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日本人はなぜオーストラリアで卵を投げつけられたのか=立沢賢一(元HSBC証券会社社長、京都橘大学客員教授、実業家)

米国の黒人男性暴行死事件をきっかけにした人種差別抗議デモで、声を上げる参加者たち=大阪市北区で2020年6月7日午後5時8分、北村隆夫撮影
米国の黒人男性暴行死事件をきっかけにした人種差別抗議デモで、声を上げる参加者たち=大阪市北区で2020年6月7日午後5時8分、北村隆夫撮影

日本人が知らない、世界の人種差別の真実

米国のミネアポリスで始まった、システム化された人種差別問題に由来した暴動は全米へ波及しました。

システム化された人種差別とは社会的弱者が不利となる仕組みが社会構造に取り込まれており、黒人が黒人として生まれただけで、以後の人生が自動的に不利の連続となることを指します。

北米にアフリカからの黒人が初めて入植したのは、1619年です。以後、南北戦争が終わった1865年に奴隷が解放されたのですが、奴隷解放後も黒人差別はなくならず、黒人の人権を認め、差別を撤廃する公民権法が制定されたのは1964年です。

奴隷制度に由来する人種差別があるため、人種の融合は今も進まず、人種別のコミュニティが形成され、多くの黒人が黒人地区(ゲットー)で生まれ育っています。貧困により満足な衣食住を賄えず、教育の機会も奪われ、したがって就職も困難で、貧困から抜け出せないという悪循環なのです。

また、米国の公立学校の財源はほとんどが固定資産税で賄われており、貧困地区と裕福地区の極端な税収格差が、子供たちが受ける教育格差を生んでいます。それ故に、貧しい黒人の子供たちが学力格差を克服するのはほぼ不可能に近いのです。

アメリカに黒人と白人のカップルはいなかった

私が初めて米国の地に足を踏み入れたのは、1983年7月4日。

JAL001便で降り立ったサンフランシスコ空港で、生まれて初めて生身の黒人の人を目にしました。その時、素直に「格好いいなー!」と呟いた自分を今でも覚えています。

無知な若者であった私は人種差別の「さ」の字も知る由もなくバークレーの大学に通いました。大学に通い始めて間も無く、黒人の友人が出来、彼から人種差別の話をかなり詳細に聴きましたが、当時の私には全く別世界の話でした。しかしながら、黒人の友人と良く一緒に居ましたので、有色人種である私も所謂人種差別的扱いを受けた記憶が今でも残っています。また、当時、周りに黒人と白人のカップルを見た事もありませんでした。

大学卒業後、住友銀行に就職した私は、25歳の時に英国ロンドンに赴任しました。雨のロンドン、ヒースロー空港に到着し、タクシーでロンドン市内に向かって居た際、黒人と白人の男女のカップルが手を繋いで雨の中を走っている姿を何組も目にし、度肝を抜かれました。「何でロンドンには異人種カップルがそんなに居るんだろう?」と素直に不思議に思ったのです。

イギリスの「階級差別」の実態

それもその筈。英国は人種主義ではなく階級主義なので階級差別があったのです。ですから、労働者階級同士の白人と黒人とのカップルは「あり」なのです。米国慣れしていた私にはとても新鮮でしたが、人種の違いか階級の違いかの視点が異なっていたのです。その後は多く異人種カップルを見ても何の違和感を持つことはなくなりました。

個人的には、英国で日本人だという差別を貴族階級(?)の人から受けたことがありました。また、私がメリルリンチ時代、優秀な労働者階級の友人に、メリルリンチのトレーダーに転職を勧めたのですが、彼に、「自分の労働者階級発音の英語を聞いたら1秒で、面接官は自分を採用しないよ。」でと切り返されました。

有名で美男子なサッカー選手だったデビッド・ベッカムに対して、多くの貴族階級の英国人が「彼は喋らなければ最高なんだけど、喋ると労働者階級の英語が耳障りだ。」と言っているのを聴いたことがあります。

第二次世界大戦以来の日本人差別が残るオーストラリア

2003年から2年間居住していたオーストラリアでも、何故か日本人に卵を投げつけても良い(?)という日があったのを覚えています。その日はアンザックデーと言って、第二次世界大戦や朝鮮戦争などオーストラリアとニュージーランドが関わった全ての人たちに対する祈りを捧げる記念日でした。

確か日本大使館から外出しないようにという御触書が出ていた記憶があります。歴史的に見ると、日本が第二次世界大戦で多くのオーストラリア人を殺害した事に原因があるようです。

そして何故「生卵」かですが、それはアジア人の肌の色は黄色で卵の黄身というニュアンスがあり、侮辱を込めて、生卵を投げつけていたのです。

差別に対処するには

私は過去、英語を公用語とする白人主流派の先進国である米国、英国、オーストラリアに居住していましたので、差別を受けた経験が多々あります。ですから、ミネアポリスで発生した人種差別問題に関しても他人事のようには全く感じられませんでした。

日本で生活しているどれだけの人達がこの問題で実感が湧いているでしょうか?恐らく殆どの日本人は、「 わー!危険だなー。日本でなくて良かった。」くらいにしか感じていないでしょう。

それもそのはず。私達日本人は単一民族であり、人種差別の問題は原則として日本人同士では起こりえないからです。

日本は島国であり、且つ歴史的に敵国から侵略され植民地化されることもなかったので、平和な感覚で、差別の意識は生まれなかったのです。

ある意味、とても幸せですが、いざ海外に出ましたら、日本国内の感覚では生きていけません。異なる文化や歴史的背景をしっかりと勉強し、相手国の人達がどのような目線で自分を見ているのかを知っておく必要があります。オーストラリアの生卵はその良い例だと思います。

因みに、私は現在タイ王国に居住していますが、これまで居住していたアングロ・サクソン系の国々と比較すると真逆です。私たちの先人がタイ王国で貢献してくれた恩恵を今でも享受できているのです。日本人であるからということで寧ろ、ゲタを履かせて貰えるような経験が多いです。

私を知る多くの人達は、何故私がアングロ・サクソン系の国ではなく東南アジアに居住しているのかと不思議がるのですが、私にとって、東南アジアはとても快適に生活できる空間なのです。そこには日本人の私にとって、アングロ・サクソン系の国々で経験したような差別が存在しないからなのです。

立沢賢一(たつざわ・けんいち)

元HSBC証券社長、京都橘大学客員教授。会社経営、投資コンサルタントとして活躍の傍ら、ゴルフティーチングプロ、書道家、米国宝石協会(GIA)会員など多彩な活動を続けている。投資家サロンで優秀な投資家を多数育成している。

Youtube https://www.youtube.com/channel/UCgflC7hIggSJnEZH4FMTxGQ/

投資家サロン https://www.kenichi-tatsuzawa.com/neic

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