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教養・歴史 サンデー毎日Online

アフターコロナは教養の時代! 「人生を楽しむための読書」を語る=出口治明×なかにし礼【サンデー毎日】

出口治明・立命館アジア太平洋大学長は、その著作『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)で世界の精神史をヴィヴィッドに伝えてくれた。

この快著を堪能したというなかにし礼氏との対談が実現。

2人の尽きぬ語らいは、コロナ時代に自分と向き合わざる得ない私たちを、「教養」を通じた世界史との出合いに招待する。

ステイホームには「本を読み、自分と向き合う」

なかにし礼 僕は3月で『サンデー毎日』の連載エッセーをひとまず終えたんですが、その頃から本格的に、地球的な規模で新型コロナの感染爆発が起こり、世界は大きく変わりました。それは同時に私たちの内面が変わることも意味しています。

僕は親しい友人を何人かコロナで失いましたが、悼む時間すら与えられず、次々と悲惨が迫ってくるという様相です。かつてなかったこんな時代に、自分の死生観が変容するのは確かでしょうけれど、どう変わっていくのかが見えるわけでもなく、物書きとしては何を書いたらいいか、迷いしかない。

こういう時には、僕は書物の世界と向き合うことも必要なんじゃないかと思うんですね。乏しいなりに自分に蓄積された教養、というと口はばったいですが、読書体験を振り返ってみることに、新たな発見があるかもしれない。

そこで今日は、『哲学と宗教全史』という驚くべき本で、世界の思想史を私たちに体感させてくれた出口治明さんと、あえてこの時代に教養を語る、という構えでお話ができればと思います。

出口治明 コロナ対人類の闘いのなかで各国は、ステイホーム、エッセンシャルワーカーへの感謝と支援、弱者に対する所得の再分配という主に三つの課題に取り組んでいますが、そこにお国柄やリーダーの資質が如実にあらわれ、世界中で比較されています。

また、市民はステイホームの中で、自分と向き合い、これまでの生き方や働き方を考えざるを得なくなります。

なかにし先生がおっしゃるように、人類が人生のあり方に向き直らざるをえない今こそ、知の力が問われている。

僕は無趣味な人間ですが、本と旅だけはいつも人生と共にありました。毎日歯を磨くように本を読み、時間が空いたら知らない土地を放浪しに出かける。

するとそこには先人が積み重ねてきた発見がいくつもあって、まさに「巨人の肩に乗る」という言葉どおり、私たちは過去の蓄積の上から現在を見渡していることがわかります。

この知識の流れを絶やしたくないのです。

出口治明氏
出口治明氏

「最初の本は遺書のつもりでした」

なかにし 専門家が書いた歴史書や宗教書は山ほどあるけれど、『哲学と宗教全史』は異色の経歴をもつ出口先生ならではの幅広い視点があって、また「世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した」という経験を裏付けるような本でもある。

どうして本を書こうと思い立ったんですか。

出口 最初の本は遺書のつもりでした。

22歳から生命保険会社でサラリーマンとして働いて、55歳の役職定年のときに子会社への異動を命じられた。

調べてみると、一人として子会社から本社には戻っていない。

僕は35年間で得た生命保険の知識を業界の後輩たちに残したいと思って、最初の本『生命保険入門』を書きました。

なかにし その後、人に誘われてライフネット生命というベンチャーを起こし、それも10年で成功させて、後輩に譲られたそうですね。

出口 ええ。

十分に軌道に乗ったと判断し、熱意ある30代の青年に後を任せました。

その時、APU(立命館アジア太平洋大学)学長を公募していて、どなたかが僕を推薦してくれた。

聞けば「博士号、英語力、大学の運営経験」という三つの公募条件があって、僕はどれにも当てはまらない。これは選ばれるはずがないと思いながらも、興味が湧いてインタビューを受けたら、なんと選ばれてしまった。ならばこの運命を受け入れようと思いました。ダーウィンが述べた適者生存です。

APUに流れ着いた巡り合わせを正面から受け止め、そこでいかに頑張れるか。

友人には「還暦ベンチャー、古希学長」とからかわれましたけれど。

なかにし礼氏
なかにし礼氏

知識は人生を楽しむ道具である

なかにし 人生は、生死までもが、まったくの偶然によって選ばれるということを僕は戦争によって知りました。

幼少期に満洲から引き揚げて青森にいたんですが、友達ができなくてね。それが本や音楽にのめり込んだ動機です。

小学校6年のときに夏目漱石『吾輩は猫である』を読んで、あそこに出てくる高等遊民の姿、木にぶら下がるひょうたんのように風に吹かれて文章を書いて生きるのもいいなと思ったんですよ。

