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ルポ「貧困老人と孤独死」 かつてのNO1アダルトカメラマンが生活保護ののち「行旅死亡人」として処理された顛末=鈴木隆祐(ジャーナリスト)【サンデー毎日】
ジャーナリストの鈴木隆祐氏(53)は今年1月、30年来の友人(享年61)を亡くした。
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死亡日が特定できない、いわゆる孤独死だったという。
友人は東京の片隅でなぜ人知れず生涯を終えることになったのか。鈴木氏が調べ始めると意外な事情が分かってきた。
魅力的な表情の「エロい写真」を取らせたらピカイチだった
1月に孤独死していた私の旧友の名は杉本健一さん。本名ではなく筆名だ。
次のような経緯で孤独死を知ることになった。
杉本さんの先輩カメラマンの田代陽二さん(仮名)は、しばらく連絡が取れないことを心配し、1月27日に杉本さんが住むアパートの管理会社に問い合わせた。
同社社員がアパートを訪れると、遺体はすでに腐敗していたという。
2週間ほど前に死亡した、と警察は推定している。
田代さんはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のフェイスブックに杉本さんが亡くなったことを書き込んだ。
それを読んだ私の編集者時代の元同僚が電話をくれたのだ。
杉本さんと私の関係を少し記そう。
大学3年生だった1988年、私は出版社の白夜書房でグラビア誌の編集アルバイトを始めた。
すぐにグラビアページを担当し、フリーカメラマンの杉本さんによく撮影を依頼するようになった。
私とウマが合い、杉本さんの写真は次第に誌面の中心を占めるようになっていった。
担当したグラビアページには水着姿やヌードの若い女性モデルが不可欠だ。
気まぐれで、ちょっとしたことでふて腐れ、指示に従わない子がいた。
そんなモデルに魅力的な表情をさせ、エロい写真に仕上げるには、それなりの話術やコツが要る。杉本さんはその点でピカイチだった。
元々は製パン工だったと話していた。その後、芸能事務所のスカウトマンをしていた時、カメラに興味を覚えたそうだ。
ピーク時には他の出版社を含め、10誌以上で定期的に仕事をしていた。
アダルト誌(製作する当事者は自嘲的に「エロ本」と呼んでいた)全盛期、グラビアカメラマンがひしめく中で、杉本さんは間違いなく天下を取った一人だっただろう。
リーマン・ショック後に仕事が激減、タイに移住
2000年代はじめ、杉本さんはタイ中部のシラチャにアパートを借りるようになった。
付近の工業団地に進出した日本企業の駐在員が多く住む海辺の町で、杉本さんがのめり込んでいたゴルフのコースが多いところだ。
私は数年後、杉本さんに誘われて現地を訪れた。灼熱の陽射しの下でラウンドし、繰り出す夜の町には早期退職組の日本人男性がカラオケスナックにたむろしていた。
隣町パタヤに足を延ばせば、歓楽街を埋め尽くすネオンがまばゆかった。
リーマン・ショックの前後、ただでさえ不況のエロ本業界が一気に傾く中、杉本さんはむしろ頻繁にシラチャに通うようになった。
そのうちカメラマンとして活躍する場を奪われ、13年にはタイに移住。私とは没交渉になった。
それから7年。彼の孤独死を知った私は、すぐ田代さんに連絡を取った。
「杉本ちゃんは年に何回か、タイにゴルフしに行く客向けの現地ガイドをしていて、『1月半ばに久々に出かける』と張り切ってた。なのに出発日が近づいても、過ぎてもSNSに何も書き込まないし、電話にも出ない。それでアパートの管理会社に連絡したんだよね。彼がアパートを借りる際、緊急連絡先に僕を指定してたから、会社は知ってたの」
田代さんによれば、杉本さんはタイに移住した数年後に病気になり日本に戻っていた。
「そのことは、僕のほかには限られた人にしか知らせてなかったみたい」と田代さんは言う。
「杉本さんはたぶん無縁仏になる」
しばしの入院生活の後、東京・新宿から私鉄の電車に揺られて10分ほどの駅から徒歩7分のアパートに2年前から暮らしていたという。
