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経済・企業 ベーシックインカムへの欲求と難題

「中間層以上は損となるベーシックインカム」と「生活保護」 本当はどちらがいいのか?

一人ひとりの「最低限度の生活」をいかに保障するか…… (Bloomberg)
一人ひとりの「最低限度の生活」をいかに保障するか…… (Bloomberg)

 ベーシックインカム(BI)が、注目を集めている。BIは、全市民に無条件に、定期的な一律(定額)の給付を行うというものであり、ヨーロッパ諸国においては実際にその導入の可否が国民投票にて問われたり、実験的に一部地域に導入されたりしている国もある。

 BIの議論で最もよく引き合いに出されるのが、既存の公的扶助、日本で言えば、生活保護制度である。生活保護は、人々の暮らしを支えるセーフティーネットであり、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を守るための最後のとりでである。しかし、資力や親族の援助の有無など、受給するための条件がたくさん設けられており、必要な人すべてに行き渡っていないという指摘がある。

 実際に、厚生労働省が今年7月に公表した2019年国民生活基礎調査によれば、「相対的貧困率」(貧困線=可処分所得の中央値の半分=未満で暮らす世帯員の割合)は15・4%(18年値)だが、生活保護を受けている人の割合は2%にも満たない。また、勤労所得など、生活保護以外の所得が増えると、その分、生活保護からの給付額が低くなるという設計のため、勤労意欲を削(そ)ぐという批判もある。

 BI論者の中には、このような生活保護制度の欠点を解決する方法として、BIに期待している人も多い。BIは無条件なため、住民票がないなど特殊な理由がない限り受給から漏れてしまうことは少ないし、所得が多くても少なくても同じ金額なので勤労意欲にも影響しないからだ。確かに、誰にでも無条件で一律、というBIの設計は、シンプルで美しい。

「最低限」を守る

 しかしながら、生活保護制度にはあって、BIにはない考え方がある。それが、「ニーズ」という考え方だ。生活保護は、その人が「健康で文化的な最低限度の生活」を送るために必要なものだけを給付するという考え方に基づいている。それ以上でも、それ以下でもいけない。そのため、生活保護は、勤労所得が上がれば、給付額は下がるという設計となっているのである。

 また、どのような状況の人であっても最低限度の生活を下回ることがないよう、生活保護の給付額は複雑に設計されている。人々は置かれた状況によって同じ生活水準を送るためにも「ニーズ」が異なるからである。だからこそ、生活保護制度では、その人の年齢や住む地域、何人家族なのか、障害があるかどうか、学齢期の子どもがいるかどうか、持ち家があるのか家賃を払わなくてはならないのか、医療費や介護費がどれくらいかかるのかなど、一人ひとりの「ニーズ」を細かく把握し、それに応じて給付額が決定される。

 例えば、生活保護制度では、冬の気温が低い地域においては、暖房費のための冬期加算が冬だけ上乗せされる。それほど「ニーズ」には敏感なのだ。翻って、BIには「ニーズ」の考え方がない。そのため、BIで支給される金額が、人々の異なるニーズをすべて充足できるほどの高いレベルであればよいが、そうでない場合、足りない部分をBI以外の給付で補わなくては、憲法が保障する人々の「最低限度の生活」は守ることができない。

 例えば、新型コロナウイルス対策として全国民に支給された特別定額給付金(10万円)は一律であり、BIと同じ設計であるが、1人当たり10万円の給付で1カ月分の生活費が賄える人もいれば、賄えない人もいる。4人家族で持ち家があれば、40万円で十分に生活できるであろうが、1人暮らしで借家であれば10万円から家賃や光熱費を引いたら食費さえも足りなくなるかもしれない。すなわち、人々の生活を保障するという憲法の理念を守るのであれば、BIを導入しても、生活保護のような制度が必要なのである。

BIの導入を検討するのであれば、より近い制度として、基礎年金や児童手当を思い浮かべるとよいであろう。基礎年金は満額であれば一律であるし、児童手当も第3子以降は若干上乗せされるものの、基本的には子どもの年齢ごとに一律である。もちろん、基礎年金の受給者でも、子どもでも、「ニーズ」は人によってさまざまであるし、誰も基礎年金のみ、児童手当のみで、高齢者や子どもの生活をすべて賄えると思ってはいない。

 しかしながら、高齢者には貯蓄や場合によっては勤労所得もあるだろうし、子どもも親の勤労所得など他の生活保障の手立てがある。そして、それらもない時には、最後のセーフティーネットである生活保護制度が後ろにどんと構えているのである。BIも同じように、生活保護と並立した所得保障制度の一つとして考えることはできるであろう。

負担は将来に「つけ」

 また、BIはその財源の負担、すなわち課税の分担方法までセットで考えられている構想である。生活保護制度は、社会保障給付費120兆円のうちの3・7兆円ほどに過ぎないが、市民全員対象のBIとなればその費用は膨大になる。仮に、小さなBIとして、児童手当と同じ1人1カ月当たり1万円の給付を想定してみよう。この小さなBIでも約15兆円の財源が必要である。

 先に述べたように、BIのほかにも既存の生活保護制度、医療保険制度や、介護保険制度、年金制度も維持しなくてはならない。その財源を市民の間でどのように負担するべきなのか、その議論なくしては、BI構想は進まない。単純に考えれば、社会の底辺の人々により手厚い保障をするのであれば、中間層以上の人々は、もらえる給付よりも多くの負担をしなくてはならない。

 そのような負担を引き受けてでも、今より確実にすべての人に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障できるのであれば、BIは検討すべき選択肢である。なぜなら、この保障が確実なものであればあるほど、人々は安心して起業したり、自由に人生設計をすることができたりするからである。

 今回、特別定額給付金という無条件の普遍的な金銭給付がなされたのは画期的なことであった。しかし、今回の給付は、誰が負担をするのかが曖昧なまま将来に「つけ」とされる形で行われた。すべての社会保障制度は、市民が直接的・間接的に税金や社会保険料を払って支えているのだから、将来の人間も含めて、誰の痛みも伴わない給付というのはあり得ない。

 さまざまなコロナ対策にかかる費用についても、緊急で不可欠であったからこそ、その負担を市民の間にどのように分配して背負っていくのかという、血の出るような議論をしなくてはならないであろう。

(阿部彩・東京都立大学人文社会学部教授)

(本誌初出 生活保護の「本質」 ベーシックインカムにはない「ニーズ」に応える制度設計=阿部彩 20200825)

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