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特別対談 ぶらっとヒマラヤに行ってきた 壮年からの「登山」のすすめ 作家・山崎ナオコーラ×新聞記者・藤原章生

『ぶらっとヒマラヤ』表紙
『ぶらっとヒマラヤ』表紙

 新緑の春の登山シーズンが到来。定年間際に「ぶらっと」ヒマラヤのダウラギリⅠ峰(8167㍍)に登った経験を綴(つづ)った『ぶらっとヒマラヤ』を上梓(じょうし)した作家で新聞記者の藤原章生さんと、「山はまったくの素人」と言いつつ同じくヒマラヤ経験者の作家・山崎ナオコーラさん。登山と加齢の魅力について語った。

山崎ナオコーラ お久しぶりです。

藤原章生 昨年4月に「コロナの時代に『無理に働かない』広まる予感」というテーマで、山崎さんに話をうかがいました。取材中に、僕がダウラギリに登った話をしましたが、ようやく一冊にまとまりました。

山崎 とても面白くて。しょっちゅう噴き出しちゃう箇所がありました。

藤原 ふふっと笑うんじゃなくて、噴き出す!?

山崎 登山の前に鼻を手術したとか、壮行会が割り勘だったとか、長期休暇を申し出た時の上司の反応だとか……。そこを詳しく書くんだ、狙っているのかなって。「登山の本」と聞くと、私みたいな軟弱な読者からすると、もっと日常から切り離された、「カッコイイ人の話」を読む感覚があったんですが、この本は、普段の私の生活と山が完全につながっている、という感じがしたんです。

藤原 インタビューした頃にちょうど「ぶらっとヒマラヤ」のウェブ連載をしていたこともあって、雑談の中で、山で気分がアップダウンする話をしたんですよね。

山崎 私はその時、女性のPMS(月経前症候群)にまつわるイライラを題材にした小説を書いていたんです。藤原さんの高山病のエピソードを聞いて、これはつなげられるかもとアイデアが浮かんで物語を完成させました(※『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)所収の「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」)。

藤原 山崎さんもヒマラヤのベースキャンプまで行ったことがあったんですよね。

山崎 写真家の石川直樹さんから、「エベレスト登頂の足慣らしに行くから一緒に行きませんか」と誘われて、仕事とは関係なく、劇作家の前田司郎さんら4人で行ったんです。まずはその足慣らしで富士山に登って、次にエベレストの麓(ふもと)まで。

藤原 ベースキャンプまで行くっていうのはよく聞くんですけどね。けっこう大変だったんじゃないですか? 5000㍍弱くらいありますよね。

山崎 喉元過ぎれば、じゃないですけど、今となってはどうだったか思い出せないんです。ただ、その時はすっごく辛(つら)かった気がしますね(笑)。

藤原 その体験が山崎さんの物語にも盛り込まれていましたね。数人で登るけれど、途中で一人ずつリタイアしていく。

山崎 私自身も実際に途中で一人引き返したんですが、残念というより、「あきらめる」っていう行為がけっこう面白かったなと思ったんですよね。

藤原 たしかに、登山では、最後の最後のところで結局はどうするか自分で決定しなければならない局面がある。「あきらめること」をきわめるために行くようなところはありますね。

山崎 私は平安文学をやっていたんですが、古語だと「あきらめる」は「明らかにする」って意味で、わりとポジティブな言葉なんですよね。あきらめて、あきらめていくと、はっきりするみたいなイメージが浮かんで。この『ぶらっとヒマラヤ』でも、あきらめて下るところが好きです。多くの登山者は「あきらめ」を経験していますよね。そこが人間として面白いなと思います。

藤原 15時間くらい登り続けて、あとほんのちょっとのところでピーク(頂上)だ、でも酸素がもうないという時。このまま行ったら下山の時に倒れるかもしれないとかいろいろ計算していくわけですね。それまで3歩で息切れしていたのが、2歩、1歩となって、これはまずいなとか。15時間で頂上に行って、4、5時間で下りてこられたとしても、20時間も8000㍍以上の環境にいた時に、脳がきちんと機能しているだろうかとか。未知の領域には当然恐怖が加わってくるから、その恐怖を前に生きて帰りたい。あきらめるぎりぎりのポイントの近くまで行って、できれば長居せず、さあっと戻りたい。

