週刊エコノミスト Online サンデー毎日
門井慶喜が読み解く 秀吉の朝鮮出兵と6年半の首都・名護屋 『なぜ秀吉は』刊行記念インタビュー
いまなお評価が分かれ、その理由に諸説ささやかれる「文禄(ぶんろく)、慶長(けいちょう)の役(えき)」こと豊臣秀吉の朝鮮出兵。門井慶喜さんの最新作『なぜ秀吉は』は日本史上最大のビッグネームが残した〝謎〟をめぐる人間ドラマである。その読みどころを著者に聞いた。
――なぜ朝鮮出兵をテーマに?
若い頃から気になっていたテーマでした。純粋に「天下人・秀吉はいったいなぜこんなことをしたのか」と。
実際に流布している説を数えてみたら、勘合貿易説、大名統率説のほか、認知症説など少々根拠の怪しいものまで含めれば12もありました。「秀吉が血迷った」というのは有力な説の一つで、司馬遼太郎さんも秀吉は晩年に狂ってしまったと厳しい評価を下していますが、僕には若干違和感がありました。これだけの戦を仕掛け、多くの人間を巻き込んで、「狂気」の一言ではすまされない。狂気でないとしたら、これほど恐ろしいことはない。言葉は悪いのですが、人間一般の心理を探る題材として、これほど面白い対象はないと思っていた。
じつは、準備段階に名護屋城博物館(佐賀県)を訪ねて学芸員の方にその疑問をぶつけたことがあります。「なぜ秀吉は……」と。
すると、「みなさんに同じことを聞かれます。でも、我々も本当のところは(真実は)わからないんですよ」
それを聞いて「しめた!」と思いましたね(笑)。
秀吉といえば、まずは立身出世の物語に手を伸ばしたくなりますが、そこはすでに散々書き尽くされています。誰もが知る人物・事件を扱いながら、誰もが書いたことのないものを描く。それが歴史作家の醍醐味(だいごみ)というか、大きなモチベーションでもあります。
――さまざまな登場人物が秀吉に巻き込まれていきます。
朝鮮出兵の謎を秀吉の外側から読み解いた有力な12の説を、登場人物たちの口を借りて一つずつ挙げてはつぶしを繰り返し、最終的に秀吉の内面に迫った「13個目の真実」を展開しようと思いました。
執筆当初は秀吉の真意を空白に残しておいた状態でしたが、輪郭が見えてくると、これを秀吉が吐露するとしたら相手は次代を担う徳川家康以外にはいないと、そこだけは早い段階に決めていました。
――朝鮮人陶工のカラクと紅一点の草千代の存在とは?
戦国時代の物語を描けば自然と男性が多くならざるをえません。多数の女性を絡ませるのはかえって不自然。そこで、一人でとびきりの存在感を持つ女性を、と生み出したのが草千代です。さまざまな場面に登場し、物語を動かす大きな鍵となる人物です。
一方、攻め入られる朝鮮の側の視点を持つ人物として登場させたのが、秀吉の暗殺をもくろむカラクです。ただし、ここはさじ加減が難しく、双方に国対国の主張を語らせるとかえって単純な構造に陥って人間心理を描くには妨げになるように感じました。物語にもカラク個人にもふくらみを持たせたくて、彼には陶工という職業を割り当てました。
歴史小説がほかの小説と違うのは、結末をすべての人が知っているということでしょうか。どれだけカラクが暗殺に躍起になったとしても、読者は、結局のところ秀吉が殺されないことを知っている。それでいてドキドキさせなければなりません。
天下統一後のエネルギー築城へ
――物語の主要な舞台・名護屋の栄枯盛衰も丁寧に描かれています。
わずか6年半の首都・名護屋は、朝鮮出兵の拠点と定められて誕生して、急速な勢いで発展し、出兵の取りやめにいたってその役割を終えました。秀吉をめぐる物語でありながら、同時に首都・名護屋の生涯を描いた、つまりこの街が〝もう一人〟の主人公だったとも言えます。
秀吉は大坂城や伏見城、聚楽第(じゅらくだい)など城を築き、首都をいくつかつくりましたが、これほど特異な首都は名護屋をおいてほかにありません。わざわざ条件が良いとは言えない小高い山を切り拓(ひら)き、壮大な城と街を建て、さらにその半径3キロメートル内に130もの諸大名の陣屋がひしめき合う。
城の主要部分はわずか5カ月で完成したと言われています。戦国時代に急速に発展した土木技術があってこそ狂乱のなかプロジェクトが粛々と進んだ。それを後押ししたのが、天下統一とともに訪れた平和な時代に行き場のなくなったエネルギーだったのでしょう。
戦のためだけに築かれた名護屋の街には、一時は20万人が暮らしたといいます。当時の過密ぶりが目に浮かぶようです。
――物語では、秀吉亡き後の世界も描かれます。
名護屋がもう一人の主人公であるからには、名護屋城の栄枯盛衰の「衰」、そして「死後」も描きたかった。
戦という唯一の存在理由がなくなれば、当然櫛(くし)の歯が欠けるように街から人は去って行きます。城は一国一城令とともに解体が進み、キリシタンによる一揆の際の立てこもりを危惧した江戸幕府によって徹底的に破却されます。礎となる石垣は、機能性も見た目も左右する角を狙ってV字形に削られました。破却の効率の問題もありますが、一種の見せしめです。
かつて五層七階の天守閣が建っていた本丸跡からは玄界灘に浮かぶ加部島や壱岐が見えます。さすがに、朝鮮半島を目にすることは物理的にかないませんが、初冬の数日は壱岐の向こうに対馬の島影が見えることもあるそうです。
約400年前にこの地に立った秀吉はこの光景をどんな感慨をもって一望したのでしょうか? ぜひ本作で確かめてください。(撮影・高橋勝視)
かどい・よしのぶ
1971年、群馬県生まれ。同志社大文学部卒。2003年、「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。16年、『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。同年、咲くやこの花賞を受賞。18年、『銀河鉄道の父』で直木三十五賞を受賞。『家康、江戸を建てる』『定価のない本』『東京、はじまる』『銀閣の人』など著書多数