コロナ生活でも歓びを分かち合う「夫婦でゴミ出し、トイレ掃除」を姜尚中さんが主張するワケ
ミリオンセラー『悩む力』から12年、政治学者、姜尚中さんが『生きるコツ』(毎日新聞出版)を出した。社会課題を鋭く指摘するいつもの姜さんとはちょっと違い、肩の力を抜いて、伸びやかに「生きる」ことを慈しむ姿があった。何があったのか。
自然、人、食との接し方――身の丈でいいんじゃないか
――『悩む力』でとことん突き詰めて考えていらした姿とは、イメージが変わったように感じました。どんな心境の変化があったのでしょうか。
年齢とともに、本来の自分、自分でも気づいていなかった地肌が見えてきたように感じています。私は熊本から東京に出て大学に職を得、特に30歳過ぎからは社会的発言で注目され、学生運動の余韻もあってとんがっていた部分がありました。我々は戦後という昭和の子ども。昭和は堅牢で強固だという先入観に安心して乗っかって、批判していた。『悩む力』はその総決算というべきものでした。
それが10年前、還暦を過ぎたころから自分がまとっていた皮がむけてきた。さらに大きなきっかけになったのが、個人的な不幸もあるが、東日本大震災です。東京に代表されるような都会的なものの中で作られる価値観、生き方が崩れたように感じました。福島に行き、自分の根幹にあるものを問われたのです。
――「満足の文化」と「平穏の文化」と表現されています。
電力、エネルギーがあり、人が群がり、ビルが林立して、さまざまなエンタメがあふれている。それが当たり前だと思っていました。バブルを享受しながらバブルを批判することで、批判的知識人になったという気がしていたのです。今はそもそも、日本の近代そのものがバブルだったのではないか、と考えていますが。
しかし、そのバブルをくぐり抜けないと、今の境地にたどりつけなかったと思います。大都会の洗礼を受けたからこそ、自分が安心できるホームは何かと考え直したとき、自然との接し方や人間関係、食のあり方などのもろもろが「身の丈でいいんじゃないか」と気づいた。妻とも安心した絆を築けるようになりました。この10年で完全ではないけれど、憑(つ)き物がかなり落ちた。そうしてまとめたのが、今回の『生きるコツ』です。
――新たな挑戦を楽しんでおられる様子が心強かったです。
もともとは野球少年で体を動かすことが好きだったんです。今は、昔は嫌っていたゴルフ。早朝や夕方にひとりでゴルフ場に行きます。人工物ではあるが自然に囲まれた中で誰にも気兼ねせず、無邪気にボールを打つ。「ヤッター」と大声を出すこともあるし、夕日を眺めながら出会った人々を思い浮かべることもある。
役者もやりました。子どものころ、大人と一緒に日活や東映の映画を見ることが大好きだったんです。熊本復興支援の映画で行定(ゆきさだ)勲監督に声をかけられ、快諾したのは、そのときの空気が自分の中に残っていたからでしょうね。
無理せず妻の教えに素直に従う
――熊本は様変わりして、「エトランゼ」(異邦人)になったような気がすると書いておられます。
私は今、軽井沢に暮らし、月に何度か、熊本に通っています。ブルートレインが発着していた熊本駅が新幹線駅に、また知人が亡くなっていたりする。でも、古里って、なくなったときに古里になるのではないでしょうか。かつてとは違う風景を見て、「ここで友達と遊んだな」とぼおっと過去の記憶にひたるときがあります。センチメンタルではあるけれど、とても大切な時間。寂しいと同時に、古里に対する思いがさらに強くなりました。
――「甘えて何が悪いのか」とも。
ヨーロッパでも自死を選ぶ人が増えています。甘えようにも甘える場所が少なくなっているのではないでしょうか。自立ってそんなにいいことなのか。自助が先では生きづらい時代になるのではないでしょうか。
日本は江戸時代後期から勤勉節制が人々のエートス(習性)として広がりました。逆に国が、貧しい人、災害に遭った人を救済するという制度が脆弱(ぜいじゃく)でした。「自立しなければならない」「他人に迷惑をかけてはいけない」そして「頑張る」。自助努力に対するこうした考え方が、公助に対する社会的コンセンサスの遅れにつながっています。
私は母から一度も「自立しなさい」と言われたことはありません。戦後の熊本を身の丈で生き抜いた母は、「もうよかよ」とでも言うように80歳で亡くなりました。「生きる」のに「飽きて」死を受け入れた。孤独ではなかったと思います。
――奥様との関係も見直された、と。
今思えば、男尊女卑の気風が根強い熊本で、私は無理をしていたんです。たばこをやめたり、一日2食にしたり。今は妻の教えに素直に従う機会が増えました。
――多くの男性にとってなかなか難しいことだと思います。ぜひアドバイスをお願いします。
タテマエにこだわらないことです。特に言葉は難しい。「あのとき、こう言ったよね」という言葉一つで全身がダメージを受けることもある。
食事について話すといいですね。「今日の鍋は何にしようか」でいい。そのうち好みが似通ってきますよ。私は以前、ゴーヤは箸が進まなかったのですが、「栄養があるから」と妻に勧められて食べるようになり、今ではとても好きになりました。トイレ掃除やゴミ捨てなど生活する上でしなければならないことも、一緒にやるうちにだんだんわだかまりが解けます。そうした形而下(けいじか)的なことに重要な意義があり、大きな喜びがある。コロナ禍で多くの人がそのことに気づいたのではないでしょうか。
姜尚中(カン・サンジュン)
1950年、熊本市生まれ。東京大学名誉教授(政治学、政治思想史専攻)で、現在は熊本県立劇場理事長兼館長、鎮西学院学院長。主な著書に『悩む力』(集英社)、『見抜く力』(毎日新聞出版)など
初出『姜尚中 伸びやかに「生きる」を慈しむ』
2020年12月22日 サンデー毎日