経済・企業

コロナで需要消滅、開発費半減……三菱スペースジェット(旧MRJ)の開発現場で一体何が起こっているのか

試験飛行で愛知県営名古屋空港を離陸するスペースジェットの「試験10号機」=3月18日
試験飛行で愛知県営名古屋空港を離陸するスペースジェットの「試験10号機」=3月18日

 三菱航空機が開発を進める小型ジェット旅客機「スペースジェット」に、またもや暗雲が垂れこめている。納入開始に必要な「型式証明」の取得作業の遅れに加え、新型コロナウイルスの感染拡大で旅客機の市場環境も激変しており、戦略の二転三転が続いていることが要因だ。親会社の三菱重工業は2020年度の開発費半減や欧米拠点の閉鎖、最高開発責任者の退任なども決めており、視界は一向に晴れない。

「最高の2019年をありがとう」。三菱航空機は昨年12月、この年の開発成果を振り返る動画を同社ホームページ上で公開し、飛行試験などの進捗(しんちょく)をアピールした。スペースジェットは同年6月のパリ航空ショーで旧MRJから名称変更も発表しており、アレクサンダー・ベラミー最高開発責任者は「私たちのチームは今日の成功にたどり着くまで、長い道のりを歩いてきた」と誇らしげに語っていた。

 しかし、ベラミー氏はそのわずか半年後、今年6月30日をもって退任した。その理由は、開発検討に着手していた「M100」(座席数76~84席)の凍結だ。三菱航空機は、スペースジェットの基本形である「M90」(88席)で日本や米国の航空当局から機体の安全性を証明する型式証明を取得した後、間髪を入れずに、北米で地方都市間の運航に大きな需要を見込めるM100の開発に移行する計画だった。

 ただ、M90はいまだ型式証明を取得できておらず、三菱重工は今年2月、通算6度目となる納入延期を発表。開発費のかさむ三菱航空機は2020年3月期の純損失が5269億円と、過去最大の赤字となった。出血が止まらない中、今年5月には今年度のスペースジェットの開発予算を昨年度の約半分の600億円程度に削減する方針も打ち出した。三菱航空機の米国での飛行試験で中心的な役割を果たしてきた川口泰彦氏が7月1日付でチーフエンジニア兼技術本部長に就き、当面はM90の型式証明取得作業に集中する。

初号機納入時期も示せず

 スペースジェットの開発遅れは、ひとえに民間機分野でのノウハウ不足に起因する。これまでに三菱重工が経験のある防衛省向けの機体では、まず最高速度などの開発目標があり、それを満たすのに必要な安全性を備えていればよかった。しかし民間機では、機体全体だけでなく部品単位でも安全基準への適合性を自ら各国の航空当局に示し、型式証明を取得する必要がある。

 民間航空機の型式証明は設計・製造国の航空当局が審査するが、輸出先の国でも別途、型式証明を得なければならない。スペースジェットは旧MRJとして08年に事業化されたが、日本ではYS-11以来、約半世紀ぶりの国産旅客機の開発であり、航空当局も審査経験が乏しい。そこでカギになるのが、米航空当局の審査だ。実際、米連邦航空局(FAA)は 「シャドー(陰の)審査」として、日本の国土交通省航空局と連携してスペースジェットを審査している。

 三菱航空機は16年夏ごろまで「この設計で安全が証明できる」と考えていた電子機器の配置で、型式証明が取得できないことが判明。新たに試験機を追加製造するなど、開発作業をやり直してきた。これら大がかりな設計変更を主導してきたのが、カナダの航空機メーカー、ボンバルディアで型式証明に携わった経歴を持つベラミー氏ら外国人技術者だった。

 三菱航空機は16年ごろから開発の最前線を名古屋から米ワシントン州に実質的に移し、3000時間以上に及ぶ飛行試験を進めてきた。だが、「確かにスピード感は増した」(三菱航空機関係者)ものの、遅れを取り戻すことは難しかったようだ。すでにスペースジェットの設計変更は900項目を超えたが、一つひとつの開発作業の遅れが全体のスケジュールに影響を与える構図は変わっていない。日米間での情報共有不足を指摘する声もある。

 今年3月には設計変更を反映した「試験10号機」が愛知県営名古屋空港で初飛行に成功したものの、もともとは19年秋ごろの初飛行を予定していたものだ。さらには、型式証明に必要な規定が頻繁に追加・変更されることも開発遅延に拍車をかけており、スペースジェットの初号機納入は今のところ「2021年度以降」と、納入目標を明示できない状況にある。

もくろみ外れた米市場

 こうした中、ある三菱重工関係者は「最近は米国向けのM100の検討に時間を割くあまり、肝心のM90の設計変更作業がおろそかになっていた」と証言する。M100の開発に時間を割いていた背景には、大手航空会社が地域航空会社に運航を委託する際、機材の座席数や重量に制限を設ける米航空業界特有の慣習「スコープクローズ」がある。

 米大手航空会社はコスト抑制のため、地方都市間の運航を「地域航空会社」に委託するケースが多い。一方、大手航空の労働組合は雇用を維持するため、運航委託する際に座席数や重量に制限を設けている。MRJの開発が決まった08年当初はこれが緩和される見通しで、米トランス・ステーツやスカイ・ウエストといった地域航空会社はMRJの88席機やブラジル・エンブラエルの最新鋭機を大量発注していた。

 しかし緩和のもくろみは外れ、米デルタ航空などのスコープクローズは従来の基準を維持する内容が継続。具体的には大手が地域航空に委託できる機材の座席数を76席以下、離陸時の最大重量を8万6000ポンド(約3万9000キロ)以下にする規定が維持されたため、MRJやエンブラエルの「E2」といった最新鋭機による運航は委託が難しくなった。

 三菱航空機は昨年6月のパリ航空ショーで従来の70席クラスの開発を中止し、代わりにスコープクローズに準拠する「M100」を新規開発すると発表して巻き返しを図った。スコープクローズに合致するジェット旅客機は、他社を含めて開発中の最新鋭機ではM100のみとなり、三菱航空機としては北米顧客をつなぎとめるために何としてでも開発を実現したいモデルだった。

 しかし、20年に入って新型コロナが感染拡大し、世界の航空業界は大打撃を受けた。発注済みの機体の受領延期も相次ぐ中、三菱航空機にとっては新規受注が見込みにくいことも開発体制の縮小を加速させた。三菱航空機は試験10号機と製造中の11号機で、日米などの型式証明取得を目指すが、新型コロナの影響で試験飛行にも遅れが生じている。

 相次ぐ納入延期は、製造現場をも疲弊させている。昨年11月には、スペースジェット向けに炭素繊維複合材の尾翼部品を手掛ける東レが、部品加工から撤退することが明らかになった。それでも、「大手は交渉の余地があるからいい」と、ある中部地域の中堅部品メーカーからは嘆き節が漏れる。三菱重工グループとの取引が多い中堅・中小企業にとっては、やめるにやめられない状況にまで陥っている。

 三菱重工の泉沢清次社長はスペースジェットの今後について、「グループ全体の厳しい状況を考慮した適正な規模の予算で(開発を)推進したい」と語る。ただ、スペースジェットへの累積投資額は1兆円規模に膨らんでおり、体制縮小によって開発が遅れれば、投資回収の見込みはさらに遠のく。暗雲から抜け出せる気配はまだ見えない。

(松木悠・ジャーナリスト)

(本誌初出 暗雲の三菱スペースジェット 経験不足に戦略も二転三転=松木悠 20200728)

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