出口 初めて人に明かすのですが、僕は中学生のときに小説を何度も投稿していました。

でも箸にも棒にもかからず、才能がないのだと諦めた。なかにし先生はペン一本で身を立てられて、僕はそういう人にとても憧れがあります。

なかにし そんなかっこいいものじゃなくて、もっと不貞腐れた気持ちでしてね。

引揚者の僕には、自分は多数派の日本人から差別された棄民だという意識があった。『夜の歌』という自伝小説で書きましたが、日本は国家事業として満洲に人を送りながら、敗戦となると満洲を見捨てた。

高校生になる頃には「期待される人間像」なんて道徳規範を国が打ち出して、そんな人間になってたまるか、世のため人のためにならずに勝手に生きてやろう、と人生の態度を決めたんですよ。

出口 昭和23年生まれの僕は戦争を知りませんが、祖父が満洲からの引揚者でした。抑留されて身一つで帰ってきたら、農地改革で土地が人手に渡っていたらしく、「あの山は柘植家(母方の実家)の山だったんだ。満洲にいる間に全部なくなった」と。

なかにし 戦争体験がないのはいいことです。戦時下には傷つきますからね、体も心も。

出口 僕は一緒に遊べる子どもがあまりいませんでした。田舎で周囲に3軒くらいしか家がなかったので。

昆虫を捕ると名前を知りたくなって、保育社の『原色図鑑』を手に取った。虫の名前、魚の名前、植物の名前、最初は名前を覚えることから始まって、生態や分類を知っていった。すると世界が少しずつわかってくるようで興奮しますよね。

小学校の高学年になると月に1回、講談社の『世界文学全集』が家に届くようになって、今度は世界の複雑さを知るようになる。

知識というのは力であるだけではなく、人生を楽しむ道具でもあるんですね。

なかにし 幸いなことに、僕の母も本や映画を一切禁じなかった。家の近所には映画館があって、夕飯を終えて必ずそこに行くと「坊や、タダで入っていいよ」なんて窓口の女性が言ってくれたりして。子どもは自然と教養を求め、大人はそれを大事にしてくれた。 

出口先生、音楽はなにをお聴きになりますか。

出口 高校生で初めて買ってもらったレコードがバッハの平均律でした。ベートーヴェンの交響曲に感嘆しつつ、ベートーヴェンという圧倒的な先人を追い越せないブラームスの悲しみにも打たれました。

ロンドン勤務だった40代の3年間は、ロイヤル・オペラ・ハウスの全公演を観ました。

当時、上司は東京にしかいなかったので、朝ちょっと会社に行けば、あとは東京が深夜になってしまうので誰の目も届かなかった(笑)。

なかにし それは幸福でしたね。僕はライブで味わうものが好きなので、劇場で音楽や演劇に接し、旅行に行って風景や文化を楽しむ。

もちろんコロナ以前のことですが、3年続けてザルツブルク音楽祭を堪能したり、サンクトペテルブルクにゲルギエフの白夜コンサートを聴きに行ったのもいい思い出です。

出口 なかにし先生が多くの鮮烈な歌詩を書けたのは、ベースに芸術的な蓄積があったからなんですね。

なかにし 訳詩家になったきっかけはシャンソンです。当時の訳詩は日本語がでたらめで下手で、これじゃ僕がやったほうがましだと自惚れて、「安くて早くて歌いやすい」三拍子揃そろった若手だと評判になりました。

でも苦労したのは、作詩家から作家へ転身したときです。作詩は100㍍の短距離走、小説は42・195㌔のマラソンなんですよ。

「運に適応するためには、普段から準備をしておかなくてはいけない」

出口 瞬発力と持久力。とすると、肉体から生活から変えないといけない。

なかにし さながら脳の改造ですよ。勉強に7〜8年かかりました。人生で一番勉強したかもしれない。

出口 さきほど適者生存の話をしましたが、巡ってきた運に適応するためには、普段から準備をしておかなくてはいけない。

僕が大学に入った頃、学生運動が盛んで、京都市役所を占拠してバリケード封鎖しようと考えていたんですね。

運動のリーダーに聞いたことがあるんです。「京都市民は100万人いるけれど、市役所を占拠して、ゴミ集めや上下水道の面倒は誰が見るんですか。そんな能力があるんですか」。

