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なぜ優秀な人ほど倒しやすいのか 漫画『カイジ』で学ぶ行動経済学(後編)=松本健太郎
前編に引き続き、カイジVS利根川の「Eカード」勝負をもとに、行動経済学の概念をご説明したいと思います。
秀才ほど陥りやすい「透明性の錯覚」とは何か?
精神分析に「投影」という概念があります。
心の中で無意識下に抑圧している欲求や感情を、外界の事物や他人などを見てあたかもそこに存在しているように感じてしまう。これが「投影」です。
例えば、自分がある人を嫌っていると、その人も自分を嫌っているように感じてしまうことがありますが、それは自分の感情を投影した結果です。
自分の視点だけで物事を見てしまうと、判断にバイアスがかかりがちです。
利根川は優秀なだけあって、意図のない行動をしません。
利根川は、「自分ならカードに血の跡を残したままにするだろうか」と考えました。
その結果、「カイジが罠を仕掛けた」と決め付けてしまうのです。
これこそ、投影です。
つまり、利根川はカイジの心理を読んでいるつもりで、自分の心理をカイジに「投影」していたのです。
相手が何を考えているのか、相手に聞かずして理解するのはとても難しいものです。
特に優秀な人は、その優秀さゆえ、他人を理解できていないことが多々あります。
行動経済学ではこれを「透明性の錯覚」と呼びます。
■透明性の錯覚(Illusion of transparency)
心の中の考えや感情は自分が思うほど外に伝わっていないが、なぜか伝わっていると考えてしまう。また誰かの思考は思っている以上に外からは観察できないが、観察できていると考えてしまう。相手に知られたくない場面でも、相手に知って欲しい場面でも発生する。
実際、作中でカイジは利根川に「オレが蛇に見えたか?」と聞きます。
利根川が「蛇だろうが!」と凄むと、カイジは「そうか…なら、お前が蛇なんだ!」と返事をします。
漫画『カイジ』の有名なこの場面は、まさに「透明性の錯覚」の働きを描いていると言えるでしょう。
つまり、利根川は優秀な人間であるがゆえに、相手も優秀だと考えてしまい、「クズ」のカイジに敗北してしまったのです。
自らを過大評価しがちな強者は、いずれは弱者に敗北する
奢れる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
平家物語では平家の威張り散らした態度をこのように表現しました。
カイジに破れた利根川にふさわしい表現かもしれません。
仏教には「我慢」という言葉があります。
一般的には「自分を抑えて耐える」という意味で使われていますが、本来は「自分を高く見て他人を軽視する心、自負心が強く自分本位な心」を指す言葉です。
利根川はカイジと向き合うとき、「自分とは比べものにならないクズ、ゴミ、劣等、低脳」と思い込み、見下していたのです。
そこに油断が生まれます。
人間は、自分自身の実力をそのまま評価できず、過剰か過少に判断しがちです。
どうしてもバイアスが生まれ、そこに「強者」を倒すチャンスが生まれます。
もちろん、そんなチャンスはめったに訪れないものですが、平家物語が教えるように、永遠に強者であり続けた例もまたないのです。
松本健太郎(まつもと・けんたろう)
1984年生まれ。データサイエンティスト。
龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。
2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。
著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。