生活保護を受給していた。
「戻ってからは2〜3週間に1度、1時間ほどお茶をしてた。本当は一杯といきたいけど、病気して戻ってきたわけだし、具合も当初は相当悪くて、歩くのもつらそうだった。最近は徐々に良くなっていたようだったけど……」(田代さん)
杉本さんはタイで不整脈を患い、帰国後すぐに脳梗塞を発症したようだ。
その頃から杉本さんは、SNSに自身の写真は載せず、お気に入りのタイ料理の写真ばかりを公開していた。
私は一時期、杉本さんの弟分のような存在だったから、かつての編集仲間にメールを送った。書くべきか迷ったが、気がかりな点をつづった。
「杉本さんはたぶん無縁仏になる」と。
杉本さんは織物で栄えた北関東の町に生まれた。実母は兄を連れて家を出て、父親の再婚相手とは折り合わず、可愛がっていた異母妹とは疎遠になった―と、酔うとこぼしていた。
結婚して娘ができたが、妻子をあまり顧みず離婚。
元妻が引き取った娘が中学校に上がる頃、元妻は再婚し、全く会っていない様子だった。
兄と父親は数年前に亡くなり、杉本さんは父親の遺産の一部を手にしたようだ。
それを元手にタイに渡ったのだが、僕や仲間には「叔父が残した金」と話していた。
杉本さんの珍しい本名と出生地を基にインターネット検索をすると、親戚とみられる家の電話番号が分かった。電話に出た女性はこう話した。
「警察から問い合わせがありましたけどね。もう何十年も会ってないし、両親だってとっくに死んでます。私はもう88歳で、何もできません」
女性は、杉本さんの元妻はもちろん、妹の連絡先も「知らない」と言った。
生活保護を受給しながら働いていると知られたくなかった
杉本さんが亡くなる直前の様子を知る、旅行代理店の社長の連絡先が分かった。
同社はタイでのゴルフツアーを企画している。
「杉本さんは元々ウチの利用者でした。それから出版業界のお客を紹介してくれてね。彼はタイに来たばかりの頃は飲食店を経営していました。最初はおでんの屋台。その次に始めたラーメン屋はまずまず繁盛し、その後、経営権を人に譲ったと聞きました。ただ、杉本さんは商売に真剣に打ち込むというより、ひまを持て余していた感じでしたね。昔、お客を紹介してくれた恩義もあるんで、4、5年前から繁忙期にツアーガイドのバイトを頼んだのです」
杉本さんは今年1月6日、賃金を受け取りに同社を訪れ、10日に電話もかけた。
「もし区役所から僕のタイ行きの件で問い合わせがあったら、うまく取りなしてほしい」と頼んだという。
生活保護を受給しながら働いていると知られたくなかったようだ。
だが、杉本さんはこの電話から数日後に死亡し、ツアーには同行できなかった。
「区ともめた揚げ句にばっくれたんじゃないかと思っていたんです」(社長)
生活保護受給者の遺体の扱いが「たらい回し」に……
杉本さんは家族や親族に背を向け、心配する友人とも疎遠となった。
だから生活保護を受給していたのだろう。
その場合、保護者は居住する区になる。
警察署や区の生活援護課に死んだ経緯や葬儀などについて問い合わせたが、いずれもコンプライアンス(法令順守)を盾に口が堅い。
白夜書房の先輩、伊坂尚紀さん(仮名)に相談することにした。
法学部出身の伊坂さんは法律に詳しく、「管理業務主任者」というマンション管理に関する国家資格を取っていた。
「友人がなりゆきを心配して連絡しても、福祉事務所は応じない。区民相談係に連絡してみるといいよ。そこから福祉に伝える仕組みだから」(伊坂さん)
区の担当者は物腰の柔らかな女性だった。普段は孤独死を防ぐため、一人暮らしの高齢者を見回る活動をしているという。
話すうちにようやく悲しみが込み上げてきた。
ここで注目すべきは「行旅死亡人」という法令用語だ。
1899(明治32)年にできた「行旅病人及行旅死亡人取扱法」に〈住所、居所もしくは氏名知れず、かつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす〉(1条2項)とまずあり、次いで〈行旅死亡人あるときはその所在地市町村は(中略)その死体の埋葬又は火葬をなすべし〉(7条1項)とある(現代表記に改めた)。
