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苦節半世紀!? 日本鉄道の全線完乗記 鉄道ライター・杉山淳一
始発は東急・洗足池→終着は近鉄・吉野
日本の全ての鉄道に一度は乗る――。鉄道好きなら一度は思い描く夢だろう。その夢を今春、果たした鉄道ライターがいる。自宅の最寄り駅から始まった「長い旅」は、中断もあったが半世紀にも及んだという。夢を実現して見えた風景は、どんなものだったのか。
桜散る近鉄吉野駅がゴール
2021年4月8日、私は大阪阿部野橋駅から近鉄特急「さくらライナー」に乗り、近鉄の吉野駅に到着した。これで日本国内の旅客営業路線の全線乗車を達成した。乗車距離の合計は2万9332・9㌔。この数字は乗車後に廃止された路線も含まれている。
ゴール地点を近鉄吉野駅とした理由は「行き止まりの終着駅」だったからだ。
実は、日本の鉄道路線の8割を乗った時点で「行き止まりの終着駅」のほとんどに乗ってしまった。行き止まりの終着駅は地方のローカル線に多く、常に廃線の危機にある。早く乗っておかないと廃止されてしまう。その点、近鉄吉野線は大手私鉄で、観光地へ行く路線として人気だ。廃止問題とは無縁。とっておきのゴール地点だった。
吉野は桜の名所である。そして私の誕生日は4月8日。ゴール地点を誕生日に、桜が満開の近鉄吉野駅にしようと思った。実は1年前の4月8日に訪れる予定だった。しかし、直前に緊急事態宣言が発令されたため、前日に列車の指定席、宿泊手配をすべてキャンセルして、まる1年、繰り延べた。
ところが今年は桜の時期が早く、吉野駅周辺の桜は着いてみると、全て散っていた。人生は思い通りにはいかないものだ。
小学1年生で全国制覇を志す
私は小学1年生の頃に「日本の鉄道路線に全部乗りたい」と思った。自宅の最寄り駅は東急池上線の洗足池駅だった。電車に乗る時は切符の販売機の上にある路線図で運賃を確認する。その路線図を見上げるうちに好奇心が芽生えた。「池上線以外の電車に乗ってみたい」「この図の路線に全部乗ってみたい」。それはちょうど「プロ野球カードを全部集めたい」「超合金のロボットを集めたい」という気持ちに似ていた。
小学4年生で東急電鉄の全線に乗った。大きな満足感があった。小学5年生の頃にブルートレインブームが到来し、友達とその父親の旅に同行して、長崎まで往復した。線路は遠くまでつながっているなあと実感した。中学に上がると日帰りの遠出が許された。まず当時の国電区間を全て乗り、時刻表の読み方を覚えて房総半島を一周した。身延線、御殿場線を乗り継いで富士山周辺の一筆書き旅行もやった。
鉄道旅行のハウツー本として種村直樹氏の『鉄道旅行術』を愛読した。ボロボロになるほど読んで改訂版を何回か買い直した。その頃、『中央公論』元編集長の宮脇俊三氏が『時刻表2万キロ』を出版した。自身が国鉄路線の全線を踏破するまでのエッセーで世間の話題になった。自分と同じことを考える大人がいるんだな、とうれしかった。
ワイド周遊券と青春18きっぷが追い風
中学時代の一人旅の素行の良さが認められ、卒業すると宿泊旅行が許された。国鉄には広範囲で乗り降り自由の「ワイド周遊券」という切符があって、最初の旅は東北地方だった。次に北海道、そして九州。この二つの地域は、ワイド周遊券の範囲内を走る夜行急行列車があって、それを宿代わりにして節約した。
ありがたいことに高校が二期制だった。夏休みの直後に前期の期末試験があり、その後で10日ほどの試験休みがあった。夏休みは親戚の会社でアルバイト、初秋の空(す)いている時期に一人旅を楽しんだ。
「青春18きっぷ」の誕生(1982年)もこの頃だ。春休みに同級生と大垣夜行(東京―大垣間を結んだ東海道線の普通夜行列車)に乗って京阪神を旅した。
そんな旅ばかりしていたから、大学受験は東京の大学を全て落ちた。しかし、番狂わせで信州大経済学部に合格して4年間を松本で過ごす。さすがに鉄道とは縁遠くなり、クルマの免許を取って中古の軽自動車を買い、走り屋に転じた。東京の出版社に就職し数年後に、退社してフリーライターになっても、仕事が面白くて旅とは縁遠かった。
