教養・歴史書評

『手の倫理』 評者・池内了

著者 伊藤亜紗 (東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長) 講談社選書メチエ 1600円

「さわる」 「ふれる」 触覚で探求する人間関係

 人間は視聴味嗅触の五つの感覚によって外部の環境を認識するが、得られた情報を人間関係へと結びつけられるのは視覚(まなざし)と触覚(手)である。そして、西洋哲学では「手」よりも「まなざし」を人間関係の基本として論じられることが多かった。視覚の状況把握能力と介在する多様な非視覚的経験をも包摂できると考えてきたからで、手を通じての直接的接触がもたらす他者の理解より深いとされてきたためだ。

 しかし著者は、手を通した触覚のさまざまな体験を通じて、そこで成立する倫理や信頼の深さを考察し、特に目や耳が不自由な人や吃音(きつおん)者・四肢切断経験者など障害がある人との交流の中で、コミュニケーションや共鳴と呼ぶ結びつきがどのように生起してくるかを追究してきた。本書はその一つの集大成で、私には触覚の哲学についてなじみがなかっただけに、「接触面の人間関係」という視点に新鮮な感覚を覚えた。

 著者の話法の特徴は、似た概念を持つが異なった意味を内包する言葉を二つ提示し、自分はどちらの立場で論を進めるかを明示することにある。ここで取り上げるのは、「さわる」と「ふれる」、「道徳」と「倫理」、「信頼」と「安心」である。それらは議論の筋道を明示するための対比論法として使われ、論理をより明晰(めいせき)にする手法として効果的である。

 例えば、触覚に関連する言葉の、「ふれる」には相互的で人間的なかかわりが含意され、「さわる」には一方的であって物的なかかわりが想起される。手の働きという接触面を通じて人間関係が成立する上には、「よきさわり方/ふれ方」があって倫理とも結びつくことになる。

 では「倫理」とは何で、「道徳」とどう異なるのであろうか。「道徳」は絶対的で普遍的な規範、「倫理」は具体的で個々に異なった状況の中での人の振る舞い方への準拠と言えるだろうか。そこから手の倫理という本書の主題が展開されるのだが、端的に言えば「さわる/ふれる」は本質的に倫理的な行為であり、具体的な状況と普遍的な価値の間を往復する中で異なったさまざまな立場をつなげていく営み、という結論になる。

 さらに触覚は対象との物理的な接触を伴うため、「信頼」と「安心」が欠かせないのだが、それは時にぶつかり合い葛藤を呼ぶ。「安心」は状況を制御できているとの想定に依拠し、「信頼」は社会的不確実性があることを承知した上での信じるという行動である。この両者をつなぐのも手の倫理ということになろうか。いずれも味わい深い考察である。

(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)


 伊藤亜紗(いとう・あさ) 東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了。リベラルアーツ研究教育院准教授。美学、現代アートが専門。著書に『記憶する体』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』など。

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