60歳は登山界では新人!?いったい何歳まで登山は楽しめるのか

山崎 この本を読んで、山に登りたいなと思いました。今はまだ乳飲み子を抱えているので数年先にはなりますが。けっこうご高齢の方も登っていますよね。藤原 ええ。その時その時のペースやレベルでできますからね。本にも書きましたが、私自身、23歳の時にインドヒマラヤに登った時は、4500㍍で完全につぶれたんです。ヒマラヤ登山のピーク年齢は35~40歳と言われているんです。20代よりも、実は心肺機能は伸びていくし、同時に余裕みたいなものが出てくる。だから、今回58歳で登ったんですが、やばいなと思った時、4800㍍から2600メートルの地点まで1日で引き返しました。それで2日間休んで一気に登り返した。若い頃だったら、俺がまさかこんなところで倒れるわけがないと思っているから無理して、下手したらベースキャンプ(4750m)まで行って、全然動けなくなるなんてこともあった。

山崎 今後も登山は続けるんですか?

藤原 仕事で原稿を書いていると、集中力は30代の頃から変わらずに維持できている。ただ、その集中力が持続しない。原稿だったら途切れ途切れでも時間をかけてやればいいけど、山の場合は危ない。そのあたりをすごく注意しながら、だんだんレベルを落としていくと思います。10年前だったら、ハイキングなんてと思っていたんですよ。でも今は、毎週行ってるんです。レベルを落とすといっても、その時の自分のレベルに合わせていくわけだから、緊張感は変わらない。そうすると恐怖もあるし、死を身近に感じるような瞬間も出てくる。そうやって続けていくのかなと思います。

山崎 じゃあ、もうヒマラヤには行かないんですか?

藤原 お金の問題もあるし、これはめぐってきたチャンス次第ですよね。今年定年になるから時間もできますよね。70歳の時にダウラギリに行ってみたらどうなるのか。それこそ「ふわっとヒマラヤ」ですね。

山崎 私がヒマラヤに行った時も、石川さんの知り合いのご高齢の登山家の方とすれ違って、鍛えている人は70歳、80歳になっても登れるんだなと思った覚えがあります。

藤原 ベースキャンプでは他のパーティーと一緒にお茶を飲んだりするんです。スペインの40代の登山家と一緒になった時に、「俺たち、ビエッホス(ロートルの意)だから」って自虐的に言ったら、彼がちょっと黙っちゃった。彼らの仲間には、なんと70代が2人もいた。農業と同じ感覚かもしれません。60代なんてまだまだ新人もいいところだって。

他人の山は大きく見えるもの。誰もが自分の山に登ればいい

藤原 集中力の衰えの話が出てきましたけど、40代前半の山崎さんはまだそういった衰えは感じませんよね。

山崎 いえ、ありますよ。まず、記憶力。前に書いた話を忘れて、「それ、前に書いていたよ」とか。メールをもらったのに返信しないまま忘れるとか……。でも、作家は90歳でも続けている人もいるので、作家としては、それほど老いが怖い感じはないですね。40代になってから、死ぬのもだんだん怖くなくなってきました。『ぶらっとヒマラヤ』にも、「死」にまつわる話がいっぱい出てきますよね。

藤原 死については、けっこうよく考えていました。はっと起きたら母親が死んでいたみたいな妄想をよくしていて。実際ある日、夜中に起きて隣に寝ている母親の顔を見たら、月明かりに蝋(ろう)人形みたいに凍り付いて見えたことがあった。もちろん、死んではいなかったわけだけど。子どもながらに「でも、いつか死ぬ」のだから自分も死ぬと考えたら、急に自分が小さな虫けらみたいに押しつぶされる怖さを感じたことがあるんですね。だけど、ある程度の年齢になると、そういう繊細な感覚を持つことも日々できなくなりますね。そんなこと考えても仕方ない、それよりうまいもの食おうぜ、みたいに。だけど、死にかけた体験をすると、幼い頃の感覚にすっと立ち戻らされます。

