経済・企業歴史でわかる経済危機

「疫病で人口が減ると所得が増える」恐怖の法則は新型コロナでも繰り返されるのか=堀井亮(大阪大学社会経済研究所長)

    (注)所得データは2015年を100とした実質所得。前後2年を含む5年の移動平均 (出所)ブロードベリーほか「British Economic Growth, 1270-1870」(2015)より筆者作成
    (注)所得データは2015年を100とした実質所得。前後2年を含む5年の移動平均 (出所)ブロードベリーほか「British Economic Growth, 1270-1870」(2015)より筆者作成

     記録が残っている中で最悪のパンデミック(世界的大流行)は、14世紀に世界中で流行し「黒死病」と呼ばれたペストだ。当時の世界人口約4億5000万人のうち、約1億人が死亡したとされる。特にヨーロッパでは被害が大きく、英国では1348年からの3年間で国民のほぼ半分が死亡し、人口減少は100年近く続いた。しかしその間、英国の1人当たり所得は倍以上に上昇した(図1)。

     人口減少により労働供給が減り、人手不足で賃金が上がったからだ。人口密度が下がったので、人手を大量に必要とする農耕から、広い土地と牧畜犬を用いた牧畜に産業構造がシフトし、1人当たりの生産性も上がった。英国の人口は16世紀には回復するが、皮肉にも人余りで賃金が下がり、1人当たり所得は低い水準に戻ってしまった。再び所得が上昇するのは19世紀の産業革命期まで待たなければならなかった。

     1918年に流行したスペイン風邪(インフルエンザ)でも、世界で数千万人が亡くなった。日本では38万人、米国でも67万人が死亡した。米ミシシッピ大学のトーマス・ギャレット教授の研究によると、米国ではスペイン風邪による死亡率が高かった州のほうが、翌年までの賃金上昇率が高かった。米ブランダイス大学のエリザベス・ブレイナード教授らの研究も、死亡率が高かった州や大都市ほど、1920年代に大きく賃金が上昇したことを示している。労働者が減り、1人当たりに多くの資本(設備)を使えるようになったためだ。

    「生き残った」人だけ

    (注)1人当たりの所得の上昇率は前後2年を含む5年間の移動平均 (出所)国連世界人口推計、世界銀行、国連合同エイズ計画のデータより筆者作成
    (注)1人当たりの所得の上昇率は前後2年を含む5年間の移動平均 (出所)国連世界人口推計、世界銀行、国連合同エイズ計画のデータより筆者作成

     同様のパターンは、エイズウイルス(HIV)のパンデミックでも当てはまる。主にアフリカ南部で1990年ごろから流行し、これまでに世界で3200万人が死亡した。南アフリカ共和国では、HIV発生前に63歳だった平均寿命が、2005年のパンデミックのピーク時には53歳まで下がった。一方で、エイズ死亡者の増加と平均寿命の低下と歩調を合わせるように、南アフリカの所得上昇率は90年代から05年にかけて大きく加速した(図2)。

     人手不足が賃金上昇につながっただけでなく、女性の労働参加を促したことも大きな要因だ。女性が外で働くと、子育てに使える時間が減り、出生率が下がる。子どもが減れば、一人一人に良い教育を受けさせることができるので、高いスキルが身につき、さらに賃金が上がるのだ。多くの母親がエイズで死亡したため、一時は孤児が増え教育に負の影響もあったが、英ロンドン大学のアルウィン・ヤング教授の研究によると、プラスの効果が大きく上回ったという。

     歴史に学ぶなら、パンデミックは経済成長を促進する、ということになる。ただし、これはハッピーストーリーではない。たとえ賃金や生活水準が上昇したとしても、家族や友人を失った悲しみと比較することはできない。それに、生活が向上したのは「生き残った」人たちだけである。昔話の姥(うば)捨て山や、子どもの間引きのように、口減らしで残った人の生活を楽にするという風習は各地にあった。それが良かったのかどうか、現代人の我々が判断することは難しい。

     ではコロナパンデミックでも、今後の経済成長は促進されるのだろうか。その答えは、二つのファクターにかかっている。

    教育の阻害で所得低下

     一つは、最終的な死者数だ。もし、スペイン風邪のように世界で数千万人が死亡するなら、人手不足による賃金上昇、成長加速が再現するだろう。しかし今のところ、外出制限や渡航制限により、各国政府は死者数や感染者数を抑えようとしている。例年、日本での肺炎死者数は10万人前後だ。コロナウイルスの死者数がそれを大きく超えなければ喜ばしいが、所得上昇効果も限られるだろう。

     もう一つのファクターは、外出自粛、休業・休校要請など、“緊急事態”の抑制措置がいつまで続くかだ。国連教育科学文化機関(ユネスコ)によると、4月24日時点で世界の生徒・学生の90%、15億人以上が、休校などにより学習を妨げられている。コロナウイルスが終息するまでに数年かかるという専門家もいる。休校措置が長期化すれば、オンライン学習が難しい低所得者層や途上国を中心に、人的資本(知識やスキル)の蓄積が大きく阻害され、将来の所得を低下させるだろう。戦争などで学習を一時妨げられた世代は、生涯にわたって低収入になることが知られており、コロナウイルスも同じ悲劇を生む可能性がある。

     米ハーバード大学のロバート・バロー教授の推定によると、国民の平均教育年数が1年減ると、経済成長率は0・44%下がる。この効果は、休校措置で影響を受けた世代が引退するまで何十年も続き、累積では非常に大きなマイナスになる。

     また、休業要請が長期化すれば、経済の下支え策などで政府支出が膨らみ、財政赤字が悪化する。これも教育阻害と同様、経済成長率を低下させる効果がある。

     コロナショックが経済成長につながるか、それとも経済沈滞に向かうか、最終的には政治や国民の選択により決まる。抑制措置を早期に解除すれば、死者は増えるが、所得上昇効果が勝つだろう。人命最優先で抑制措置を続ければ、経済は長期的に悪化する。「人命か経済か?」と聞かれた時、「経済」と答えられる政治家はいない。しかし、いつまでも続けるわけにはいかない。どこかで決断するタイミングが迫られる。

    (本誌初出 パンデミックと経済 ペスト、HIVでも示された人命と成長のトレードオフ=堀井亮 5/26)

    (堀井亮・大阪大学社会経済研究所長)

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