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教養・歴史 コレキヨ

小説 高橋是清 第91話 一時帰国=板谷敏彦

桂太郎(左)と山県有朋
桂太郎(左)と山県有朋

(前号まで)

 旅順は陥落寸前。ニューヨーク・ユダヤ人商人会を率いるヤコブ・シフと是清の良好な関係が、戦費調達の要になっている。シフは是清に、ロシア国内に生じている革命の動きを伝えた。

 米国を離れた是清と深井は正月を太平洋上で過ごし、明治38(1905)年1月10日に横浜港に到着した。昨年の2月24日に出国したので帰国は約1年ぶりになる。

 是清は入国のための検疫を受けている最中の元旦に旅順のロシア軍が降伏したという話を聞いた。当時の無線の能力では、米国航路であれば鹿島灘付近にまで到達しなければ日本から電波が届かない。船が太平洋を航海中は何もわからなかったのだ。

 またロシアの学生デモや労働者のストライキも日々過激さを増してきており、是清はニューヨークでシフと話したように、次の資金調達はこれまでに比べてよほどスムーズに運びそうだと確信を持ったのだった。

つかの間の再会

 久しぶりに赤坂の自宅に帰った是清は妻品子と懐かしく触れ合った。是清かぞえで51歳、品子はこの時40歳、是清は品子を大事にした。

 ロンドンで是清の仕事を手伝った長男是賢は28歳。その後横浜正金銀行ロンドン支店トレーニーから、今はオランダへ留学中である。

 次男是福は24歳。三井物産の東京で働いている。ここまでの2人が先妻柳子との間の子である。

 是清が猫かわいがりしていた長女和喜子(14)と三男の是孝(12)、そしてもう一人、他の兄弟から歳が離れた四男の是彰(4)が現在の妻品子との子である。

 そして英語を勉強するために手伝いに入っていた品子の姪にあたる直子(23)もいた。彼女はニューヨークの是清宛に手紙をくれた人だ。そして是清はその時「直からの手紙」とそれを特筆した。

 是清は後に直子との間に4人の女子をもうけることになる。つまり是清は父川村庄右衛門がそうしたように、若いお手伝いに手を出したことになる。

 是清と面識があった報知新聞記者、今村武雄は昭和25年に『評伝高橋是清』を出版したが、その中で是清の両親のいきさつを念頭にこう表現している。

「遺伝学説の正しさを思わずにはいられない。高橋はかなり老年になるまで、その肉的な欲求にうちかつことができないで悩んだ」

 父庄右衛門との違いは、直子がそうした家庭内における立場を受け入れたことだ。直子とはその後も側室のような関係が続き、直子はでしゃばらず立場をわきまえた。

 1月11日松尾臣善(しげよし)日銀総裁が是清宅を訪問、12日曾禰(そね)荒助大蔵大臣、13日元老松方正義、14日元老井上馨、15日桂太郎総理大臣とそれぞれ帰朝報告をこなし、16日には皇居に参内した。

 是清は、政府首脳に対して現地での資金調達の困難さを説明しなければならぬと気負って帰国してみたものの、彼らにすれば、そのあたりの困難は先刻承知だった。

 是清は今回の外債発行の功を認められ、位2級進級し従四位へ、さらに貴族院議員に勅撰(ちょくせん)された。

 また第1回、第2回の海外募集で功労のあった外国人に対する叙勲もあった。

 ベアリング商会のレベルストック卿に勲一等瑞宝章、ヤコブ・シフには勲二等瑞宝章、その他数名に勲章が授与された。

血の日曜日事件

 是清が日本に帰ってきてからも、ロシアの国内情勢はますます悪化しつつあった。

 1月20日、ドイツ人医師ベルツの日記。

「ロシアの内情は、いよいよ険悪の模様である。政治的要求をかかげた大ストライキは、日常茶飯事である。おまけに今度は、大増税が行われるそうだ」

 1月22日日曜日、ロシア、サンクトペテルブルクでとうとう事件が発生した。

 6万人規模の民衆がニコライ2世に対して「労働条件の改善」「政治的権利の付与」「憲法の制定」「日露戦争の中止」を請願するために冬宮広場に参集した。

 しかしこの集会は「打倒専制」ではあっても「打倒皇帝」ではなかった。皇帝にお願いするために臣民は集まったのである。

 ところがニコライ2世は不在、あろうことか軍はこの群衆に対して歩兵による発砲と騎兵による切り込みをもって制圧してしまったのだった。

 これが「血の日曜日事件」である。

 ロシアでは既に多くのデモやストライキは発生していたが、政府側が銃と剣を民衆に向けたことが事件となったのだ。

 この後全国規模にデモが拡散し、ロシア第1革命へと展開する。ニュースは世界を駆け巡った。

 こうなると国際金融市場はロシアの継戦能力を疑い始めた。また鉄道員のストライキはシベリア鉄道の軍事物資輸送の障害になった。

   *     *     *

 1月下旬のある日、是清が桂太郎首相に呼び出されて首相官邸に赴くと、伊藤博文、山県有朋、松方正義、井上馨と元老たちがそろっていた。

「ロシアも大変なことになっているようだし、この際、さらに2億ないし2億5000万円ぐらいの公債を出したいと思うが、できるか?」

 桂が是清に聞く、

「2億5000万であれば、確かにできます。私の電信一本でできます」

 是清は、今ならば米国のシフに電報で相談すれば、現地へ行かずともできるという確信があった。

 すると井上が口を挟んだ、

「それは電信などではいかぬ。是非おまえが行かなけりゃならぬ」

 その時、伊藤が山県に向かってこう言った。

「高橋は、金はできるというじゃないか」

 山県はそれを聞いて立ち上がると、両手をポケットに突っ込み、すこしうつむきかげんに室内を歩きながらぼそぼそと独り言をつぶやいた。

 桂はその山県の独り言を察して、是清に聞いてきた。

「高橋くん、戦に負けても公債は発行できるか?」

 是清は答えた。

「負け方によります。条件は悪くなるでしょうが、資金は何とかなると思います」

   *     *     *

 この頃満州の地では、黒木の第1軍、奥の第2軍、野津の第4軍が、次の戦略目標である奉天を取り囲むように布陣していた。また旅順攻略戦を終えた乃木の第3軍が彼らの仲間に入るべく奉天を目指して北進していた。

 日本陸軍のありったけの戦力が奉天に結集されようとしていた。

 戦闘では勝っているのに、戦争にはなかなか勝てない。戦術では勝っても戦略では難しい。

 満州では、厳寒期が過ぎて沙河の氷が溶けると、渡河作戦は困難になる。また雪解けの道の泥濘(でいねい)によって大軍の移動に支障がある。

 2月の終わりから3月初めにかけて奉天で一大会戦が行われるであろうというのは衆目の一致するところだった。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

***訂正しました***四男の是彰が「直子の子」とあるのは「品子の子」の誤りでした ***

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