRSは毎期、買収先の収益力を確認し(減損テスト)、落ちていれば、損失を計上する(減損処理、表1)。

 長年、一貫して償却不要としてきたIASBが、その義務づけの検討に入るというニュースは、関係者の間に波紋を広げた。

 細野氏は、定期償却不要なIFRS採用企業が無謀なM&Aに走り、巨額ののれんを計上していることに対して、IASBが強い危機感を持ったということ、日本基準と同様に定期償却義務づけの検討に入ったという解釈だ。

 すなわち、買収先の収益力悪化の判断が遅れて、突如巨額の損失計上を余儀なくされる事例が少なくなく、IFRS採用企業の財務諸表に対する投資家の信頼を失いかねない。東芝が買収した米原子力大手ウェスチングハウスののれんの巨額減損で、経営危機に追い込まれたのは記憶に新しいだろう。

 IFRS採用理由としては、グローバルな事業展開や外国人投資家への対応から国際的に比較しやすい点を企業側は挙げる。だが、M&Aに際して定期償却不要が経営者の採用インセンティブになっているという指摘もある。定期償却が不要なら会計上の利益を押し上げられるからだ。

 たとえば、M&Aによって1000億円ののれんが発生したとしよう。日本基準で20年間の定期償却なら、年間50億円の減益要因になる。しかし、IFRS採用企業なら、償却負担はゼロだ。

積極的にM&Aを仕掛けるソフトバンクグループの孫正義社長
積極的にM&Aを仕掛けるソフトバンクグループの孫正義社長

自己資本の5割超も

 日本では2010年から任意適用が始まり、9月末時点で適用を決定した企業を含めると、194社がIFRSを採用している(東証調べ)。そして、確かに日本企業のM&A件数も増加傾向にある。

 M&A助言のレコフによると、今年1月から9月までの日本企業がかかわったM&Aは2749件と前年同期比28・3%増、金額ベースでは23兆9628億円と、同122・7%増という。

ウェバー武田薬品工業社長
ウェバー武田薬品工業社長

 最近では、アイルランドの製薬大手シャイアーを約6・8兆円で買収することを決めた武田薬品工業が話題となった。武田はこれまでのM&Aに伴い、すでに約1兆円ののれんが計上されており、シャイアー買収でここに2兆円余りが上乗せされる見込みだ。

 活発なM&Aの結果、IFRS採用企業にはのれんが積み上がっている。買収先が、当初の予想の通り収益を上げればいいが、東芝のように予想外の減損に迫られるリスクを抱えていることになる。

 そこで、IFRS採用企業の中で、のれんの金額が大きい主要30社を取り出した(直近年度決算、74ページ表3)。

 1位のソフトバンクグループは、米携帯大手スプリントや英半導体設計アーム・ホールディングスなどの積極的なM&Aで知られる。のれん残高は、4兆3026億円と自己資本の69%に達する。仮に20年間の均等償却となれば、年間2151億円の減益要因となり、税引き前利益に占める割合は56%に及ぶ。

 2位のJT(日本たばこ産業)、3位の武田まではのれん残高が1兆円超え。自己資本との対比でみると、ソフトバンク、JT、武田、4位の電通、5位のアサヒグループホールディングス、9位の楽天が50%を超えている。

 野村総合研究所(NRI)の三井千絵上級研究員は「投資家と経営者がM&Aやそれによって発生するのれんについて、コミュニケーションを深め、情報開示を進めることで、経営戦略がより綿密なものとなる。それが本来のガバナンスの向上にもつながるのではないか」と指摘する。

英EU離脱との関係

 のれんの償却義務づけに一貫して否定的だったIASB。ここにきて態度を軟化させた要因に来年3月に迫った英国のEU離脱を挙げるのは、神奈川大学の田中弘名誉教授だ。

 IASBの本部は英ロンドンに置かれ、IFRSは英国が主体となって作成した基準である。EUが05年に域内上場企業の連結財務諸表作成を義務づけたことが、IFRS普及の契機となり、その後EUは強い権限を行使してきたが、英国がEUを離脱するなら、こだわる必要はない。

 全面時価会計のIFRSは、保有する金融商品や不動産まで時価評価して包括利益として計上するため、本業の利益を把握できない。製造業に不向きなIFRSへの不満もあり、独仏中心にEU独自の基準作りに傾く懸念が出てきた。

 一方で、米国が自前の基準を捨ててIFRSに一本化する可能性はゼロに等しい。つまり、EUと米国という2大経済圏からそっぽを向かれるリスクが高まってきたのだ。そこでメンツを捨てて日本にすり寄ってきたというのが、田中氏の見立てだ。

 しかも、あまり知られていないが、国別で日本がIASB(親組織のIFRS財団)の最大のスポンサーである(表4)。「日本にまで見捨てられれば、IFRSは空中分解しかねないとIASBが危機感を持っても不思議ではない」(田中氏)。

 モノづくりには不向きとの批判の声は、日本の経営者からも根強い。のれん計上に関して経団連のアンケート(17年2月)では、9割超の企業が償却と減損を支持している。最大スポンサーとして、そうした意見をIASBに強く主張し、IFRSを変えるチャンスだ。

 もう一つ、のれんの償却義務づけを強く主張する理由がある。リーマン・ショックのような重大な経済危機が起きた時、積み上がったのれんの巨額減損処理が多発し、危機を増幅させるリスクがあるからだ。

専門家で割れる意見

 では、のれんの定期償却は導入される見込みはあるのか。会計評論家・細野氏は「このまま無謀なのれんの計上を許せば、IFRSが投資家の信頼を失う。早ければ21年に導入されるのではないか」と予想する。その場合、米国基準だけが償却不要とするのは難しいと見る。

 他方、NRIの三井氏は「(IASBボードで)いくつも償却のデメリットが挙げられており、個人的には日本基準のような償却がすぐに導入されるとは思えない」と予想する。

 専門家の間でも大きく見方の割れるのれんの償却問題。田中、細野、三井の3氏に75ページ以降でさらに詳細に語ってもらった。

(浜條元保・編集部)

IFRS 国際会計基準 のれん償却の衝撃 無謀なM&Aに待った

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