経済・企業 ビジネスに効くデータサイエンス
日本の会社組織は「オーボエ奏者にチェロを演奏させている」から機能しない ドラッカー「経営者の条件」を読み直す(後編)=松本健太郎
前回に引き続き、P.F.ドラッカーの名著『経営者の条件』をもとに「仕事の成果」について整理してみたいと思います。
「弱点」ではなく「強み」から考える
「成果」のためには、「強み」を活かす必要があります。
弱点から成果は生まれません。自分の長所から成果は生まれます。
そして誰もが強みを持ち、同時に弱みを持っています。
人の強みは、その人の弱点を隠してもくれます。
組織とは本来、たくさんの人間を集めることで個々の弱点をカバーしあうためのものです。
つまり「強み」を活かせない組織には問題があるということです。
ドラッカーは「弱みに配慮して人事を行えば、うまくいったところで平凡な組織に終わる」と言いました。
――人に成果をあげさせるには、「自分とうまくいっているか」を考えてはならない。「いかなる貢献ができるか」を問わなければならない。「何ができないか」を考えてもならない。「何を非常によくできるか」を考えなければならない。(ドラッカー著『経営者の条件』)
この文章ほど筆者が繰り返し読んだ箇所はありません。
プロジェクトマネジメントをしている時、大嫌いな人がいても「仕事ができる人だから問題ない」と思っていました(プライベートでは絶対につきあいたくなかった)。
逆に実力を発揮できず貢献できない人に「降りてもらう」「抜けてもらう」ことを何度か進言させていただいたことがあります。
そうしなければ組織全体のパフォーマンスが落ちると思ったからです。
その人が重要なポジションを占めることで、他の人も成果を出せなくなります。
存在そのものが組織のボトルネックになってしまう。
ただそれは「その人が悪い」のではなく、「その人をそのポジションに据えた人が悪い」が正しい理解です。
だから移動してもらうことは別にその人に対する罰ではありません。
その人にとっても、より強みを発揮できるポジションに移るほうが良い場合も多いでしょう。
オーボエ奏者にチェロを演奏させてはならない!
筆者にも何人か「心に残っている良い上司」がいます。
みな、様々な特徴を持っていましたが、共通する特徴として、みな「松本は何ができるか」から考え、それをもとに実際の仕事を割り振っていました。
逆に「心に残っている悪い上司」は、まず私の弱点を見て「松本はこれができないだろう」から考え、それを元に仕事を割り振ってきました。
この違いは小さいようで、とても大きいです。後者は事実上、「強み」を活かさなくてよい、成果をあげなくても良い、と言っているに等しいのですから。
様々なケースがあるでしょうが、こうした上司の存在はやがて人間関係のトラブルに発展し、組織内に馴れ合いの文化が生まれ、やがて処遇の公平さに欠けた組織となり、「なんであいつは仕事ができないのに、あのポジションなんだ」という嫉妬を生むでしょう。
というか実際に筆者の体験でもそうなりました。
本来、人に合わせて仕事を変えることは不可能です。
ドラッカーは「オーケストラの指揮者は、オーボエ奏者がいかに優れた音楽家であろうとも、第一チェロの欠員の補充として採用したりしない」と言いました。
しかし、日本の会社組織では往々にして良くある光景でもあります。
新しく採用した人にあわせて、新しい仕事をつくるということもめずらしくはありません。
ただ、それってバクチすぎるじゃないかと筆者などは思ってしまいます。
新しい仕事はどうしても不確定要素が大きいため、新規に採用した人材ではなく、既存の人材に割り振りたいものです。
つまり「人中心」ではなく「仕事中心」に組織を設計すべきなのです。
なすべき仕事(貢献の対象)にもとづき、その仕事において強みを発揮できそうな人材を割り振る。それが本来の成果をあげられる組織というものではないでしょうか。
ただし、言うは易し行うは難しで、「人ありきで、仕事を割り振る」のに日本社会全体が慣れきってしまっているせいか、「仕事ありきで、人を割り振る」能力、すなわち仕事を細かいプロセスに分解して整理する能力を持つ人材が少ないのは事実です。
つまり言い換えると、日本社会では「難易度の高い仕事があった場合は、それをこなせるスーパーマンを雇えば良い」とされがちなのです。
難易度の高い仕事であっても、複数のプロセスに一旦「分解」し、その個々のプロセスで強みを発揮する人材を組織すれば、スーパーマンを雇うまでもないのです。
むしろ、あスーパーマンといえど新たな人材に難易度の高い仕事を割り振るような「博打」より、既存の人材で対応するほうがよほど安全な進め方です。
ドラッカーは仕事を設計するために、次の4つの原則を主張しました。
①適切に設計されているか
仕事は人の手によるものである。したがって不可能な仕事、人にはできない仕事をつくってはならない。
②多くを要求する大きなものか
一人ひとりが、それぞれの強みを発揮するものでなければならない。仕事の大きさが、挑戦を受け能力を試すにはあまりに小さすぎるとき、若い知識労働者は組織を去るか、さもなければ急速に不機嫌で非生産的で未熟な中年となってしまう。
