小説 高橋是清 第90話 我らの仲間=板谷敏彦
(前号まで)
連勝を続けながらも日本の戦費は尽きようとしている。2度目の公債発行にこぎつけた是清は世論の批判にさらされていた。欧米投資家は旅順攻略戦の趨勢(すうせい)に注目している。
明治37(1904)年12月9日、是清が日本への帰路ニューヨークに到着した翌日のことである。
ウォール街近くのクーン・ローブ商会を訪ねた是清は、ちょうど米国に滞在中だったマックス・ウォーバーグと会談した。
マックスはドイツ・ハンブルクの有力なユダヤ系のマーチャント・バンク、ウォーバーグ商会の当主である。同商会はヤコブ・シフのクーン・ローブ商会が引き受けた米国の鉄道債や株式をドイツで販売することでハンブルクにおいて頭角を現してきていた。
モルガン商会が、英国の潤沢な投資資金を当時の新興国で資金需要が旺盛な米国に流し込んだように、彼はドイツに蓄積された資金を米国に投資する役割を担っていたのだ。
当時のウォーバーグ家は男5人女2人の7人兄弟で、長男は芸術家となり次男のマックスが家業を継いでいた。シフ家とはビジネス上の関係だけではなく親戚の関係でもあった。
ウォーバーグ家
遡(さかのぼ)ること10年前の1894年、恒例になっていたシフが家族を連れての欧州旅行の最中だった。
マックスの弟で四男坊のフェリークス・ウォーバーグは、シフの娘フリーダと恋に落ちた。
シフは派手好きで遊び人のフェリークスのことを気にくわなかったが、米国に移住してクーン・ローブ商会で働くことを条件に結婚を許した。
フェリークスはやがてクーン・ローブ商会のパートナーとなって、後にニューヨーク社交界にその名を残すことになる。
このフェリークスとフリーダの結婚式に際して、当主のマックスはまだ独身だった。
両親はハンサムなマックスもまた派手なアメリカ娘にたぶらかされてはいけないと用心して、代わりに頭は良いが、ちょっと地味な三男坊のパウル・ヴァールブルク(ウォーバーグの独語読み)を米国に行かせた。
ところがフェリークスの介添役を務めたこのパウルは、花嫁フリーダの介添役を務めたアメリカ娘のニーナ・ローブ(クーン・ローブ商会のソロモン・ローブの娘)と恋に落ちてしまうのだ。
「ニーナと結婚したい」
フェリークスを米国にとられたウォーバーグ家としては、今度はニーナが移住してパウルとドイツに住むことで当面の折り合いをつけた。
ところが1902年になって、病気で伏せがちになったニーナの母の懇願に、2人はドイツを離れてマンハッタンへと移り住む。
病気が理由ではあったが、この時代、若いユダヤ人にとって自由な空気の米国生活は魅力的だったのだ。パウルはウォーバーグとクーン・ローブ商会双方のパートナーとなった。しかしこの時、このことが後に米国の金融史を大きく変えることになるとは誰も思わなかった。
* * *
是清の話からは少し外れるが中央銀行の歴史にとっては大事なことなので続けよう。
英語読みでポールとなった勉強家のパウルは、欧州の中央銀行の制度に詳しかった。1902年の米国経済が低迷する中で、ポールは米国金融制度の欠陥をすぐに見抜いた。それは中央銀行の不在である。当時の米国にはいまだ連邦準備制度理事会(FRB)は存在しなかったのだ。
ポールはすぐに論文を書き上げたが、中央銀行設立を示唆するその論文は州ごとの分権(連邦)主義者が多く、国家による管理を嫌う人たち、ことにシフの仲間の金融業界にとってあまりに過激なものだった。それゆえ論文を見たシフからは、しばらくは机の引き出しから出してはならぬとたしなめられたのだった。
ところが1907年に再び恐慌が米国を襲うと、ポールはメディアにむけて中央銀行の構想を積極的に語り始めた。1907年11月12日には米『ニューヨーク・タイムズ』に小論文「我が国の銀行制度の短所と必要性」が掲載され、米国は中央銀行を設立して緊急時に支払われるべき準備金を集中して対処せねばならないと主張した。
こうしてポールは米国の中央銀行創設への理論的支柱となり、1913年の連邦準備制度の設立へと貢献するのである。彼はこの件で1911年に米国に帰化している。
さて、是清とマックス・ウォーバーグの会話に戻る。この時の内容は何も残されていないが、マックスは後に是清のことを「私が面識を得た各国大蔵大臣の中ではいちばん計数に明るい人だった」と評価している。
是清は、シフとその仲間たちを通じて国際金融の世界に人脈を広げていくことになった。
ロシア革命の足音
13日、是清は金子堅太郎と面談した。金子がいうには、クーン・ローブ商会のライバルであるモルガン商会はロシアのファイナンスをもくろんで日本に敵対的な行動をとっていると告げた。あくまでうわさである。
モルガン商会は、日本政府へのファイナンスという事業でクーン・ローブ商会に出し抜かれたと考えていた。
14日、ナショナル・シティバンク(現シティグループ)のジェームス・スティルマンと面談。米国金融界の大立て者である。今後の日本公債の米国募集では大きく力になってくれることだろう。
そして是清は米国に旅行中のカッセル卿とも面談する機会を得た。これが初対面である。
是清はシフとは初対面の時から気が合うとは思っていたが、会えば会うほど仲が良くなっていく気がした。
「シフさん、2回目の公募の条件は随分と厳しいものでした。正直に申し上げて、このままいけば、日本はまた半年もすれば正貨が枯渇するでしょう。日本は今後もファイナンスを続けていけるのでしょうか?」
「高橋さん、これまでは日露どちらが勝つのか、状況判断には難しいものがありました。
しかし、いよいよ旅順要塞(ようさい)は陥落しそうです。するとロシアは旅順に退避中の太平洋艦隊を失い、目下遠征中のバルチック艦隊単体で日本艦隊と戦わねばなりません。シティーではロシアの極東での制海権の回復は困難だと見ています。
また旅順の包囲作戦から解放された乃木軍は北方へと転換できましょう」
シフは詳細に戦況を追っていた。
「そして何より、ロシア国内では革命の動きが見られます。ロシア人も今度の戦争は負け続きだと感じているのでしょう。不満は体制へと向かいます。ペテルスブルクでは学生たちが『戦争中止』のデモを始め、労働者たちは『打倒専制』のストライキを打っています」
これこそがニューヨーク・ユダヤ人商人会を率いるシフが日本のために資金を調達した理由であったのだ。
「ロシアの騒動が大きくなれば、それは日本にとって資金調達のチャンスです。もう高橋さんは我々の仲間をよくご存じです。電報1本でこれまでの2倍、3倍の公債を発行できることでしょう」
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)