宮脇俊三の訃報で「乗り鉄」再開
忘れかけていた「日本の鉄道路線に全部乗る」を再開したきっかけは、2003年春の宮脇俊三氏の訃報だった。乗り鉄は休んでいたけれど、宮脇文学は読んでいた。もう新作が読めない。ならば自分の旅を日記に書こう。それをきっかけに旅を再開した。
北はJR北海道、南は沖縄県のゆいレールまで。日本で旅客営業している鉄道路線は、JRグループの合計で約2万㌔、その他の鉄道事業者の合計が約8000㌔だ。「全線完乗」はこの全ての路線に乗るという遊びだ。列車に乗る旅を主とする「乗り鉄」にとって大きな目標の一つで、達成者も少なくない。全路線どころか、全駅訪問を達成した人もいる。 日本の鉄道の全てに乗りたいと思っても、貨物専用線は乗れない。だから、「乗るべき路線はどれか」という課題がある。遊園地内の列車は対象とするか。ケーブルカーは鉄道っぽい。でも、ケーブルカーを認めればモノレールをどうするか。ロープウエー、新交通システムはどうか。
全線乗車のルール
そこで多くの乗り鉄が基準とするルールが「鉄道事業法に定められた鉄道のうち、定期的に旅客列車が運行される路線」だ。
鉄道事業法を要約すると、鉄道事業とは「専用の軌道を使い、他者のためにヒトやモノを運ぶ事業、及び、その事業のために専用軌道を提供する事業」となっている。
これで遊園地内の列車は除外される。同じ敷地内で完結したら「運ぶ」とは言えない。だから遊園地の鉄道は法的には「遊具」だ。
また、鉄道事業法では「鉄道」と「索道」という区分がある。このうち「索道」はロープウエーやスキー場のリフトなどが含まれる。乗り物として楽しいけれども、リフトまで含めると季節営業もあって手に負えない。そこで「索道」を除外して「鉄道事業法に定められた鉄道」とするわけだ。
モノレールもケーブルカーも鉄道事業として国が認めれば鉄道である。しかし、旧渋沢栄一邸がある東京・飛鳥山公園のモノレール「アスカルゴ」は鉄道事業法の管轄ではなくエレベーターの扱いだから除外する。JR舞浜駅とディズニーリゾート施設を巡回するモノレール「ディズニーリゾートライン」は鉄道扱い。園内にある「ウエスタンリバー鉄道」は対象外となる。
大雑把(おおざっぱ)に言えば「市販の鉄道時刻表に旅客列車の時刻がある路線」が対象である。それで満足できれば良し。自分なりの「完全」を求めると深みにはまる。
全線乗車の記録
乗車記録も重要だ。そもそも私の旅は「この路線に乗った」という記録を集める目的だ。鉄道路線はたくさんあるから、記録しておかないと、乗った路線と未乗路線を判別できない。
小学生の頃の私は、流行(はや)り始めた「ルーズリーフ式ノート」に乗車日、区間をメモしていた。中学時代にマイコンブームが到来し、表計算ソフト「マイクロソフト マルチプラン」を使って集計表を作った。このデータは現在も「マイクロソフト エクセル」用に変換して使っている。
『時刻表2万キロ』の宮脇俊三氏は「武揚堂の日本白地図」に描かれた国鉄路線を赤ペンで塗っていったという。私も真似(まね)をして同じ地図を買った。なるほど、確かにこれは面白い。乗った路線を塗っていくと、日本地図という身体に血管が行き渡るように見える。表で管理するより達成感が大きい。しかし、鉄道路線の廃止や新規開業が増えたため、買い替えようとしたら、武揚堂の白地図から鉄道路線版が消えて、主要道路版になっていた。白地図で鉄道が目印になる時代が終わってしまったらしい。
そこで昭文社の『全国鉄道旅行』というジャバラ式の地図帳に切り替えた。日本地図の形は細長く変形しているけれど、JRも私鉄も地下鉄もすべて掲載されている。この路線図で乗った路線を黒ペンで塗り潰した。この地図帳は鉄道路線の廃止や新線が反映されるたびに新版が発行される。これが大切だ。
私のルールは乗った路線を地図帳で塗り潰すだけ。もっともゆるい。しかし「景色を見られる日中の乗車に限る」「居眠りしたらやり直し」「複線区間は上下線の両方を乗る」などと、独自の基準を設けて楽しむ人もいる。どちらにしても「それぞれ自分が納得する方法で」だ。
