中央銀行デジタル通貨の衝撃 決済・金融システムが激変=山岡浩巳
中央銀行デジタル通貨を巡っては、支払い決済や経済取引の効率性に加え、銀行の資金仲介や流動性危機、金融政策の有効性への影響など広範な論点が出てきており、さまざまな国際的フォーラムで活発な議論が行われている。
いわゆる「中央銀行マネー」には、銀行券と中央銀行預金がある。これに対応する形で、中央銀行デジタル通貨にも、「誰でも、いつでも日常取引に使える中央銀行デジタル通貨」と、「大口の支払い決済専用の中央銀行デジタル通貨」の2種類が考えられる(図2)。
無口座11億人に決済手段
このうち後者は、すでにデジタル化されている中央銀行預金にブロックチェーンや電子分散台帳などの技術を応用するもので、デジタル化に伴う新たな論点は多くない。このため以下では、主に前者の、日常取引に広く使える中央銀行デジタル通貨に焦点を当てる。
中央銀行デジタル通貨への注目の背景としては、情報技術革新が進み、現金の取り扱いコストも一段と意識されるなか、「中央銀行も自らデジタル技術を応用し、支払い決済をより効率化できないか」という問題意識が挙げられる。
また、キャッシュレス化の進展を受け、スウェーデンなどの国々では現金の減少が目立っている(図3)。スウェーデン中央銀行のイングベス総裁は、人々に信用リスクのない支払い手段を提供する責務を果たす観点からも、デジタル通貨発行の是非を検討していくと述べている。
さらに、携帯電話やスマートフォン(スマホ)が世界的に普及するなか、IMF(国際通貨基金)のラガルド専務理事など国際機関幹部は、中央銀行デジタル通貨の発行により、銀行口座を持たない人々もスマホなどを通じて支払い決済インフラにアクセスできるなど、「金融包摂」が推進される可能性にも言及している。実際、世界銀行によれば世界には銀行口座を持てない人が17億人いるが、そのうち11億人はスマホや携帯電話を持っているという。
加えて、イングベス総裁やラガルド専務理事は、民間主導のキャッシュレス化に伴い、海外企業やプラットフォーマーによる支払決済市場の寡占化が進むリスクも指摘している。そのうえで、これに伴う弊害を抑制する観点からも、中央銀行デジタル通貨は検討に値すると述べている。
この間、ビットコインとともに登場したブロックチェーンなどを応用すれば、現金類似の匿名性を持つデジタル通貨を作れるのではないか、また、中央銀行が自らデジタル通貨を発行すれば、少なくとも「現金は不便だから暗号資産を持っておこう」といった動機からの暗号資産への投機は抑制できるのではないかとの見解もある。
一方、現金が脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)などに用いられやすいことを問題視する立場からは、高額取引を現金から中央銀行デジタル通貨にシフトさせれば、これらへの対策を強化できるとの主張もある。例えば中国人民銀行は、デジタル通貨発行を検討する目的の一つに「脱税の防止」を挙げている。
「デジタル取り付け」も
中央銀行デジタル通貨の問題は、決済・金融システムのあり方や金融政策の有効性などを巡る国際的な議論にも、大きなインパクトを与えている。
近代以降の銀行システムの下、銀行は預金の供給を通じて、支払い決済サービスと信用仲介サービスの両方を提供しており、このことは、民間のイニシアチブに基づく資金の効率的配分にも結びついてきた。もっとも、これに伴う部分準備や期間変換(預金など短期の資金調達を長期の融資に回すこと)は、時に金融不安の引き金となり、預金保険や中央銀行の「最後の貸手」機能が必要とされる背景にもなってきた。
この点、学界では、中央銀行デジタル通貨が預金を代替していけば、銀行が期間変換を行う余地がなくなり、預金保険や「最後の貸手」機能も不要になるとの主張がある。これは、いわゆる「ナローバンク論」に近い。
このようなことが起これば、銀行の資金仲介は縮小し、中央銀行のバランスシートは拡大する。
中央銀行は民間のプロジェクトのリスク・リターンの判断において優位にはないため、そのバランスシートの拡大が資源配分をゆがめるリスクが問題となる。デジタル通貨発行を検討している中央銀行も、これによって銀行預金を代替していくことまで狙っているわけではない。
また、中央銀行デジタル通貨が預金や現金と引き換えに無制限に発行可能とされた場合、預金者は夜間や週末でも、インターネットやスマホを通じて預金を中央銀行デジタル通貨に移せるため、「取り付け」がデジタル媒体を通じて急激に起こり、流動性危機を加速させるとの懸念もある。
これを防ぐために、中央銀行デジタル通貨の発行量に上限を設ければ、今度は現金や預金との一対一の交換比率が維持できなくなる。
ただ、すでにネットバンキングを通じて預金を別の銀行に移すことは可能であり、中央銀行デジタル通貨の発行を殊更に問題視すべきでないとの反論もある。
「ゼロ金利制約」消える?
