経済・企業

コロナでリモートワークができない人は「仕事の成果」のとらえ方が間違っている ドラッカー「経営者の条件」を読み直す(前編)=松本健太郎

ピーター・ドラッカー
ピーター・ドラッカー

ドラッカー『経営者の条件』をアフターコロナに読み直す

自粛期間中にまとまった時間が取れたので、久しぶりにP.F.ドラッカーの名著「経営者の条件」を手に取りました。

「あなたは経営者でもないのに。意識高い系ですか」なんて言わないでください!

邦題の「経営者の条件」がイケていないせいで、本書は誤解されていると感じます。

決して経営者向けの本ではなく、実はすべてのビジネスパーソンにとって非常に役立つ本なのです。

原題は「The Effective Executive」で、直訳すると「成果をあげるエグゼクティブ」となります。

ドラッカーはエグゼクティブについて、次のように定義しています。

――今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。(略) したがって経営管理者のほとんどがエグゼクティブである。しかし現代社会では、経営管理者ではない多くもまたエグゼクティブである。知識中心の組織すなわち知識組織においては、最近明らかになっているように、責任ある地位、意思決定を行う地位、権限をもつ地位に、経営管理者だけでなく、独自の貢献を行う専門家が必要とされるようになっているからである。(ドラッカー著『経営者の条件』)

つまり「組織に影響を与える意思決定を行う労働者」=「エグゼクティブ」なのです。

リスティング広告のスペシャリスト、SEOの専門家、UI/UXの大家…こうした仕事に従事している人たちは、経営者(CXO)でなかったとしても、ドラッカーの定義によれば「エグゼクティブ」です。

そもそも、経営者になる「条件」について本書には何1つ書かれていません。

エグゼクティブ自らが成果をあげる「方法」について書かれています。

ドラッカーは本書の出だしを次のように書いています。

――普通のマネジメントの本は、人をマネジメントする方法について書いている。しかし本書は、成果をあげるために自らをマネジメントする方法について書いた。ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明されていない。しかし、自らをマネジメントすることは常に可能である。(ドラッカー著『経営者の条件』)

したがって本書のタイトルは「経営者の条件」ではなく、本当は「エグゼクティブが成果をあげる方法」が適切ではないかと思います。

さて今回は、久しぶりに読んだ「The Effective Executive」について自分なりに整理しました。

「成果をあげる」とはどういうことか?

まず、そもそも論になりますが「成果をあげる」とはどういうことなのでしょうか。

ドラッカーの言葉を借ります。

――成果をあげることがエグゼクティブの仕事である。成果をあげるということは、物事をなすということである。(略)エグゼクティブは常に、なすべきことをなすことを期待される。すなわち成果をあげることを期待される。(ドラッカー著『経営者の条件』)

自分がやるべきことをやる。それが成果をあげることです。非常にシンプルな解答ですが、それが非常に難しいのです。

ドラッカーは「肉体労働者は能率をあげればよい。なすべきことを判断してそれをなす能力ではなく、決められたことを正しく行う能力があればよい」と言います。

つまり、エグゼクティブ(「肉体労働者」と対比して「知識労働者」と呼びます)は「何をなすべきかを決める」のが重要な資質となります。

皆さんの周囲にも「すごく頭が良いはずなのに、全然成果をあげない人」がいるはずです。それは問題を解く能力が高くても、解くべき問題を間違っていると私は考えています。

重要な役職に就き、何百人もの部下を持っている人は、より多くの仕事をこなすことができるはずですが、「より多くの仕事をこなせる」ということが、「より生産的である」とは限りません。

たった数人のベンチャー企業が果敢に意思決定を下し、数万人規模の大企業に勝る成果をあげることがあります。

それが可能なのはなぜかと言えば、「成果は人数では決まらない」からです。

知識労働者の成果は、自らの知識や、アイデア、情報で決まります。

ただその成果をたった1人で生み出すことは難しいので、複数の知識労働者と働く必要があります。

となると、その人個人の評価だけでは片手落ちで、その人が「他の知識労働者をどううまく使って仕事をしているか」についても評価する必要があります。

要するに、肉体労働者と知識労働者では違う評価が必要なのです。

――IEや品質管理など肉体労働者の仕事を測定評価するための手法は、知識労働者には適用できない。不適切な製品のために美しい設計図を大量に生産するエンジニアリング部門ほど、ばかばかしく、非生産的な存在はない。(ドラッカー著『経営者の条件』)

しかし、現実はどうでしょうか。多くの知識労働者は肉体労働者と同じように、「何を」「どれくらいやったのか」について、時にはKPIなる定量の成果指標を持たされて評価されていますが、大抵は成果をあげられていません。

どのような人事評価が最善かを検討することはこの記事の目的ではありませんので一旦置いておいて、どうすれば成果をあげられるかに話を戻したいと思います。

ドラッカーの提唱する「成果をあげるための習慣」

唯一の方法は「成果をあげる能力を向上させること」。

ドラッカーは「成果をあげることは1つの習慣である。実践的な能力の集積である」と主張しています。

――通常、仕事についての助言は「計画せよ」から始まる。もっともらしく思えるが、問題はそれではうまくいかないところにある。計画は紙の上で消える。よき意図の表明に終わる。実行されることは稀である。(ドラッカー著『経営者の条件』)

私自身、何度も経験し、また何度もやらかしてしまったのが「会議で計画を提案し、盛り上がったものの、宙ぶらりんに終わってしまったこと」。

花火を打ち上げたはいいが、中身がスカスカだったわけです。

なぜ、そうなってしまうのか。

ドラッカーは「成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする」と説明しています。時間は、もっとも普遍的な制約条件です。