つまり生活保護を受けつつ孤独死した杉本さんは、このまま身寄りが見つからなければ、行旅死亡人に当たる。
しかし福祉課の担当者は火葬後の遺骨は「東京都の管轄のはず」と言った。
都の代表番号に電話すると、なぜか公園緑地部公園課につながった。
電話を取った霊園の担当者は親切に同僚に確認してくれた。
「原則として、孤独死は葬儀の後も区市町村マターです」
たらい回しに業を煮やし、私は杉本さんの死を記事にする決心をした。
私の父は健在で、兄弟との仲もまず良好だが、杉本さんと同じく一人暮らし。孤独死は他人事ではない。
同じ境遇の人に指針を示したいと痛切に思った。
再び区の福祉課に電話をかけると、上司が出て謝罪し、葬儀社の担当者名を教えてくれた。
「警察が検視し、事件性がないと判断したら、葬儀社が預かります。高齢者だと周囲に存命の方がいないことが多く、それほど時間がかかりません。近親者がいるかいないかの確認に手間取ると、半年近く預かる場合もある。『近親者なし』と判断すれば、区長が火葬許可証に判を押し、斎場で火葬するという流れです」(葬儀社の担当者)
そこで僧侶がお経を上げることはないという。立ち会いたい旨を告げた。
「割り当てられる斎場のスペースは小さく、最大12人。事前に参列する方の人数を教えてください」と言われた。
私がメールを出した人数に私を足せば、ちょうど12人だが、その日から1カ月以上経っても、火葬の知らせはなかった。
3月の2週目、区の福祉課からやっと電話があった。初めて話す担当者だ。
この件に手を焼いているらしく、会話の途中、「独り言を言いますが」と何度か断りを入れ、事情をほのめかす。
杉本さんの戸籍から娘をたどり、住所地に手紙を出し、返信を待っている様子。期限は3月末と決めているという。
「それ以上は葬儀社にも迷惑がかかりますしね。(娘は杉本さんと)ずっと会っていなかったのに、いきなり(私が)連絡したところで、戸惑っていると思いますよ」(福祉課担当者)
振り回されるうち、孤独死の現状はどうなっているのか気になった。
ジャーナリストの菅野久美子さんは、〝事故物件〞の取材を通じて孤独死の実態を知り、現場に足を踏み入れてきた。
「孤独死の定義は曖昧で、きちんとした統計はありませんが、東京23区では2017年、死後2日以上経ってから自宅で発見された高齢者は3333人でした。このデータから推定すると、全国で年3万人を超えるのではないでしょうか。孤独死は社会の中で居場所を持てない『社会的孤立』と深く関係しています」
人が死ぬ時、結局は一人だ。それ自体は悪いことでも惨めでもない。
「しかし社会とのつながりを失って、人生の歯車が狂い、不本意な境遇から這い上がれなかった結果なら由々しき事態です。国が孤独死の全国調査をして実態を把握し、対策を実行すべきなのに、後手後手に回っています」(菅野さん)
3月末になって事態は急展開した。杉本さんの元妻から電話があったのだ。
彼女の話によれば、私が杉本さんの親戚と思って電話で話した女性は、実は杉本さんの継母なのだという。
杉本さんの父親が亡くなった際、継母は元妻に杉本さんの連絡先を問い合わせるほど疎遠だった。
杉本さんは父親から相続したのに「叔父の遺産をもらった」と周囲に偽ったことは前述の通りだ。
元妻は「私たちもひどい扱われ方をしたけど、本人も可哀そうだった」と語った。
葬儀には立ち会うという。
孤独死にはさまざまな背景がある。コロナ禍の中で孤独死をする人が増えていると聞く。
法律や防止態勢が十分でない中、結局は他者を思いやる気持ちが、孤独死を食い止めると感じてならない。
鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)
1966年、長野県生まれ。法政大文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、月刊誌、週刊誌、ムックなどの取材・執筆を手がける。著書に『コピーライターほぼ全史』(日本経済新聞出版)などがある