超高齢化こそ次の商機 インタビュー=吉川洋・立正大学教授
日本経済を見続けてきた第一人者に、平成はどう映ったのか。(聞き手=桐山友一・編集部)
── 日本経済の30年間を語る上でのキーワードは。
■やはり「バブル」とその崩壊だろう。戦後の日本経済の歴史の中で、後世まで語り継がれる一大事件だ。恐竜が絶滅した原因は隕石(いんせき)の落下と言われる。日本経済に対して致命的とは思いたくないが、それに準ずるダメージを与えた。まず、バブルが崩壊した後、およそ10年間は不良債権処理問題に追われた。1997~98年にかけて北海道拓殖銀行や山一証券など大手金融機関が次々に破綻し、まさに「金融危機」と呼ばれる状況に陥った。
不良債権処理問題は、2003年7月にりそなグループへ公的資金を注入して区切りが付いたが、98年は物価の面でも大きな転換期だった。日本経済はこの年から、先進国が経験したことのないような、マイルドとはいえデフレーション(物価の持続的な下落)に陥った。名目賃金は下がりにくいことが“デフレストッパー”(物価の下落を止める要素)だったが、それが外れてしまった。
── 名目賃金が下がり始めたのは。
■バブル崩壊後、日本企業は「三つの過剰」を抱えていると言われた。「過剰な債務」「過剰な設備」そして「過剰な雇用」だ。過剰な雇用を抱え込み、「リストラ」が必要とされた。英語の「リストラクチャリング」(再構築)が、日本語の「雇用調整」の意味を持って使われ始めたのもこの時期だ。労働組合は、雇用を取るのか賃金を取るのかの選択を迫られ、賃金を譲歩する代わりに雇用を取った。その結果、90年代終わりから名目賃金が下がり始めた。
── 「終身雇用」は「年功序列」「企業別組合」と並ぶ日本的雇用慣行の一つでした。
■バブルの時代は「ケイレツ」といった言葉も含めて日本的経営が称賛されたが、バブル崩壊で180度、評価が変わってしまった。「氷河期」「超氷河期」と呼ばれたように新卒採用を抑制し、この時期から非正規雇用が増え始めた。バブルのころは非正規雇用は6人に1人の割合だったが、現在は4割近くまで上昇している。自殺者の数もそれまで2万人台だったのが、98年から一気に3万人台へと増加した。再び3万人を切るのは12年以降だ。
── 日本ではその後、人口減少も指摘されるようになりました。
■生産年齢人口(15~64歳)の減少が、経済成長にマイナスの影響を与えるということ自体は間違っていない。ただ、先進国では1人当たりの所得のほうが経済成長に与える影響は大きい。1人当たりの所得を伸ばすのが「イノベーション」(技術革新)だが、日本企業は現金保有を増やし続け、進取の気性に乏しくなっている。バブルのころにリゾート開発など間違ったリスクを取り、大やけどをした記憶を引きずっている。
── これからの日本経済はどうあるべきでしょうか。
■経済成長は自己目的ではないが、不況は雇用面に大きな影響を与えてしまうので良くない。ゼロ成長でいいという人もいるが、人に例えればじっと一点に立っている状態だ。それよりは、自分に合った形で歩いているほうが心地いいのではないか。これからの日本経済を考える上で、厳然たる事実は世界にも例を見ない超高齢化社会がやってくること。それを前提に、少しでもハッピーに暮らせる社会を作るかが重要だ。
そのためには、高齢化社会で困ることを解決していけばいい。例えば、高齢になると買い物が重たくなる。そこで、ドローンで運んだり、自動運転で買い物に行きやすくするといったことがイノベーションになる。高齢化するのはインドとアフリカを除けばグローバルな現象だ。そのフロントランナーが日本になる。人口減少で国内市場がダメだと言っていてはいけない。新しいものを生み出すチャンスにあふれている。
■人物略歴
よしかわ・ひろし
東京大学経済学部経済学科卒業、エール大学大学院経済学部博士課程修了(Ph.D.)。東京大学大学院経済学研究科教授などを経て16年4月から現職。財務省財政制度等審議会会長などを歴任。