日本の農業は縮小どころか実は成長していた……!ITで生産性を高める「アグリテック」とはなにか
<変わる農水産業>
日本の農水産業の経済規模は拡大に転じている。1994年に9・4兆円あった名目国内総生産(GDP)は、2011年に5・1兆円まで減少し続けたが、その後は増加に転じ、18年は6・6兆円となった。
一方、成長の持続性に向けては、減少に歯止めがかからない「担い手」と「農地」への補完・代替策が不可欠となる。担い手については、海外からの農業実習生をその代替とする農業法人も増えてきたが、昨今のコロナ渦の影響で来日できずに、「収穫期にある農作物を収穫できない」という悲痛な声が聞こえ始めた。
日本農業の成長の手段として期待されるのが、「アグリテック」であろう。アグリテックは、農業(アグリカルチャー)にITなどのデジタル技術やロボット技術(テクノロジー)を掛け合わせた造語である。農業の担い手を補完する省力化や、熟練の農家の経験と勘の承継、農業経営体の大規模化と担い手の裾野の拡大に大きく寄与することが期待される。
アグリテックの技術領域は、植物工場や陸上・先端養殖、ドローン、収穫ロボット、ロボット・トラクターなど多岐にわたるが、ほぼ全ての領域に共通するアグリテックの基盤は「生産プラットフォーム」に他ならない。これは、農水産事業者が、クラウドやセンサー、ビッグデータ、人工知能(AI)などのデジタル技術を活用して、生産プロセスの効率化や省力化に資するオンラインプラットフォームを指す。耕種農業と畜産、水産の三つの分野に分けて、生産プラットフォームの市場動向を俯瞰(ふかん)したい。
3人で150万匹管理
水産分野の生産プラットフォームとしては、主に生簀(いけす)内の魚を常時モニタリングする養殖管理システムの開発が進められている。ただ、世界的に導入は遅れている。
養殖管理システムの開発の先進国は水産大国のノルウェーである。サーモン類の養殖で世界大手のサルマールは18年、150万匹のサーモン類をわずか3人で管理するハイテク養殖施設の実証開発に成功した。この施設の生簀では高感度カメラと全ての魚に埋め込んだセンサーで、リアルタイムに魚の状態をモニタリングできるなど、日々の給餌を含めた基本的なオペレーションは自動化されている。
サーモン養殖大手のセルマックは、魚の個体管理養殖システムを18年に開発した。これは生簀内の高感度カメラとセンサー、三次元画像処理技術などを使って個々のサーモンを識別する「顔」認証システムである。生簀内の魚の数や個々の魚の大きさ、病気の有無などをリアルタイムに判別、記録することが可能となる。魚の個体管理を行う技術は20年、米グーグルによっても開発されている。この養殖プロジェクトは「タイダル(Tidal)」と名付けられ、大きな関心が寄せられている。
「牧場」を手のひらに
畜産分野の生産プラットフォームは、特に酪農業界で普及が進んでいる。リードするのは、牛1頭当たりの乳量が世界トップクラスのイスラエルである。代表企業は協同組合発の企業、アフィミルクであり、酪農管理システムなどを世界50カ国で展開している。
AIと機械学習の技術を駆使した酪農管理システムで急速にシェアを高めているスタートアップが、17年から「IDA for Farmers」の提供を始めたオランダのコネクテラである。このシステムは、牛に付けたIoTセンサーで牛の健康状態や活動状況に関するデータをリアルタイムに収集・解析しながら、AIが酪農経営者に有用な情報を提供するプラットフォームである。
日本市場を引っ張るのが、13年に設立されたスタートアップのファームノート(北海道帯広市)である。14年から手がけるクラウド牛群管理システム「ファームノート」は、「牧場を、手のひらに」をキャッチコピーに、スマートフォンやパソコン、タブレットで、いつでもどこでも、個体リストや活動履歴、血統、投薬記録などを管理、記録、分析、共有することができる。
牛用の首輪型IoTセンサー「ファームノートカラー」との組み合わせにより、牛の活動データが自動収集されるだけでなく、収集したデータをAIで解析する。
このセンサーで収集した牛の活動データは「休息・反芻(はんすう)・活動」の三つの行動に分類され、反芻時間の急激な変化や活動時間の増減などから牛の発情や疾病の兆候を読み取ることができる。このシステムは、試験的に導入可能な無料サービスで間口を広げた他、高いユーザビリティーと機能性を持った実質的に国内初のシステムである。先行者メリットを享受し、現在、乳用・肉用牛の同システムで国内有数のシェアを誇る。
稲作や青果、花卉(かき)などの耕種農業分野の生産プラットフォームは、農場や農作業、作物の情報をクラウド上で一括管理する営農支援システムのほか、温湿度や日射量などの外部環境をセンサーで測定して温室内を最適な環境に維持する環境制御システムなどがある。