③その人間にできることか
当たり前ですが、その人の強みでできることかを考えなければならない。
④弱みを我慢できるか
当たり前ですが、強みを手にするには弱みは我慢しなければならない。
「この人は強みをもっているか」「その強みは仕事と関係があるか「その強みによって卓越した成果をあげることは重要か」を問わなければならない。
そして答えが「イエス」であればそのままその者を任命しなければならない。
仕事を設計し、強みを持つ人材を割り振り、彼らが貢献できる環境を整える。
それが組織を運営する立場である経営者の最大の仕事なのだと思います。
ただ、組織を運営するためには目の前の仕事のことばかり考えているわけにはいきません。
――仕事には最適の者を充てなければならないだけではない。実績を持つ者には、機会を与えなければならない。
実績のある人材にはふさわしいポジションが必要ですし、可能性のある人材には能力を発揮する機会を与えなければならないでしょう。
成果をあげるためにドラッカーが提唱する「時間の断捨離」
あれもやりたい、これもやりたいと様々な仕事に触手を伸ばしたあげく、足が絡まったタコのような状態になってしまい、動けなくなったケースを筆者は知っています。
――自らの強みを生かそうとすれば、その強みを重要な機会に集中する必要を認識する。事実、それ以外に成果をあげる方法はない。
ドラッカーに戻れば、こうしたケースでは「時間」の重要性を忘れているのだと思われます。
成果をあげるために、ドラッカーは「集中の原則」を提唱します。
①生産的でなくなった過去のものを捨てる
「まだ行っていなかったとして、いまこれに手をつけるか」を問う。第一級の資源、特に人の強みという希少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。
②劣後順位の決定、すなわち取り組むべきでない仕事の決定と遵守
優先事項を列挙し、そのすべてに少しずつ手を付けることによって弁解の余地をつくっておくほうがはるかに容易である。しかし、それは「集中」ではない。全てを少しずつ着手しては何1つとして終わりはしない。
つまり「捨てろ」「捨てろ」「とにかく捨てろ」なんです。
では、捨てて捨てて、残ったもののうち何をやればいいのか。
ドラッカーは優先順位付けは「分析」ではなく「勇気」だと主張します。
「科学的な業績は、研究能力よりも機会を追求する勇気によって左右される」
「挑戦の大きなものではなく容易に成功しそうなものを選ぶようでは、大きな成果はあげられない」と言い、4つの原則を提示します。
①過去ではなく未来を選ぶ。②問題ではなく機会に焦点を合わせる。③横並びではなく独自性をもつ。④無難で容易なものではなく変革をもたらすものを選ぶ。
集中するとは、究極的には「捨てる」「選ぶ」ための勇気と同義語だと私は考えています。
「無難なところを選択しろ」という世間の声はあえて無視して、チャンスに集中する勇気こそ大事なんだと考えます。
将来の目標を定めることとは、「その他の可能性を捨てる」ことでもあります。
もし私が30歳のころに「起業するんだ!」と決意すれば、大学院に通うことも無かったでしょうし、書籍を出すことも無かったでしょう。
なぜなら「起業」という目標には関係ないからです。
私は、「何かを捨てる」のが物凄くもったいなく感じました。
自分に何が向いているか分からない状態で目標を決めてしまうことは、可能性を捨てているように思ったのです。
それで逆に「目標を決めない」ことを目標としました。つまり、あらゆる選択肢を見据えて、何事にも挑戦するのです。
もしかしたら、何者にもなれないかもしれない。けれど、そのおかげで様々な経験値を貯めることができました。ただ実際には何者にもなれていないのは事実なので、そろそろ「集中」する時期なのかな、と感じています。
成果をあげるためには「天才」である必要はない!
①エグゼクティブの仕事は成果をあげることである。
②成果をあげる能力は習得できる。
ドラッカーの名著『経営者の条件』は、この2つの前提に立った本です。
エグゼクティブは成果をあげることに対して報酬を貰います。役職に就いているからではありません。組織に対して成果をあげる責任を持つものこそがエグゼクティブなのです。
そして、成果をあげる能力は「才能」ではなく「習慣」だ、というのがドラッカーの考えです。
生産性が低いといわれる日本の会社組織は、ドラッカーの教えを理解しているでしょうか。
松本健太郎(まつもと・けんたろう)
1984年生まれ。データサイエンティスト。
龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。
2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。
著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。