国際・政治ベーシックインカム入門

ウィズコロナ社会にベーシックインカムは不可欠であると考える理由=井上智洋

    ベーシックインカムは特定の人を選別せず、普遍的に生活を支援する (Bloomberg)
    ベーシックインカムは特定の人を選別せず、普遍的に生活を支援する (Bloomberg)

     ベーシックインカム(BI)を導入することで、さまざまなメリットが得られると考えられている。主なものを挙げれば、(1)普遍的に支援できる、(2)再分配の「崖」が存在しない、(3)「幸福度」が上昇する、(4)労働環境が改善する、そして(5)AI(人工知能)時代の救世主になりうる──ことが考えられる。これらのメリットを、順を追って説明していこう。

     メリット1 普遍的に支援できる

     BIは、生活に必要なお金をすべての人に分け隔てなく定期的に給付するという意味で「普遍主義的」だ。これに対し、既存の社会保障制度は「選別主義的」であり、基本的には社会保障制度が想定する条件に当てはまらなければ救済の対象にはならない。

     例えば、失業者に対しては失業保険が、ひとり親世帯には児童扶養手当(いわゆる母子手当)がそれぞれ割り当てられている。だが、1人で暮らす貧しい非正規労働者を対象とした社会保障制度は存在しない。BIでは、給付対象者を選別することがないので、余すことなくすべての人々を救済することができる。

     BIに対して「政府は、本当に困っている人々だけを支援すればいい。全ての人にお金を配る必要はない」という批判が寄せられる。ところがこうした政策では、政府が想定する困窮者しか支援されず、常に想定外の困窮者が捨て置かれることになる。

    「最後のセーフティーネット」と呼ばれる生活保護も、無条件ではない。健康で働けると見なされた場合や、親や兄弟の支援が受けられると見込まれた場合は受給できない。病気を患っていたり、親や兄弟と不仲で支援が受けられなくても、受給できないことがある。

     例えば2017年3月時点の被保護世帯は約164万2000世帯であり、生活保護基準以下で生活する約784万1000世帯のおよそ21%である。つまり、残り8割の人は受給できずにいるのである。

     メリット2 再分配の「崖」がない

    (注)収入が1円増えると給付額が1円減ると仮定した (出所)筆者作成
    (注)収入が1円増えると給付額が1円減ると仮定した (出所)筆者作成

     生活保護を拡充し、一定収入以下の人々に無条件に給付するように変更すれば普遍主義的となり、望ましい公的扶助制度になると主張する人もいるだろう。ただ、今の生活保護は、働いて収入を得るとその分だけ給付額が減らされるのが基本だ。

     仮に、年収100万円以下の人々に無条件に給付される生活保護というものを想定してみよう。年収0円の人の給付額は100万円で、年収が1円増える度に給付額が1円減らされ、税金は存在しないものとする。

     図1のように、横軸に労働などで得た収入である「当初所得」(年収)を取り、縦軸に生活保護の給付分を加えた「再分配所得」を取ると、100万円以下では水平のグラフになる。つまり働いても働かなくても再分配所得は変わらない。

     実際の生活保護では、労働収入に対する控除が若干あって、少しは労働した方が再分配所得は大きくなる。だが、その増大分はあまりにも小さいので、労働のインセンティブが働きにくく、「貧困の罠(わな)」から抜け出せない。

    所得制限でも「不公平」

    (出所)筆者作成
    (出所)筆者作成

     それでは、所得制限を付けたうえでの一律給付を導入すれば問題は解決するのか。例えば、年収100万円以下の人々に一律90万円給付する制度を想定すると、図2のようなグラフとなる。年収100万円の人には給付がなされ、100万1円の人には給付されない。

     ここでは、両者の再分配所得に90万円近い格差が生じる点に注目してほしい。年収100万円と100万1円の間に「崖」が存在するのである。これは「給付上の不公平」を意味している。

