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なぜ人は騙されやすいのか 漫画『カイジ』で学ぶ行動経済学(前編)=松本健太郎
優秀な利根川は、なぜ圧倒的な敗北を喫したのか?
昨今の若者に好きな漫画を3つあげろと言われると、「鬼滅の刃」「キングダム」「ONE PIECE」「進撃の巨人」「約束のネバーランド」「僕のヒーローアカデミア」が上位にランクインするでしょうか。
いずれも筆者は読んでいるのですが、それでもなお欠かせないと考える漫画が1996年から連載が始まり今なお続いているシリーズ「カイジ」です。
テレビアニメ化、パチンコ化、パチスロ化だけでなく、藤原竜也さん主演で映画化もされている名作です。よく冷えてそうなビールを前に「キンキンに冷えてやがる」と叫び、一口飲み干せば「悪魔的だぁ〜」と呻くモノマネ芸人を見たことはないでしょうか。あれです。
「カイジ」の主人公は、「鬼滅の刃」の竈門炭治郎や「キングダム」の信のように情熱的で信頼のおけるキャラクターではなく、控えめに言っても人間のクズで怠惰で自堕落なダメ人間・伊藤開司(カイジ)です。
しかしながらカイジの悪魔的な知恵と天賦の強運、そして逆境を切り開く勇気と洞察力で人生そのものを賭けて勝ち上がっていくギャンブルストーリーは、見る者を圧倒します。
さて、そんな『カイジ』の作中で圧倒的な強さを見せるのが、大手消費者金融を主体とする日本最大規模コンツェルン「帝愛」の最高幹部の1人であり、賭博黙示録シリーズのボスとも言える利根川幸雄。
カイジのスピンオフ作品「中間管理録トネガワ」では主人公として登場するほどの人気キャラです。
利根川は、実際の世界で言えば圧倒的強者と言えるでしょう。優秀かつ、ギャンブルに強い勝負勘。圧倒的な猛者です。
しかしカイジと変則的ジャンケンゲーム「Eカード」で戦い、最後にはその優秀さ故に敗れてしまうのです。
優秀な大人が、なぜ人間のクズであるカイジに敗れてしまったのでしょうか?
本稿ではその問いをもとに、行動経済学の基本概念をご説明していきたいと思います。
カイジ v.s. 利根川対決のおさらい(ネタバレあり)
まず、原作をご存じない方のためにカイジと利根川が争った「Eカード」の戦いを簡単に整理しておきます。ご存じの方は飛ばしていただいてかまいません。
Eカードとは皇帝側と奴隷側に分かれ、「皇帝」「市民」「奴隷」3つのカードを出し合う2人対戦ゲームです。3つのカードのうち「皇帝」は「市民」に勝ち、「市民」は「奴隷」に勝ち、「奴隷」は「皇帝」に勝ち、「市民」と「市民」ならあいこ、三すくみの関係にあります。
これだけだと単なるジャンケン同様の関係ですが、配布されたカードの構成が平等では無いのが特徴です。
皇帝側は「皇帝」1枚に「市民」4枚、奴隷側は「奴隷」1枚に「市民」4枚のカードが配られます。
皇帝側が奴隷側に勝つには、5回中4回出される「市民」に「皇帝」を出せば良い。ただし奴隷側が皇帝側に勝つには、5回中1回しか出されない「皇帝」に「奴隷」を出さなければいけません。
つまり勝負は圧倒的に奴隷側が不利なのです。勝てるチャンスはたった1回のみ。もっとも、勝てば奴隷側の取り分は大きいのですが。
Eカードの肝は、利根川の言葉を借りれば「皇帝側のカードを持った者は、市民にまぎれて、いかに皇帝を通すか」「迎え撃つ奴隷側からすれば、いつ皇帝を通してくるかを読み、いかに奴隷を出せるか」。単純ながら奥が深い心理戦です。
さて、このEカードで主人公カイジは当初負け続けます。
その後カイジは、「狂ってなきゃ利根川を倒せない」と叫んで顔面で鏡を割り、血まみれになって再び利根川と対峙。そして「カードすり替えもどき」という奇策で勝利します。
まず、机の上に置かれた2枚のEカード(「市民」と「奴隷」)に手を重ねて「何か細工をした」かのような素振りを利根川に見せます。その後で、自身の血をテーブルに飛び散らせます。それからカードを拭くと見せかけて、それぞれに「血の跡」を残します。
つまり、血のついたカードは「市民」と「奴隷」が1枚ずつ、計2枚ということになります。
皇帝側が利根川、奴隷側がカイジとして最後の戦いが始まります。
1回目、双方が「市民」を提出してドロー。
そして2回目、カイジが提出したカードに付いた血に利根川は気付きます。
「血の跡の拭き残し」だと考えた利根川は、カードが「市民」か「奴隷」のどちらであっても、少なくとも引き分けになる「市民」を提出します。
実際にはカイジも「市民」を提出していたのでドロー。
3回目、同じく双方が「市民」を提出してドロー。
いよいよ4回目、再びカイジは血の付いたカードを提出します。
「市民で奴隷を殺して勝ちっ…!」と意気込んで市民を出そうとした利根川は、ふと考えます。
…気が付かないだろうか、と。
カイジが何らかの細工を施し、毒を盛ったはずだと考えた利根川は、やがて「何かを細工した」かのような素振りを思い出し、あの瞬間に「奴隷」から「市民」にカードを入れ替えたのだと考えます。
そして、そのことに気付いた自分に安堵し、それ自体が答えであると思い込み、「わしには一歩届かなかったっ…!」と言い切ります。
血の付いたカードは「市民」だと判断した利根川は「皇帝」を提出します。
しかし、「何かを細工した」かに見えたカイジの行動は、実はただの偽装にすぎませんでした。
結果、カイジのカードは「奴隷」。
こうしてカイジは利根川に勝ったのです。
直感的にわかりやすい結論に飛びつき、結果騙されてしまうのが人間
人はすぐ結論に飛び付こうとします。
頭に浮かんだ「それっぽい答え」の可能性を高く見積もり、その他に考えられる可能性の確率を想定より低く見積もります。こうした現象を代表性ヒューリスティックと言います。
■代表性ヒューリスティック(Representativeness heuristic)
ある事象が典型的な事例とどれくらい似ているか、代表的な特徴をどのくらい備えているか等をもとにして、その事象の生起頻度や生起確率を判断する。似ている・備えているなら、その事例を過大評価してしまう。
数字を集めて計算したり、様々な情報を収集して考えたり、論理立ててじっくり時間をかけて合理的な意思決定をすることが本来は必要です。
しかし人間はしばしば直感的な意思決定に頼りがちであることが行動経済学によってあきらかになっています。
「人は騙されやすい」という事実は、人間である以上はいかんともしがたい前提条件なのです。
松本健太郎(まつもと・けんたろう)
1984年生まれ。データサイエンティスト。
龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。
2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。
著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。