何の成果も生まないであろう仕事、自分は必要だと思っていたけど全体のプロセスを見通せば実は不要だった仕事、やる必要は無いのに今までの習慣やメンツだけでやっている仕事。

そうした仕事が貴重な時間をどんどん奪っていきます。

成果をあげるには時間が必要ですが、これらの仕事に手が取られるあまり、とれる時間は細切れとなってしまいます。

ただ、5分や10分の時間で成果をあげることは不可能です。

よって、自由に使える時間を見つけ、それを大きな単位にまとめることが求められます。

これがドラッカーの提唱する「成果をあげる習慣」です。

①成果の生まない仕事を捨てる

すべての仕事について、まったくしなかったならば何が起こるかを考える。何も起こらないが答えであるならば、その仕事は直ちにやめるべきである。

②他の人でもやれることはないか考える

成果をあげるべき者が行っている仕事の膨大な部分は、ほかの人間によっても十分行うことができる。重要なことに取り組めるようになるには、ほかの人にできることはほかの人にやってもらうしかない。

③時間浪費の原因を排除する

周囲の人間に聞いてみる。「あなたの仕事に貢献せず、ただ時間を浪費させるようなことを私は何かしているか」と。

仕事において、不必要な時間、非生産的な時間が多いと思っている人は多いのではないでしょうか。

日本は「生産性が低い」とよく言われます。ただ、ドラッカーがわざわざ仕事における時間の浪費について言及しているのを見ると、程度の差はあれど、どこの国も似たようなものじゃないのかな……とも思わされます。

「じゃあ不必要・非生産的な仕事はなくせばいいじゃん!」

と筆者などはつい思ってしまうのですが、さすがにドラッカーはそんな短絡的な考え方はしません。

「間違って重要なことを整理してしまうのではないかと恐れる」

「通常、誰でも自分自身の重要度については、過小ではなく、過大に評価しがちなものである」

と述べ、なにが不必要な仕事かを判断するのは難しいと説きます。

不必要な仕事を整理するよりも、必要な仕事により多くの時間を使うことのほうが現実的だ、というのがドラッカーの考えです。

自由に使える時間を見つけ、それを大きくまとめるために、次の①〜③を定期的に行い、改善する必要があります。

①システムの欠陥や先見性の欠如からくる時間の浪費

周期的な混乱、繰り返される混乱である。二度起こった混乱を、三度起こしてはならない。

②人員過剰からくる時間の浪費

小学一年の算数の教科書は、「溝を掘るのに二人で二日かかりました。四人だったら幾日かかりますか」と聞いている。一年生にとっての正解は一日である。現実の世界ではおそらく正解は四日である。

③組織構造の欠陥からくる時間の浪費

その兆候が会議の過剰である。会議は元来、組織の欠陥を補完するためのものである。

④情報に関わる機能障害からくる時間の浪費

情報の不全、あるいは不適切な情報。

これらの点を粘り強く、しかし確実に改善することであげられる成果はとても大きいと思います。

「時間は稀少な資源である。時間を管理できなければ、何も管理できない」とドラッカーは言っていて、これは本当にその通りだな、と思います。

「会社が何をしてくれるか」ではなく「会社のために何をなすべきか」

ケネディ大統領ではありませんが、何をしてくれるかではなく、何をなすべきかを考えるのがエグゼクティブです。

組織にどのような貢献ができるかを考えるのは、「可能性の追求」だとドラッカーは主張します。

ところが多くの人が「成果ではなく努力に焦点を合わせ」ています。

また、自分の権限にしか関心をもたず、「何ができるようにしてくれるのか」と会社に要求する人が多いのも事実です。

権限は、目的ではなく手段です。何をなすべきかを考えた時、権限は手段として効力を発揮します。

――人は課された要求水準に適応する。貢献に照準を合わせる者はともに働くすべての人の視点と水準を高める。(ドラッカー著『経営者の条件』)

自らに何を課すかで、自らが何に挑戦するかが決まります。

自分が挑戦する課題は、自分の可能性を広げるきっかけとなります。

だからこそ組織に貢献することは「可能性の追求」なのです。

具体的には3つの種類があります。

①直接の成果

企業においては売上や利益など経営上の業績。組織を生かすうえでカロリーの役割を果たす。

②価値への取り組み

自社の持っている価値を育てる。方向付ける。方向性のようなもの。ビタミンやミネラルの役割を果たす。

③人材の育成

今日、明日のマネジメントにあたるべき人間を準備しなければならない。人的資源を更新しなければならない。

①②が現在のための貢献、③が未来のための貢献です。

重要なのは③です。

ドラッカーは「次の世代は、現在の世代が刻苦と献身によって達成したものを当然のこととし、さらにその次の世代にとって当然となるべき新しい記録をつくっていかなければならない」と主張します。

これは転職や異動により組織が変わった人にとって、特に重要な話です。

エグゼクティブは成果を出すだけでは50点、自分がいなくなっても回る組織を作ってこそ100点だと、筆者も個人的に何度も聞かされた経験があります。

しかし、少なくない数のエグゼクティブが新しい組織で「なすべきこと」が分からず、今まで通りに仕事をしようとして失敗します。

以前の仕事で正しかった仕事は、新しい仕事では間違った仕事である場合も多いのです。

松本健太郎(まつもと・けんたろう)

1984年生まれ。データサイエンティスト。

龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。

2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。

著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。

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