国際・政治 反日韓国という幻想
日韓の新たな火種に? 「慰安婦賠償請求で日本政府が敗北」するかもしれない驚くべき事情
2018年10月、韓国の大法院が元徴用工らへの損害賠償を新日鉄住金(現日本製鉄)に命じた「徴用工判決」はその後の日韓関係に大きな衝撃を与えた。
2021年を迎え、世界も日韓もコロナ対応に追われる中、今あらたな日韓の火種となりそうな「ある裁判」の行方が、関係者の間で注目されているという。
韓国通として『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)などの著書で知られる、毎日新聞論説委員・澤田克己氏のリポートをお届けする。
「第二の徴用工判決」が出るかも知れない!
国交正常化以降で最悪の状況にある日韓関係は、2021年になっても改善の見通しが立たない。
それどころか年明け早々から、新たな火種になりかねない判決がソウル中央地裁で言い渡されることになっており、関係者が気をもんでいる。
その「新たな火種」とは、元慰安婦らが日本政府を相手取って起こした2件の損害賠償請求訴訟のことである。
年明け早々、1月上旬にもその判決が言い渡される見込みだ(新型コロナウイルス感染拡大の影響で日程は流動的)。
焦点となるのは、民事裁判における「主権免除」という慣習国際法の原則である。
この「主権免除」とは「主権国家は他国の裁判権に従うことを免除される」という原則で、「国家免除」と呼ばれることもある。
その通り適用されれば、韓国の裁判所は日本国に対する裁判管轄権を持たないから訴えは却下されることになる。
ただし、これはあくまで「原則」である。
最近の韓国における司法判断の流れから、日本の国際法専門家には「主権免除の『例外』を認めるかもしれない」という人が少なくない。
なぜそう予想されるかと言えば、韓国の最高裁(大法院)が2018年に元徴用工の訴訟で、被告の日本企業敗訴の判決を確定させているからだ。
この訴訟では、元徴用工の要求した「慰謝料」は、日韓請求権協定の対象外だという判断を下して原告勝訴としている。
これは、徴用工問題は請求権協定で解決済みという日韓両政府の従来の判断を覆すもので、韓国政府はその後、従来の判断に言及しなくなった。
判決ではわざわざ、原告は「未払い賃金や補償金を求めているのではなく、慰謝料を請求している」と説明した。
これは、韓国政府が請求権協定の交渉時に「徴用工への未払い賃金と補償金」を明示的に要求していたことを意識したものだろう。
この判決が、現在の日韓関係悪化につながっている。
それだけに、今回の判決がどうなるか注目されているのである。
国際法はいまだ確立していない状況
主権免除というのはもともと、主権国家は対等な関係にあるから一方の国の裁判権に他国が服することはないという考え方のもとにある。
かつてはいかなる場合においても免除されるという「絶対免除主義」の考え方がとられていたが、現在ではさまざまな例外が認められるようになっている。
この「例外」としてどのような場合なら法廷の所在国の裁判権が認められるかが問題なのだが、民事裁判権免除に関する慣習国際法については未確定の部分も多い。
2004年に国連で採択された主権免除条約はまだ発効しておらず、国内法の規定がある国も日本を含めて10カ国ほどしかない。
韓国には国内法がないので、裁判所が慣習国際法の内容をそのつど判断することになる。
裁判権が認められる分かりやすい例外として、「国家が行う商業的行為」がある。
大使館が現地職員を採用する際の雇用契約や、外国企業から物品を購入する契約などの場合、外国国家だからという理由で裁判を免れることはできない。
ただし、この例外にあてはまっても差し押さえまでできるとは限らない。
被告となった国が裁判に応じた時も、主権免除の特権を自ら放棄したとみなされる。
ただし、法廷で主権免除を主張するだけなら裁判に応じたことにはならない。
それゆえ、日本政府は今回の訴訟の審理には参加していない。
韓国政府に対して外交ルートで「主権免除の原則に基づいて却下されねばならない」と伝えただけである。
主権免除の例外とされるものは他にもある。
逸脱の許されない行為であることが明確な「強行規範」に違反するケースだ。そのことを禁止する条約に入っているかなど関係なく、絶対に許されない行為と言うこともできる。
だが、具体的に「逸脱の許されない行為」を決めるのは難しい。
国際司法裁判所(ICJ)によって強行規範だと認定されたのは、拷問とジェノサイド(民族や宗教的集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる集団殺害や危害行為)だけだ。
韓国の運動団体は慰安婦とジェノサイドを同列に並べて論じることがあるものの、国際社会の認識は異なる。
さらに、法廷の所在国で外国が行った不法行為によって人的・物的損害が発生した場合は例外だとする司法判断の例もある。
外交官が駐在国で起こした交通事故の処理などのために生まれた例外だが、元慰安婦側の主張はここにも関係している。
同様の裁判で「ドイツ敗訴」という前例が…
今回の裁判と関連して語られるのは、ドイツを被告として1990年代にギリシャとイタリアで起こされた訴訟だ。
どちらも第2次世界大戦中のドイツ軍による不法行為で生じた損害の賠償を求めた。
ギリシャでの裁判は、ドイツ軍による住民虐殺事件の遺族が提訴した。
ドイツ政府は主権免除を主張したが、ギリシャの裁判所は認めず、最高裁でドイツの敗訴が確定した。
ギリシャの裁判所が、住民虐殺を「強行規範」の違反だと認定したからだ。国際法上の根拠としては、ハーグ陸戦条約に定められた「私権の尊重」に違反したことなどが挙げられた。
ただギリシャの法相は、国内にある外国(ドイツ)財産を差し押さえるために必要な許可を出さなかった。
一方、欧州人権裁判所の判断は違った。
賠償命令が執行されないことは欧州人権条約違反だという、原告側の申し立てを認めなかったのだ。
人権裁は、「人道に対する罪に関する国際法は強行規範だ」という慣習国際法はまだ確立されていないと判断した。
イタリアでの訴訟は、大戦末期にドイツ軍によってイタリアから追放され、ドイツで強制労働をさせられた男性がドイツ政府を相手取って起こしたものだ。
イタリアの裁判所は、ドイツ政府の主権免除を認めず、ドイツ敗訴が確定した。
ドイツは、イタリアの裁判所による主権免除の否定が国際法違反だとして国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。
そしてICJは2012年に、ドイツの主張を認める判断を下した。
現在の慣習国際法では、武力紛争時に軍隊が他国で行った行為については主権免除が認められるというものだった。
そもそも第2次大戦中まで遡ることが可能なのか?
