週刊エコノミスト Onlineコロナ株高の終わり

危機対応のスペシャリストたちが日銀を去った今、人材不足に陥る日銀は「次の金融危機」に対応できない

旧長銀最後の頭取を務めた鈴木恒男氏(1998年10月、東京証券取引所で)
旧長銀最後の頭取を務めた鈴木恒男氏(1998年10月、東京証券取引所で)

「どっかほかに、コールローン出す先ないのかよ!」──。

 1990年代後半から2000年代初頭にかけて、筆者は日本銀行で金融機関の破綻処理の対応に当たる最前線にいた。コールローンとは、金融機関同士が短期間の資金の貸借を行うコール市場で、貸手側から見た資金を言う。「お公家集団」と揶揄(やゆ)される日銀だが、信用機構室などの担当部局は時には怒号が飛び交う「戦場」だった。

 当時の日銀には、中曽宏氏(元副総裁)、田辺昌徳氏(元信用機構局長)、梅森徹氏(元名古屋支店長)、岡田豊氏(元発券局長)ら不良債権処理と信用秩序維持の担当者たちが関係省庁や国会対応の第一線に立っていた。みな、「最後の貸手」たる中央銀行マンとしての自負を守りながら処理に当たっていた。

 個別行の経営不安の情報が流れると、コール市場をはじめ金融機関が取引を行うインターバンク市場での調達が困難化した金融機関への連日の資金繰りモニタリングと指導を行い、経営破綻の「Xデー」に向けた現金の輸送・配備、そして破綻後の日銀特融の実施など、霞が関と連携しながらきめ細かな実務を、昼夜を徹して積み重ねていった。

 特に、日本長期信用銀行(現新生銀行)、北海道拓殖銀行(北洋銀行などが継承)、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)と大手行が相次いで破綻した97〜98年は、日本経済が戦後最大の危機に達した時期だろう。

 あれから20年あまりが過ぎた。“猛者”たちは日銀を去り、その下で実務を行っていた筆者の世代もみな第一線を退いている。不良債権の情報開示、資本注入の仕組みなど、危機の発生と連鎖を未然に防ぐ制度や仕組みは、前回の金融危機の成果として一通り整備された。しかし、金融庁と日銀、金融機関側で危機対応を経験した人材の多くは引退し、離散している。「次の危機に対応できるのか」――。日銀を離れて10年以上過ぎた筆者は懸念する。

個別行の経営に切り込めるか

 大手証券会社がまとめた21年3月期経常利益予想はおおむね1割減という見方だが、コロナ危機のすう勢は見通しにくい。政府系金融機関やメインバンクによる当座の資金繰り支援で一息ついた貸出先の売り上げが、コロナ以前に比べて7割程度で推移する「ニューノーマル」以下に落ち込んだ場合には、不良債権が増加して銀行経営に影響を及ぼすことになる。

 特に、訪日外国人旅行者の大幅減による打撃を受けている観光・小売りなど地域経済に密着する地方銀行は、体力のある銀行とそうでない銀行との格差が激しく、後者の一部には経営問題に発展していくケースも出てくるだろう。

 政府は先ごろ、金融機能強化法に基づく金融機関への公的資本注入スキームを拡充。資金枠を増額するとともに申請期限を延長し申請基準も緩和した。とはいえ、不良債権が個別行の経営基盤を揺るがす事態が相次ぐことになれば、冒頭で示したような、バブル経済崩壊以来の金融システム危機に直面する。

 その場合、日銀は金融システム全体の安定を確保する「マクロプルーデンス政策」を強化してきた真価が問われる。リーマン・ショックを教訓に導入された同政策は、金融システム全体のリスクの状況を分析・評価し、それに基づいて制度設計や政策対応を図る考え方だ。

 国際的な潮流とされる同政策は、個々の金融機関の健全性を確保する「ミクロプルーデンス」に対置される。マクロ政策はもちろん大事だが、ミクロな現場実務のスキルを失ってはならない。金融庁の検査局は2年前に業務を監督局に移管され、金融検査マニュアルも昨年末に廃止された。これに対して、日銀考査での資産査定は脈々と続けられている。今こそ、日銀は個別行の経営問題に深く切り込んでいくべきだ。

(池田聡・桜美林大学特任講師、元日銀職員)

(本誌初出 危機対応に不安の日銀 いなくなった不良債権処理の猛者=池田聡 20200804)

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