僕は中学生の頃にアレクサンダーに憧れていて、戦いでは兵站やロジスティクスが重要だと理解していたんです。ところがリーダーの答えは「そんなものはどうにでもなる」。

現実的な展望のなさに驚いて、運動にのめりこむことができなかった。

なかにし 日本では精神論ばかり好まれて、革命や戦争を実理で捉えようとしませんからね。それにしても兵站の重要性に気づく中学生とは早熟です。

出口先生、日本の文学者や宗教家はどなたがお好きですか。

出口 文学だと『源氏物語』はすごいと思います。プルーストの『失われた時を求めて』と同じくらい壮大な規模で人間の内面を書き尽くそうとしていて、時代性を考えると紫式部はプルーストより遥はるかに先駆的です。

宗教書を挙げるなら鈴木大拙。『日本的霊性』は反戦の書ですね。軍部が日本精神なんてものをでっちあげて戦意高揚を促したのに対抗して、大拙はもっと深く古代日本の仏教から振り返って日本人の意識を掘り下げた。

なかにし 驚きました。僕も大拙が大好きで、枕元には全集を並べているし、僕の名刺は大拙の『禅』という本の表紙にちなんだデザインなんですよ。

『日本的霊性』は書名から国粋的な本だと勘違いされるけれど、そこで探究されている霊性はどこの国にもある普遍的な意識です。つまり大拙は多様性を認めている。

出口 そこが今読んでも古びないところですね。

なかにし 日本人は宗教や哲学に鈍くなってしまった。『哲学と宗教全史』で言及されていましたが、レヴィ=ストロースの構造主義が提示したとおり、人間は意志的、主体的に歴史に関わるよりも、社会構造に規定されてしまいがちです。

日本の歴史は明治で一度断絶しているのに、日本精神とか大和魂とか、それ以降つくられた日本人像を、さも伝統のように扱う。

そこに矛盾があるが、矛盾を露呈させたくないから国家も国民も無関心であろうとしてきた。

「人間はすべてを文字に残さなくてはいけない」

出口 天皇制にもその問題があります。僕は憲法学をかじったので、天皇制についてはシンプルに捉えています。

憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と明記されている。

天皇というのは国家の機関なのだから、国民が自由に決められる。どんな天皇であっても、女性でも女系でも、国民がそれでいいと考えたならそれでいい。

天皇制の伝統についての議論は、それとは別のところで行われるべきものです。

なかにし 同感です。あわせて思うのは、憲法が主権在民というなら、第1章は「天皇」でなく「国民」のほうがいい。国民が象徴天皇を尊重するということで、第2章が「天皇」でしょう。

日本人は論理的な議論が不得手で、またそれを美徳とする環境がある。阿吽の呼吸とか腹芸とかね。

アテネの町に行ったとき、駅舎の工事をしている人たちが、何十色ものタイルを前にして激しく議論しているのを見ました。やはりここは民主主義の生誕地だ、大衆が普段から議論を交わして批判力を鍛えていると感心しましたね。

出口 何かおかしいという直観が湧いたとしても、相手の思惑を理解して批判しなければ議論にならない。その力を養うのが知識です。

知識というのは、人間が考えてきたことや論じてきたこと、信じてきたことを咀嚼して身につけるということですからね。『哲学と宗教全史』を書いたのは、そういう問題意識からです。

日本人は世界の、人類の歴史を見ていない。きちんと過去からの蓄積を尊重して、僕なりに精神の通史を書いてみようと。

なかにし 日本はもともと公文書が少ない国家ですが、さらに輪をかけて今の政権は文書を改ざんし破棄までしてしまう。文化国家がやることではない。

出口 人間はすべてを文字に残さなくてはいけない。政治でも文学でも哲学でも宗教でも、人間がつくったものは正しく残して検証しなければいけない。そうでなければ、後世の人たちが我々のことを正しく理解することができません。

なかにし 『哲学と宗教全史』が今の時代に出された意義は大きい。個人の文化的体験が人類史的な叡智につながっていくこと、そして僕たちがなおも文字を書き続けることの意味がわかります。

コロナ禍において僕は立ち往生していますが、やはり読み書きをさらに豊かに続けて、この時代を刻んでいかなければならないのでしょう。

出口 「墓場まで持っていく」ことがいまだに美談のように言われています。しかし時代の正体を明かさないまま自分だけ去るなんて、子孫に顔向けできないではありませんか。

そのことの意味が今、いっそう問われていると思います。

構成/五所純子

なかにし・れい 1938年生まれ。作家。作詩家。日本レコード大賞、日本作詩大賞ほか多くの文学賞を受賞。『長崎ぶらぶら節』で直木賞受賞。著書に『兄弟』『夜の歌』『芸能の不思議な力』ほか多数

でぐち・はるあき 1948年生まれ。立命館アジア太平洋大学長。ライフネット生命保険株式会社創業者。著書に『座右の書「貞観政要」』『哲学と宗教全史』『還暦からの底力』ほか多数

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