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教養・歴史 「日本人」を考える

外国人の日本人論に学ぶ=孫崎享

日本を「奴隷国」と呼んだトルーマン大統領(左)
日本を「奴隷国」と呼んだトルーマン大統領(左)

 私は『戦後史の正体』(創元社、2012年)や『日米開戦の正体(上・下)』(祥伝社、15年)など、日本の歴史に関する本を書いてきた。その際、外国人の考え方を参考にするが、彼らの的確かつ簡潔に本質を見抜く力に敬服してきた。そして、さらに一歩進めて、外国人による日本人論を集めた本を作れたら、と考えるようになった。

 外国人が日本を見る際の指摘は率直である。

 『日本国の正体 「異国の眼」で見た真実の歴史』孫崎享著 はこちら

 例えば、戦後の占領時、日本は外国軍である米国に占領された。当然、抵抗があってもいい。しかし、それはほとんどなかった。なぜなのか。

 マサチューセッツ工科大学総長のカール・コンプトン博士は、戦争後日本を訪問し、トルーマン大統領に次のように報告している。

「日本人は事実上、軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国であったこと。そこで一般の日本人は、一方のボスのもとから他方のボスすなわち現在のわが占領軍のもとに切り換わったわけである。彼らの多くの者には、この切り換えは新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」(ハリー・S・トルーマン著『トルーマン回顧録(1・2)』、恒文社、1966年より)

 また、戦後ではあるが、ダグラス・ラブレース米国陸軍戦略研究所所長は「日本は真珠湾攻撃という“愚策”をなぜ選択したのか」と自問し、「日本が一九四一年に下した米国攻撃の決断はまったく合理性に欠け、ほとんど自殺行為であったと考えられている。アメリカは日本の十倍の工業生産力を持っていた。もちろん日本がアメリカ本土を攻略することなど、できるものではない。そんな国と戦って日本は勝算があると考えたのだろうか。太平洋方面の戦争でわが国と戦えば負けることはわかりきったことだった」と答えている(ジェフリー・レコード著『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』、草思社、2013年の序文より)。

 こうした数々の発言を読んできて、私は外国人が日本の歴史をどのように見ているかをできるだけ多く考察して集大成すれば、そこには切れ味鋭い歴史書が現れるのではないかと思い、この秋上梓(じょうし)した『日本国の正体』(毎日新聞出版、19年)を書いたのである。

鎌倉時代に興味津々だったライシャワー駐日大使
鎌倉時代に興味津々だったライシャワー駐日大使

外国人視点の新鮮さ

 私が外国人の見解からなる日本の歴史を書いてみたいと思った背景には、今日の日本の政治情勢がある。「保守勢力」といわれるグループは「日本を取り戻す」というスローガンの下、戦前復帰を目指す。いっぽうの「革新勢力」は現状維持を目指す。「保守勢力」は戦前復帰を目指すのであるから、戦前の日本の歴史を肯定的にみる。他方革新勢力は戦前の日本の歴史を必ずしも肯定的に見ず、戦後体制が望ましいとみる。

 残念ながら両者の間に知的な対話はない。各々が相手のイデオロギーを受け入れられないものとみなし、生産性のない不毛な議論に終始している。

 そんな思いを抱きながら、例えば外国人が「英雄」という概念から日本を論じたとき、そこにははるかに新鮮で日本理解を深めてくれるような思考に出合うことができる。

 駐日大使で東洋史研究者であったエドウィン・O・ライシャワーは、鎌倉時代についてこう述べる。

「鎌倉の政治を研究することには異常に興味がある。何故ならば、七百年も続いた制度──そのようやくなくなったのはまだ記憶に新しいことであり、かき消すことの出来ぬしるしを現代人の上に残している──の最初の発達を、この鎌倉政治に跡づけることができるから」(ジョージ・サンソム著『日本文化史(中)』、創元社、1951年より)

 となると、鎌倉幕府を切り開いた源頼朝こそ日本史の中で最大級の英雄でなければならない。だが事実はそうではない。日本人はむしろ、弟の義経を英雄視した。

 日本学者のアイヴァン・モリスは次のように記している。

「どの国の歴史でもそうであるように、日本史の英雄の大多数は戦士。だが、日本(の英雄像)が他国と大きく異なっている点は、彼等のうち敗者の側について戦った者が尊重されることである。(中略)義経とは対照的に、日本の歴史上最も重要な指導者のひとりであった兄の源頼朝は、成功者として生きた。彼は成功者として生きるために、義経伝説の薄暗い背景へと追いやられなければならなかった。その背景の中で頼朝の影は猜疑心の強い復讐の鬼としてうごめいている」(『高貴なる敗北─日本史の悲劇の英雄たち』、中央公論新社、1981年より)

 ライシャワーとモリス、この2人の頼朝論、義経論は「日本人は何者であるか」についての考えを深める契機となる。

靖国も伊勢も「日本」

 保守派の人々は靖国神社を非常に大事にするが、これも外国人が日本の伝統について冷静に考察した視点によって相対化されてしまう。靖国神社には大鳥居があり、見事な灯篭(とうろう)が並んでいる。堂々とした拝殿がある。だが、その趣は伊勢神宮や出雲大社とは異なる。

 イタリア人の写真家で東洋学者である学者フォスコ・マライーニは、伊勢神宮についてこう述べる。

「大きな建物、柱、塔、モニュメントがあるのではないか? ところが、そんなものなど、どこにもない。(中略)彼らは理解したんだ。自然は、人間の作るどんなものにもまして、万物の根本的な神秘への尊敬を呼びさますということを」(フォスコ・マライーニ著『随筆日本─イタリア人の見た昭和の日本』、松籟社、2009年より)

 保守派の人々が「日本を取り戻す」という時の日本とは何か。それは決して、鎌倉時代以降の武人社会だけを意味するものでないはずだ。先のライシャワーとモリスが指摘するような「日本の英雄=敗者へのシンパシー」という視点のみで事足れりとするなら、そもそも鎌倉時代以降の社会の基礎を作った頼朝についてまるで理解できていない、ということになる。

 そして、威風堂々たる靖国神社よりはるかに長い歴史を持つ伊勢神宮の「なにもなさ」を見ると、「保守」概念も依拠すべき日本の姿もまったく変わってくるだろう。

 外国人の言葉ばかり見てきたので、ここで日本人の言葉を見てみよう。与謝野晶子訳『源氏物語』「乙女」の中に、今日言われるところの「大和魂」に通じる「日本魂」という言葉が出てくる箇所がある。これは確認できる文献としては、「大和魂」なる概念が登場した最初だとされている。

「家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑されましても、なんらみずから恃(たの)むところのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。日本魂をいかに活かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます」

 平安期を離れ、武家の社会になると、「日本魂」の意味合いがすっかり変わってしまう。この現象は明治政府が軍と軍人を重視した明治期にも見られた。そして「サムライジャパン」という言葉が示すように、サムライ=ジャパンとなっている。だがこれまでずっと見てきたように、日本は本来、サムライ=ジャパンよりもずっと深遠なものを持っているのでないか。

 外国人の日本論、日本人論こそ、しばしばそのことを教えてくれる貴重な機会なのである。

(孫崎享・元外交官)


 ■人物略歴

孫崎享 元外交官
孫崎享 元外交官

まごさき・うける

 1943年生まれ。東京大学法学部中退後、外務省入省。国際情報局長、駐イラン大使などを歴任。外交官としてのキャリアを生かし、国境問題、日本の戦後史などについて数々の著作を発表。今秋、外国人による日本論、日本人論を集大成して考察した『日本国の正体』を上梓。

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