新型コロナがもたらした「観光立国」戦略の破綻が金融システムを揺るがす=河野龍太郎(BNPパリバ証券チーフエコノミスト)
日本では2月後半以降、新型ウイルス感染防止のため、企業が出張を減らして在宅勤務にシフトするだけでなく、消費者も外出を控えるなど、サービスを中心に支出抑制の動きが顕著になっている。2月26日には、政府が大規模イベントの中止や延期、規模縮小を求め、その翌日には全国の小中高校に3月2日からの休校を要請。経済の未曽有の落ち込みが生じる可能性が高まっている。
2019年10〜12月期の国内総生産(GDP)は、消費税増税や台風19号などの自然災害によって、前期比年率7・1%の大幅なマイナス成長に陥った。20年1〜3月の成長率は当初、小幅マイナスにとどまると考えられていたが、3月末まで人々の巣ごもりが続けば、年率マイナス4%程度の落ち込みが避けられないだろう。
前例のない政府のイベント中止・延期要請や人々の巣ごもりが奏功し、感染が早期に終息すればよいが、仮に年度をまたいでもなお、世界的に終息が見えてこない場合、どのような事態が生じるか。以下、高まりつつあるリスクシナリオを分析した。(コロナ恐慌)
インバウンドの低迷
まず4〜6月は年率マイナス3%前後の成長となるだろう。この場合、単に回復時期がずれ込むだけでは済まない可能性がある。3四半期連続のマイナス成長ともなると、さまざまな2次的悪影響が波及してくるためである。
これまで、供給のショックがあってもそれは一時的なもので、需要は存在するのだから、生産など経済活動が再開しさえすれば、同時に経済の自律回復が始まると考えても差し支えなかった。しかし、ショックが長引き、恒常所得の下振れが生じたと捉えざるを得なくなると、元の成長経路に復帰できなくなる恐れがある。1970年代初頭や90年代初頭のように、トレンドの下方屈折が生じた場合、総需要の大きな減速が生じ、強い負の乗数メカニズムが働く。
そのきっかけとなるのが、ここ数年の間に蓄積された金融不均衡の調整だろう。近年、日本の内需をサポートしてきたのはインバウンド(訪日客)関連だ。米中貿易摩擦の状況下にもかかわらず、昨年7〜9月まで日本経済が堅調だったのもそのお陰だった。インバウンドの高い成長を当て込み、宿泊・観光セクターは借り入れや設備投資を増やし、都市再開発関連投資も続けられてきたが、感染の終息が遅れれば、これらが過剰ストックや過剰債務となるリスクが高まる。
四半世紀に及ぶ超低金利政策の継続で、貸出金利は大幅に低下し、資金利ざやが大きく悪化した地域金融機関が近年、注力してきたのも、インバウンド関連や不動産関連の融資だった。日本は疫病に犯された国というレッテルを貼られ、インバウンドの低迷が長引き、早期回復が期待できないとなると、これらが不良債権化する恐れがある。
筆者が懸念するのは、東京五輪が中止されることだ。国内で新型コロナウイルスが終息しても、米欧で感染が広がり、参加国不足で開催できない可能性がある。この場合、単に実体経済が大きなダメージを被るばかりではない。これまで成長分野と信じられ、多額の経済資源が投入されてきたインバウンド関連や都市再開発関連の一部が不良債権化し、金融システムを揺るがす問題に発展する恐れがある。人々の期待成長率の下方屈折も加わり、大きな不均衡の調整を余儀なくされるリスクがある。
新興国融資にダメージ
金融問題はそれだけで終わらないかもしれない。グローバル不況のリスクが高まるとしても、昨年の米中貿易摩擦の際と同様、米連邦準備制度理事会(FRB)の利下げで対応できればよいが、それが不能となった現在、日本の大手金融機関が海外で抱えるローンや金融資産の価値の毀損(きそん)によって、ダメージを被る恐れがある。異次元緩和の下で、大手金融機関は海外投資を進め、世界の成長のエンジンと皆が信じてきた新興国での投融資も拡大させた。しかし、その新興国経済は米中貿易摩擦で大きなダメージを被っており、さらに今回の新型コロナでまた大打撃を受ける。
正確に言えば、米中貿易摩擦の際、新興国経済は米国の金融緩和のお陰で大きな打撃を避けることができた。本来、新興国は中国との深い結びつきから、米中貿易摩擦の悪影響を最も強く被るはずだった。00年代終盤の国際金融危機以降、FRBの超金融緩和傾向が継続されたため、新興国ではドル建ての債務が大幅に膨らんでいた。
米中貿易摩擦をきっかけに実体経済の調整が始まれば、債務リストラを余儀なくされ、景気が大きく落ち込んでも不思議ではなかった。しかし、19年は米中貿易摩擦の激化で不確実性が高まり株価が下落すると、FRBが異例の早いタイミングで3度の予防的利下げを実施し、グローバル経済が不況に陥るのを回避した。新興国も債務リストラを免れ、それどころか新たな借り入れを増やすことで支出が刺激され、早い段階で下げ止まっていた。
FRBのゲームのルールは明らかに変化しており、今回も実体経済の悪化が顕在化する前の段階から株安に対応し、3月3日には0・5%の緊急利下げに踏み切り、15日さらに1・0%利下げし、ゼロ金利とした。
金融不均衡の調整リスク
問題は、FRBによる利下げがまったく機能していないことだ。昨年までは、利下げで大量の社債発行が促され、それを原資とした自社株買いやM&A(企業の合併・買収)によって株価が上昇、資産効果で個人消費が刺激されてマクロ経済が浮揚し、株高が正当化されていた。だが、米国内で感染が広がり、その防止のために企業や家計が経済活動を控える事態となり始めたため、金融緩和を行っても支出は刺激されず、当然にして株高も維持できなくなっている。
世界金融危機以降、景気回復が揺らぐとFRBが金融緩和を行い、米国のみならず、新興国もドル建て債務を膨らませて支出を増やし、グローバル経済の回復が延命されてきたが、米国の利下げで世界経済が支え切れなくなった今、過剰債務の広範囲な調整が同時に起こり、グローバル経済の落ち込みが顕在化するリスクがある。だとすると、新興国企業は大幅な債務リストラを余儀なくされ、落ち込みが大きくなる。その時、新興国への有力な貸手である日本の大手金融機関も少なからぬダメージを受けかねない。
新型コロナをきっかけに、内外の金融不均衡の大きな調整が訪れ、日本経済は金融システムの動揺を含む深刻な後退に直面するリスクが高まっている。
■河野龍太郎(BNPパリバ証券チーフエコノミスト)
(本誌〈リスク 五輪中止で観光投資が不良債権化 新興国債務リストラのダメージも=河野龍太郎〉)