これから始める人へ
自由に使える時間とお金次第で、今から始めても短期間で全線完乗を達成できそうな気がする。
そこで、これから始める方にヒントを提供したい。
・面で制覇する
少年の頃の私はワイド周遊券を使って国鉄/JRばかりに乗った。私鉄に乗るとその都度お金がかかるからお小遣いが足りなかった。大人になってからは、行った先でJRにも私鉄にも乗った。都道府県や地域ごとに、面的に制覇しよう。たとえば秋田に行くならJR線だけではなく秋田内陸縦貫鉄道、由利高原鉄道にも乗ろう。
・ケーブルカーは早めに
ケーブルカーは登山地域が多く、最寄り駅やバス停から長い上り坂や階段を通る場所もある。たとえば、大山ケーブルカー(神奈川県伊勢原市)はバス停と乗り場の間に徒歩約15分の上り坂がある。距離は650㍍、高低差は90㍍。マンションなら30階に相当する高さになる。私は40歳で訪れ、膝が震えた。生まれて初めて杖(つえ)を買った。ケーブルカーは少しでも若いうちに乗ってしまいたい。
・時刻表はなくてもいい
鉄道主体の旅というと「時刻表を読めなくちゃ」と思うかもしれない。しかし、今はネットの乗り換え検索やスマートフォンのアプリで調べられる。私も最近は乗り換え検索で旅程を作っている。
ただし、乗り換え検索は最短距離や最短時間を優先するから、「遠回りして未乗路線に乗りたい」というルートは出ない。経由駅を指定するなり、乗り換えるたびに実際の乗降区間で検索するなど工夫しよう。
そのうちに「時刻表を見た方が分かりやすいし面白いな」という感覚になるだろう。初めは数字の羅列に驚くかもしれないけれど、小学生で習う「表の見かた」と同じ単純な内容だ。すぐに慣れると思う。
インターネットがなかった頃は、地方鉄道やバスの運行時刻の入手が難しかった。市販の時刻表は大手私鉄も含めて地方交通を巻末に載せているが、始発と終発の時刻と「この間10~80分毎」などの情報だ。これでは日程の参考にならない。その代わり、現在はほとんどの交通事業者が公式サイトで時刻表を公開している。便利な世の中になった。現在のほうが効率よく乗り潰せると思う。
意味が変わった「時間との闘い」
少年時代の私の旅は時間との闘いだった。国鉄の赤字問題が取り沙汰され、全国で赤字路線が廃止されていった。私は廃止されそうな路線を最優先した。終着駅に着いたら、駅の写真を撮ってすぐに折り返す。ワイド周遊券の有効期間内に、できるだけたくさんの路線に乗りたかった。
「列車に乗らなければもったいない」。それは「食べ放題で元を取りたい」という感覚に似ている。
現在は「もったいない」の意味が変わった。終着駅に行って、そのまま折り返したら「もったいない」。鉄道だけの旅になってしまっていいのか。
たとえば、山口県のJR西日本・小野田線に長門本山という終着駅がある。列車は朝に2本、夕方に1本。少年時代の私なら、この3本のどれかに乗り、そのまま折り返した。しかし50歳だった私は朝の1本目で行き、2本目で帰る日程を作った。約30分の駅前散歩で見つけた小さなパン屋。洋梨のパイが美味(おい)しかった。こういう旅が楽しい。
「終着駅」は、次の旅の「始発駅」
時間との闘いの意味も「路線が廃止される日までに乗りたい」から「新路線が開通するまで生きていられるか」に変わった。人生の残り時間との闘いだ。リニア中央新幹線の開通、北陸新幹線の新大阪延伸開業、北海道新幹線の札幌延伸開業、他にも新しい鉄道の構想はたくさんある。どこまで乗れるか。健康に留意し、生き延びなくては。乗り鉄が生きる力になった。
約12年の空白を含めて、約50年で完乗を達成した。ところが、小学生の頃、東急電鉄全線に完乗した時のような達成感はない。むしろ、これからの新しい旅に思いを馳(は)せている。新路線が開通するたびに乗り「完乗記録」を保持したい。
近鉄吉野駅は終着駅だった。しかし、そこは次の旅の始発駅だった。
すぎやま・じゅんいち
1967年生まれ。96年よりフリーライターとなり、現在は鉄道が専門。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員