何が起きるか/5 くすぶる円高圧力 大局観は「ドル安・円高」 世界景気後退で100円も=橋本将司
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大による景気悪化懸念から、最近のドル・円相場は約3年ぶりとなる1ドル=101円台をつけるなど大きく値が動いている。為替相場予測においては、(1)市場のリスク選好度、(2)名目金利差、(3)為替相場の水準感、(4)各通貨の個別材料──という四つの要因が重要だ。(世界経済入門)
適正値は100円近辺
まず、(1)市場のリスク選好度とは、投資家の投資意欲がどれくらいあるかを表す概念である。世界景気の改善により投資家がリスクを取りやすくなって資金が安全資産からリスク資産に流入するような状況を「リスク選好局面(リスクオン)」、逆に景気悪化により資金がリスク資産から安全資産へ逃避するような状況を「リスク回避局面(リスクオフ)」とする。こうした局面ごとにドル、円、ユーロ、新興国通貨の強弱をまとめたのが図1である。
日本は経常黒字国、かつ世界最大の対外純債権国で、低インフレであることから、円は最も安全な通貨とみなされている。リスク回避的な局面では最も買われやすい通貨であり、円高になる。リスク選好局面では最も売られやすく円安になる。
一方、ドルは世界の基軸通貨であり、世界中の投資家が基準とする通貨だ。リスク回避的な局面ではリスクマネーが戻ってくる、つまり投資家がリスク資産を売って、買い求める「安全な通貨」とみなされ、円に次いで上昇しやすい。リスク選好局面では、ドルには2通りの反応がある。中国など米国以外の地域の景気拡大が世界景気のけん引役となる場合は、リスクマネーの流出によりドルは円に次いで下落する。一方、米国の景気拡大がけん引役となる場合は、米国に前向きなリスクマネーが流入する結果、一転ドルが最も上昇することになる。
ユーロはドルに次ぐ主要通貨であることから、ドルの売り買いの受け皿としてドルと逆方向に動きやすい。ドイツを筆頭に経済の外需依存度が高いことも手伝って、ドルや円に比べて世界景気や市場リスクに対して敏感に反応しやすく、リスク選好局面では、ドルや円よりも上昇しやすい。新興国通貨は、ハイリスク・ハイリターン通貨とみなされている。リスク選好局面では最も買われやすい(米主導のリスク選好局面を除く)。
(2)名目金利差は、ドルや円など各通貨建て資産の投資利回りの違いを決める重要な要因の一つだ。金利が上昇する通貨は投資利回りが上昇することから資金が流入しやすく、買われやすい。各国の金融政策は、金利差要因に大きく影響を与えるため、為替予測において見逃せない要素である。
(3)為替相場の水準感は、各通貨の長期的な適正水準からの乖離(かいり)幅である。国際通貨基金(IMF)は毎年、加盟国に対する審査を行い、構造的な経常黒字・赤字に対応する為替相場水準を推計している。2018年の平均実質実効為替レートで見るとドルは9%の過大評価(割高)。円は1・5%、ユーロは3・0%の過小評価(割安)となっている。これに基づく実際のドル・円の長期的な適正水準は、19年末時点で約98円となる。
もう一つの適正水準の参考指標である、経済協力開発機構(OECD)発表の購買力平価でも19年時点で約103円であり、100円近辺が長期的な適正水準とみることは妥当だ。ここ数年の110円を挟んだドル・円は、長期的な適正水準と比べ、ドル高・円安方向に乖離していたことになる。過去のドル・円の推移を振り返ると、数年にわたって長期的な適正水準から乖離することは珍しくないが、今後の材料次第では、本来の適正水準である100円近辺への潜在的な調整余地はあり得る。
(4)個別材料は各国固有の政治・経済関連の材料であり、内容によっては(1)や(2)の要因を凌駕(りょうが)する変動要因となる。近年は英国による欧州連合(EU)離脱問題はユーロ安、英ポンド安の材料となり、米中通商摩擦は人民元安の材料となった。
「ドル高」対「円高」
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、世界景気の減速懸念を高め、市場心理の観点から、リスク回避的な地合いを大幅に強め、円高要因となった。また、名目金利差の観点からも、米連邦準備制度理事会(FRB)の緊急利下げなどを受けた米金利急低下により、日米の金利差は大幅に縮小したため(図2)、ドル売り・円買いが進み、ドル安・円高圧力となった。
一方、個別材料としては、市場の緊張度が高まる中、リーマン・ショックの際にみられたようなドル資金需給の逼迫(ひっぱく)によるドル高圧力も強まっており、一時的に円高圧力を上回った。これによりドル・円は110円を超えるドル高・円安がみられた。
現時点でコロナウイルスの世界的な感染拡大終息のめどは立っていない。今後1~2カ月で世界景気のさらなる減速が確認されれば、リスク回避の強まりによる円高圧力と、ドル資金需給逼迫によるドル高圧力の綱引きとなるだろう。
当面ドル・円は104~113円程度で推移、FRBによるドル資金供給策などが効果を発揮してくれば、次第にレンジ下半分(104~108円)へ円高圧力が強まる展開を予想する。
感染拡大終息のめどがつき、世界景気の深刻な落ち込みが回避される見通しが立てば、円高圧力は和らぐだろう。ただ、世界景気がV字回復とならない限り、FRBの利下げによる米金利低下もあり、ドル高・円安圧力は高まりにくいだろう。仮に、世界景気の後退が本格化した場合は、再び100円を試す局面もありえよう。
(橋本将司・国際通貨研究所上席研究員)