山崎 私も、子どもの頃、死の瞬間はどんなだろうと考えていたことがあるので、共感するところがあるんですけど、やっぱり20代、30代と年を重ねると、考えなくなりますよね。10代の頃とか、宇宙がものすごく怖くて、『ホーキング、宇宙を語る』とか宇宙関係の本をたくさん読んでいたんですよ。宇宙のことを考えないと生きている意味がないんじゃないかとか。それでも、宇宙とか死のことってだんだんと考えなくなるんですね。

藤原 でも、また壮年の頃になると、両親や知人の死に触れ、死について考えざるを得なくなる。

山崎 本当に死んでしまったら、書きたいことが書けなくなるから、長生きしたいって気持ちはありますね。

藤原 時間は有限ですからね。ヒマラヤから下りてきた時にハイになって、中国語を学びたいと思ったんです。中国だけはきちんと行っていないから。ただ、あと20年書けるとしても、集中力が極まった状態では10年。そのうちの3年を言語習得にかけるなら、アフリカ、ラテンアメリカとか、既知の世界でやり残したことを極めたほうがいいんじゃないかと考え直してあきらめました。

山崎 私は藤原さんと違って、英語も全然しゃべれないんです。ちょっと勉強しては辞めを繰り返して。周りの作家の友人たちはみんな勉強し始めて、みんなもう、しゃべれるようになってしまったんです。だから、いっそ英語はあきらめて、逆方向の日本の古語を勉強しようと思うようになってきて。

藤原 英語ペラペラの価値だって永遠じゃないですよね。

山崎 日本の古語を勉強したところで旅行で役立つわけはないですし、今は使われていない「死んでしまった言葉」だから、小さいほう、内側へ向かう、それこそ宇宙に行くのとは反対の行為なんですけどね。

藤原 そのうち自動翻訳機が普及したら、英語が話せることも「持っているにこしたことはない能力」みたいな感じになるでしょう。

山崎 それから、もう文学はあきらめようと思っていて……。

藤原 それはまた、どうして。

山崎 これからは本作りと言語芸術をやるのであって、小説を書いても、文学には関わらないようにしようと。あきらめようと思っているんです。

藤原 仕事でも、これはやりたいけど、あきらめようとすると自分の道が見えてくるってありますね。

山崎 若い頃って、「自分」というイメージがすごく漠然としているから、みんなにわかるチャレンジじゃないと面白くないと思っちゃうんですよね。人からの称賛がないと手応えがないとか。でも、年を取ると、自分の到達点とか、他の道、違う頂上が見えるんですね。やっぱり、年を取っていくのは面白いと思います。

藤原 一見、他人の山のほうが大きく見えるかもしれないけれど、ふと振り返ったら、それぞれの山に登ってきたなと思えるはず。大きくなかったり、世界中の人が称賛しなかったかもしれないけど、精いっぱい、やれることをやったなと思うところに行ったほうが面白いんじゃないかと思いますよ。

 やまざき・なおこーら

1978年、福岡県生まれ。國學院大卒。2004年に「人のセックスを笑うな」で作家デビュー。近著に『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)、『むしろ、考える家事』(KADOKAWA)。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」

 ふじわら・あきお

 1961年、福島県生まれ。北海道大卒。エンジニアを経て89年より毎日新聞記者として、長野、南アフリカ、メキシコ、イタリア、福島、東京に駐在。「絵はがきにされた少年」で開高健ノンフィクション賞受賞

 『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)

 藤原章生著。毎日新聞医療プレミアで人気を博し、単発記事の予定が長期連載に。文章に大幅加筆し、2021年2月末に刊行。全国の書店で好評発売中。

 5月11日発売の「サンデー毎日5月23日号」には、他に「菅首相の皮算用と自民党の魑魅魍魎『五輪強行』『9月解散』」「対談 小泉元首相×田原総一朗『次期首相は河野太郎政権で原発ゼロ宣言だ!』」「苦節半世紀? 日本鉄道の全線完乗記」などの記事が掲載されています。

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