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コロナで「言論の危機」に直面したので、月刊『Hanada』の花田紀凱編集長を直撃してみた(3)=斎藤貴男×花田紀凱【サンデー毎日】
あらゆる政治言論が「保守(右派)VS.リベラル」というイデオロギー対決の図式で語られがちな日本。いま、コロナ禍に直面して、この構図が先鋭化している。
いわく、「未曽有の事態なのだから、多少の不手際は仕方ない。安倍政権を批判すべきではない」。いや、「政権の対応は後手後手で、国民の命と生活を守れていない」――。「いつもの口げんか」に辟易(へきえき)している向きも多いだろう。
この「保守VS.リベラル」の主戦場となってきたのが、月刊『Hanada』(飛鳥新社)だ。『週刊文春』の伝説の編集長、花田紀凱氏が責任編集する保守論壇誌で、「嫌韓・嫌中」をはじめ、リベラル批判を鮮明にする。
その花田編集長に、かつて『週刊文春』記者として師事し、現在はリベラル論壇の一角を占める斎藤貴男氏が斬り込んだ。かつての師弟はいま、論壇で対峙する関係だ。いったいどんな対談が繰り広げられるのだろうか。(司会・構成/山家圭)
(「その2」より続く)
対談を終えて:罵倒ではなく、対話をしよう(斎藤貴男)
「貴男ちゃん、今週も面白かったよ」
夜っぴて書いた原稿をデスクに上げて、真っ昼間から缶ビール片手にウダウダしていると、花田さんはいつも、声をかけてくれた。
30年以上も昔の『週刊文春』編集部。花田さんは〝ミスター文春″の誉れも高い編集長で、私は契約記者だった。
いくら感謝してもしきれない。この人の褒め言葉を聞きたくて、取材に執筆に精進した季節が、私にはあった。あの日々があったから、その後、まがりなりにも物書きとして生き延びてこられたのだ。
幾星霜を経て、その花田さんと私は、互いに妙な立場になってしまった。〝ネトウヨ″雑誌と揶揄(やゆ)される月刊『Hanada』の編集長と、〝その対極にいる″フリー記者。
私自身は文春時代と何も変わっていないつもりなのに。
そんな2人で対談を、との企画を本誌の編集部から提案され、私は飛びついた。私なら花田さんと会って、じっくり話し合うことができる。ならば、自分にしかできない役割を果たすことだって、と。
いざ久しぶりに顔を合わせると、恩人を諫(いさ)めているような感覚に囚(とら)われて緊張した。
3時間も話した。が、なんだか遠慮していた自分が嫌になって頼み込み、後日、改めて2時間も。
人間それぞれ、考え方が異なるのは仕方がない。でも、だからって罵倒し合うのではなく、対話をしよう。そしていつの日か、みんなで再び笑い合うことのできる未来を。
対談を終えて:新自由主義批判、大いに結構(花田紀凱)
約5時間、貴男ちゃんとの対談は楽しい時間だった。
貴男ちゃん、そう、あの頃、文藝春秋にいた編集者やフリーライターたちは、皆、斎藤クンのことをこう呼んでいた。
貴男ちゃんは静かな男である。シャイな男である。大声を出したのを見たことがない。静かに取材し、静かに考え、静かに原稿を書く。
しかし、その原稿には貴男ちゃんが胸に秘めた感動や怒りが、籠もっていた。良い原稿であった。
最近、若いライターと話をしていて、いちばん思うのは、自分がどうしてもこのテーマを書きたいという気持ちが伝わってこないことだ。
そして、自分の書いた文章に愛着がない。目の色変えて、編集者に突っかかってくるライターなんて皆無。
編集者の指摘に反論したり、怒ったりすることは稀だ。
これはライターたちだけの責任ではなく、若い編集者もそうだ。
ひとことで言えば人間関係が希薄なのだ。本音をぶつけ合うということが少ない。
編集者は人に会うのが商売。人に会って、話をし、感動したり、なるほどと思ったり、そういう考え方もあるのか、と啓発されたり。
そういうことを誌面を通して読者に伝える、それが編集者だと僕は思っている。
貴男ちゃん、また話をしましょう。
そして一緒に仕事も。新自由主義批判、大いに結構。
(了)
■斎藤貴男(さいとう・たかお)
1958年生まれ。ジャーナリスト。監視、格差、強権支配をルポルタージュで批判してきた。著書に『機会不平等』『ルポ改憲潮流』『戦争経済大国』『「明治礼賛」の正体』『決定版 消費税のカラクリ』など多数
■花田紀凱(はなだ・かずよし)
1942年生まれ。月刊『Hanada』編集長。66年に文藝春秋入社。88年『週刊文春』編集長に就任。6年間の在任中、部数を51万部から76万部に伸ばす。著書に『「週刊文春」と「週刊新潮」 闘うメディアの全内幕』 (門田隆将氏との共著、PHP新書)など
・対談構成 山家圭(やまが・けい)
1975年、埼玉県生まれ。フリー編集者。社会保障専門誌の編集記者(厚生労働省担当)を経てフリーに。一時、保守論壇誌の編集にかかわる