中央銀行デジタル通貨に付利が行われれば、金融政策の有効性も高まるとの主張もある。デジタル通貨への付利水準が広範な金利の「下限」として働くとか、その名目価値を減らすことで容易にマイナス金利を実現でき「名目金利のゼロ制約」を乗り越えやすくなるといった見解である。
もっとも、中央銀行デジタル通貨への付利を政策手段として積極的に使おうとすれば、預金を侵食する可能性も高まる。また、「名目金利のゼロ制約」との関連についても、「現金を廃止しない限り、マイナス金利を免れることは可能であり、ゼロ制約は残る」との反論もある(現在、現金の廃止まで展望している中央銀行は見当たらない)。
加えて、中央銀行が自らの債務の名目価値を一方的に減らすことの経済社会的影響は大きく、中央銀行の信認低下を招くのではないか、さらに、支払い決済手段としての「物差し」の目盛りを動かすことは、経済の混乱につながるのではないかといった論点もある。
中央銀行デジタル通貨を巡る議論は、実務面にもさまざまな影響を及ぼしている。
中央銀行デジタル通貨の発行は、中央銀行が口座へのアクセスを広範な人々に認め、その決済システムを1年中稼働させるのと似た効果を持つ。複数の中央銀行は、「デジタル決済のリスクを減らす観点からは、中央銀行決済システムを継続的に稼働させ、民間のリテール決済を支援することでも類似の効果が得られる」と述べている。
実際、欧州中央銀行や豪州準備銀行はこのような対応をすでに行っているほか、他の中央銀行でも、決済システムの稼働時間を延長する事例が目立っている。
同様に、デジタル決済のリスクを減らすうえでは、中央銀行デジタル通貨の発行にまで踏み切らなくとも、より広い主体が中央銀行の口座を直接利用できるようにする選択肢もある。さらに、中央銀行預金へのアクセスを広げることで、その金利が広範な金利の下限として働く効果も強まり得る。
実際、イングランド銀行やスイス国民銀行が最近、ノンバンク支払決済企業の中央銀行口座へのアクセスを認めるなど、中央銀行が自らのインフラへのアクセス拡大に取り組む事例も増えている。
銀行の革新を迫る「黒船」
現在、データは「21世紀の石油」として一段と注目されている。あらゆる経済取引が支払い決済を伴うなか、デジタル決済手段は、データを収集し活用するツールとしても大きな期待を集めている。
これまで、支払い決済に伴うデータの集積や活用は、主に金融機関に委ねられてきた。しかし現在、巨大IT企業やeコマース(電子商取引)、フィンテック企業など新たなプレーヤーが、デジタル決済分野に一斉に参入している。
このことは、これからの支払い決済手段に「情報・データの媒介」という役割も期待されていることの表れともいえる。支払い決済手段が「ネットワーク外部性(利用者が増えるほど利便性が上がること)」を持つこと、中央銀行マネーに信用リスクがないという優位性があることも踏まえれば、中央銀行デジタル通貨が他の支払い決済手段をクラウドアウト(淘汰(とうた))し、民間によるデータの利活用に影響を及ぼすリスクにも配慮する必要があろう。
* * *
新たな企業のデジタル決済への参入や中央銀行デジタル通貨への関心の高まりは、支払い決済ビジネスやこれに伴うデータの収集という、これまで民間銀行が圧倒的な優位性を持っていた分野がチャレンジされている状況ともいえる。
この意味で、これらの動きは、日本を含め各国で、銀行部門のオーバーキャパシティーや「オーバーバンキング」の問題を浮き彫りにし、既存の金融業にもデータの収集と利活用の取り組み強化を促している。
中央銀行デジタル通貨の問題は、金融システムや金融政策への影響に加え、支払い決済に伴うデータを経済社会全体としていかに有効活用していくかという観点からも、検討が深まっていくことが期待される。
(山岡浩巳、フューチャー経済・金融研究所所長)