     このような給付上の不公平がなく、労働のインセンティブが働くような公的扶助制度は何か。それは所得制限なしに全員に一律給付する制度、つまりBIである。

    (出所)筆者作成
    (出所)筆者作成

     BI導入の際に、所得税を一定率増税してまかなうとしよう。仮に給付額を90万円として増税率を25%とすると、給付分と税金分を加えた再分配所得は図3のようになる。グラフは連続的であり、「崖」が存在しない。「再分配額=給付額−増税額」とすると、収入が多ければ多いほど再分配額が少なくなる。

     すなわち、より貧しい人がより多くの純受益(税負担と給付の差し引きで給付が上回る分)を得て、より豊かな人がより多くの純負担(同じく税負担が上回る分)を課せられることになる。

     BIは、無条件の生活保護に労働のインセンティブを加えた制度なのである。

     メリット3 幸福度が上昇する

     ここまでBIの経済的メリットについて議論してきた。BIは、心にはどう働きかけるだろうか。

     2017年から18年にかけてフィンランドで行われた実験をはじめ、さまざまな場で、BI導入により人々のストレスが減少し、幸福度(生活満足度)が上昇することが確かめられてきた。

     驚くべきは、1974年にカナダのマニトバ州ドーフィンという町で州政府などが実施したBIの社会実験で、「交通事故が減少した」「病気やけがによる入院の期間が大幅に減少した」「学生の学業成績が向上した」「配偶者らによる暴力(DV)が減少した」といった結果が得られている。理由は明確ではないが、おそらくBIの給付によって人々の心に余裕ができるからだろう。

     メリット4 労働環境が改善する

     BIの問題点としてよく指摘されるのは、BIの導入によって労働意欲が失われるという点だ。ただ、これは程度問題であり、月7万円や8万円といった給付によって会社を辞める人は、極めて少ないだろう。給付額が多ければ多いほど労働意欲が減退すると考えられるので、適切な給付額を検討する必要はある。

     BI導入によって賃金が下がるという懸念は、確かにあり得る。マルクス経済学によれば、賃金は生活を送るのに最低限の水準へ減少する傾向があるので、BIを導入した場合、給付額の分だけ賃金は引き下げられると考えられる。一方、近代経済学に従えば、労働意欲の減退によって労働供給が減るため、その分、賃金は上昇すると考えられる。

     おそらく、雇用条件の劣悪な一部のブラック企業では賃金は下落し、他の多くの企業では賃金は上昇するだろう。なお、BI導入によってブラック企業そのものが減る可能性もあり、全体として労働環境の改善を促すものと予想される。

     メリット5 AI時代の「救世主」

     最後に、若干の問題点はありつつもメリットの多いこのBIという制度が、これからますます必要とされるようになる可能性について論じたい。

     AIやロボットなどの生産活動の自動化を促す技術がさらに普及する未来では、それによって失業する人や雇用されていても十分に稼げない「ワーキングプア」が続出する可能性がある。本当に困っている人とそうでない人を選別する社会的なコストはさらに多大なものとなり、セーフティーネットの網の目からこぼれ落ちる人々の数も多くなる。

     私はそのような未来は10年後くらいに到来し、その時にはBIが不可欠であることを人々が認識するようになるだろうと予想していた。だが、新型コロナウイルスの感染拡大によって経済活動がまひし、あまりに多くの人が一時的であれ仕事を失う事態が現実化したことで、そんな未来を先取りしてしまった。

     すなわち、「ウィズコロナ」(コロナとの共生)とは、AI時代同様、失業者やワーキングプアが続出し得る可能性のある社会なのである。新型コロナ対策として日本で10万円の特別定額給付金という、一時的なBIとも言い得る政策が現実化したのは、人々が無意識のうちにBI的思考を受け入れ始めていることを意味している。AI時代の到来以前にBIは、ウィズコロナ時代ですでに不可欠な制度になっているのかもしれない。

    (井上智洋・駒沢大学経済学部准教授)

    (本誌初出 Q2どんなメリットが? 困っている人を選ばず救済 大量失業時代の「安全網」に=井上智洋 20200721)

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