さて今回の元慰安婦による訴訟では、どうなるのだろうか。
原告側は「反人道的な不法行為など重大な人権侵害は主権免除の対象ではない」と主張している。
韓国政府が慰安婦問題について、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」という立場を取ってきたことを念頭に置いているのだろう。
元徴用工訴訟の最高裁判決も、徴用を「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為」と認定している。
徴用工問題に詳しく、多くの戦後補償裁判で原告側代理人を務めてきた山本晴太弁護士は本件訴訟に関する論文で、
「日本の国内法は不法行為の場合には主権免除の例外だとしている。韓国の裁判所は相互主義の観点から同じ判断をすると思われる」
「当時の朝鮮半島は紛争地帯とは言えない」
――と指摘。
前記のICJ判決とは異なり、主権免除の例外を認めることが可能だと主張する。
一方で早稲田大の萬歳寛之教授(国際法)は、「70年以上前の出来事について、強行規範に違反する人権侵害だからと主権免除の例外に認定するのは難しいのではないか」と疑問を投げ掛ける。
前述の通り、ICJが強行規範と認めているのは拷問とジェノサイドだけだ。
さらに強行規範に反しているとしても、いつまで遡及して適用できるのかという問題がある。
萬歳教授は「人権が国際規範として本格的に発展するようになったのは国連創設以降のことだ」と指摘する。
すべての人が生まれながらに基本的人権を持っているとして、初めて人権を総体的に扱った世界人権宣言は、1948年の国連総会で採択された。人権侵害を各国の国内問題だとして放置してきたことが虐殺や戦争につながったという反省から、人権を重視する国際法の流れが生まれた。
そして、世界人権宣言の内容を法的拘束力のある条約とした2つの国際人権規約(社会権規約と自由権規約)が1966年に採択された。
そうした国際法の流れを考えれば、主権免除の例外を第2次世界大戦終結前にまでさかのぼって適用するのは無理があるだろう。
それでも韓国の司法が例外を認める可能性はありそうだ。
韓国の司法判断が確定したとしても、韓国の同意がなければICJに判断を求めることはできない。これは、相互主義の原則の下でICJの管轄権に服するという「強制管轄権受諾」を韓国が宣言していないからだ。
日本は「冷静な法律論で対抗」することが重要
ただし、そこで終わりになるわけではない。
萬歳教授によると、主権免除を巡る司法判断の例として各国の国際法専門家が検討を加え、その中で判断の妥当性に関する相場観が形成されて行くのだという。
韓国の司法判断に無理があるという考え方が国際社会の大勢となっていけば、韓国の国際的立場は弱くなり、事実上の修正を迫られることになる。
素人にはなじみのないプロセスではあるが、国際法の世界での流儀なのだそうだ。
その際に大切なのは、感情論ではなく冷静な法律論として反論していくことだ。
紛争時の女性の性的被害救済というテーマは20世紀末以降に国際社会で重視されるようになってきた。
日本では誤解している人もいるようだが、それは韓国の国際宣伝の成果ではない。
契機となったのは、1990年代の旧ユーゴスラビア紛争で「民族浄化」と称して集団的なレイプが行われたことだ。
冷戦終結を喜んでいた欧州で起きた非人道的行為に欧米世論は大きなショックを受け、紛争時の性的暴行に厳しい目が向けられるようになった。
その後、南スーダンやコンゴ民主共和国といったアフリカの紛争地での現在進行形の被害救済を訴える声が強まった。
その中で英国が2012年、「紛争下の性的暴力防止イニシアティブ」を立ち上げた。日本を含む100カ国以上が賛同し、紛争下での女性の人権保護を図るプロジェクトが展開されている。
コンゴで被害を受けた女性を支援してきたムクウェゲ医師に2018年のノーベル平和賞が贈られたのは、国際社会のそうした流れを反映したものだ。
その中で慰安婦制度の問題を軽く見せようとしているような印象を持たれれば、国際社会における日本の立場は決して有利にならない。感情論を排した対応が必要とされる理由だ。
実際には、「ウルトラC」のような判決が出る可能性もある。
原告側の主張を基に日本を徹底的に断罪するような事実認定をした上で、主権免除だからと訴えを却下するのだ。
原告は「事実上の勝訴」だとアピールできるけれど、結論は却下なのだから日本政府も文句は言えない。
いったいどんな判決になるのか。関係者は固唾をのんで見守っている。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数