この分野の先駆けは欧州である。代表企業はオランダのプリバであり、同社は77年に園芸施設向けの環境制御システムを開発。日本を含む世界約100カ国に製品が供給されており、環境制御システムの世界シェアは実に約7割に達する。
米国では「ファーマーズ・ビジネス・ネットワーク(FBN)」と「クライメート・コーポレーション」の両スタートアップが中心に位置する。
14年に設立されたFBNは、さまざまな農業者の営農情報を閲覧できる生産プラットフォーム「FBN」と種子や農薬・肥料などをオンラインで購入できるサイトなどを運営している。
大手検索サイト、グーグル出身の2人によって06年に設立されたクライメート・コーポレーションは、当初はリゾート施設や農業者向けに気象予測や天候保険のサービスを提供していた。13年にモンサント(現・バイエル)の傘下に入り、気象予測などのデータ解析のノウハウとモンサントが持つ農業ビッグデータをもとに、15年から生産プラットフォーム「クライメートフィールドビュー」の提供を始めた。
このシステムは人工衛星から撮影された画像や設置されたセンサー、これまでの栽培履歴などから得られたビッグデータを解析することで、土壌や作物のリアルタイム情報を、農家のタブレットなどへ提供している。情報はさまざまな色に分けられ視覚的に把握できるよう工夫されている。生育状況がよくない場所などはタブレット上に赤色で表示される仕組みだ。広大な農場をすみずみまで歩くことなく、トウモロコシや大豆などの栽培に必要なデータを簡単に得られる。
気象予測などの個別機能の精度は高く、さらに小型のブルートゥース(近距離データ通信)装置を農業機械に差し込むだけで、栽培に必要な情報が収集できる高い接続性を強みとする。他の農業機械メーカーや関連ソフトウエア企業などとの高い互換性なども持ち、サービス開始からわずか5年足らずで、全米のトウモロコシと大豆の総作付面積の約5割まで普及している。
生産プラットフォームの将来展望として、大きく二つの潮流を予測している。一つ目は特定のプラットフォームに農地や作物、農業者の「データ」が集約する「巨大プラットフォーマー化」の流れである。
プラットフォームの運営主体としては二つの方向性が考えられ、一つは独自性の高い技術やビジネスモデルを持つ有力スタートアップである。上述した米国のFBNやクライメート・コーポレーションなどがその候補企業であろう。
プラットフォームのもう一つの運営主体としては、農業関係メーカーの連携体である。昨今、農業機械や農薬などの各メーカーが連携し、共通の生産プラットフォームでサービス提供や情報連携を行う動きが活発化している。その代表例が、17年に設立されたドイツの「365ファームネット」である。同社は欧州最大の農業機械メーカーであるドイツのクラース・グループや世界有数の化学メーカーであるドイツのBASFなど、約50社の関係企業によって設立された。必要な基本機能は全て無償で提供し、付加機能を参画各社がそれぞれ有料で提供するビジネスモデルを展開している。
生産プラットフォームの二つ目の潮流は、提供モデルが「システム売り」から「課金型」へ移行する流れである。他産業と同様に、必要な機能を必要な時に利用する「SaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)」が主流となろう。
国内市場も急拡大
生産プラットフォームを基盤技術として、世界中で開発と普及が進み始めたアグリテックは、20年代に国内市場でも急速な広がりが期待される。19年の国内市場規模を840億円と推計しているが、今後、年平均成長率(CAGR)21%で伸長し、30年には6870億円に広がるものと予想している(図)。
アグリテックの普及と浸透は日本農業にどのような変化をもたらすか。まず、10年以降に進み始めた経営体の大規模化や農業の効率化、そして担い手の裾野の拡大を持続可能なものに後押しするであろう。また、欧米のように自らは生産現場に携わらずに「経営」に特化する経営者を数多く生み出すことになろう。
さらに、他産業からの新規参入がこれまで以上に活発になり、これまでの常識では考えられないビジネスモデルやサービスが出現し始めるものと予想している。農水産業の経営者は、アグリテックを単に生産プロセスの改善と捉えるのではなく、流通プロセスを含む食のサプライチェーン全体を俯瞰した経営戦略や、企業文化を含めた企業そのものの変革に生かしていくことが肝要となる。いわば「デジタルトランスフォーメーション(DX)」の実践である。
(佐藤光泰・野村アグリプランニング&アドバイザリー調査部長主席研究員)
(本誌初出 ITが変える農水産業 養殖魚の顔認証、牛の授精適期確認… 「アグリテック」で市場拡大へ=佐藤光泰 20200804)