「いのちの停車場」公開=成島出・映画監督/842
まもなく封切られる映画「いのちの停車場」でメガホンをとった成島出さん。数年前にはがんを患い、本作の撮影中には数々の試練にも見舞われた。今回の作品に込めた思いを聞いた。
(聞き手=りんたいこ・ライター)
「大事な人を失った悲しみに寄り添えれば」
「映画は不要不急じゃない。“こころの停車場”がなければ、人は生きていけない」
── 5月21日公開の映画「いのちの停車場」では、感動をあおるような過度な演出を施さず、それぞれのエピソードを冷静に描いている印象を受けました。2017年には自身も肺がんと診断され、1年以上の闘病も経験しています。映画製作に対する心境の変化はありましたか?
成島 やっぱり変わりますね。観客に対して「泣いてください」「感動してください」と強いることがなくなりました。押し付けないというか、委ねるというか……。そうなったのはがんの影響があると思います。肺がんにも何種類かあって、僕の場合は小細胞肺がんでした。たまたま僕は今のところ、再発せずに3年半が経過しています。
がんが見つかった当初は2週間くらいいろんな検査をして、その間には「助からないかもしれない」と一度は覚悟しました。その後はいろんな価値観が変わりましたし、毎日生きているだけでありがたいと思うようになりました。そういう心境を「キャンサーギフト」というらしいですね。がんがくれた贈り物、という意味です。(ワイドインタビュー問答有用)
── 成島さんは医療ものの作品では、外科医の奮闘を描く「孤高のメス」(10年)で監督を務めていましたね。
成島 「孤高のメス」では、肝臓移植手術によって生還した患者が、「新聞配達の自転車が走っている何でもない風景でもたまらなく新鮮だ」とつぶやくせりふがありました。当時は実感がなかったけれど、こういうことだったのか、とよく分かりました。
成島さんが今回メガホンをとった「いのちの停車場」は、現役医師の南杏子さんによる同名小説(幻冬舎)を映画化。東京の救命救急センターを辞めて故郷の金沢に戻った医師の白石咲和子(さわこ)が、在宅医療専門医として胃ろう患者とその夫や、小児がんの少女とその両親、脊椎(せきつい)損傷で四肢まひを患うIT企業の社長らと向き合う姿が描かれていく。
「映画に罪はない」
── 咲和子を「ふしぎな岬の物語」(14年)でタッグを組んだ吉永小百合さんが演じています。
成島 吉永さんは前回もそうでしたが、肉体トレーニングを含めてものすごい努力を続けています。今回は新型コロナウイルス禍ということもあり、撮影は(時間をかけないために)一発オーケー狙いになりましたが、吉永さんは一言一句とちらない。長いせりふも完璧に頭に入っているんです。吉永さん本人が成長し続け、チャレンジャーたらんと、常にあきらめず、手を抜かず、365日俳優として生きています。
咲和子は62歳の設定なんですが、だいたい日本映画はその年齢になると、ぼけるか病気になるかしかない。でもこれは、新しいことに出会って成長していく物語。僕がこの映画を撮りたいと思ったのは、まさにそうした咲和子にふさわしい吉永さんと、(診療所スタッフ役の)広瀬すずさん、松坂桃李君という若い2人、そして(院長役の)西田敏行さんとのセッションを描きたかった。そこはうまくいったと思っています。
── ただ、今回の映画は完成まで数々の試練がありました。20年9月には出演者の伊勢谷友介さんが大麻取締法違反容疑で逮捕されましたが、伊勢谷さんの出演シーンはカットせずにそのままとしましたね。
成島 彼のシーンはその時は撮り終わっていて、芝居がとってもよかった。ニュースを聞いた時は驚きましたが、代役を立ててリテイク(再撮影)することはやらないでいきたいと思っていました。東映の岡田裕介会長をはじめ、東映本体や吉永さんも同じ思いだったので、全員一致でこのまま行くことになりました。その判断は割と早かったですね。
── 出演者の不祥事を受けて、出演シーンのカットや作品の公開を自粛する動きも広がっています。成島さんはどう考えていますか。
成島 何をやったかにもよりますよね。今回は大麻取締法違反の容疑でしたが、大麻が合法化されている国もあります。しかし、今回の映画にも安楽死の問題が出てきますが、例えば出演者が殺人を犯した場合にそのまま公開できるかというと、そこはやっぱり倫理的には難しいでしょう。でも、基本的には映画に罪がないのは間違いありません。
コロナで撮影中断も
── 次の試練は昨年10月、広瀬さんがコロナに感染し、2週間の撮影中断を余儀なくされました。撮影再開後は神経を使ったことでしょう。
成島 それはもう、衛生班が全部消毒して、細心の注意を払うようにしました。けれどこればっかりは限界がある。抱擁シーンだってありますから。最初はフェースシールドをしてリハーサルをやり、それから本番を撮影しようと思っていましたが、俳優がフェースシールドを着けると(反射して)表情が見えないんです。マスクも表情が分からないから、結局1回段取りしたらすぐ本番に入り、早く切り上げるしかありませんでした。
普段、僕は割とテストもしっかりやって、場合によってはカメラを何回か回します。テストを重ねていくうちにだんだん良くなっていくスロースターターの俳優と、テストの1回目からトップギアでいける俳優がいますが、今回はスロースタートが許されない。だからみんなが集中してやってくれました。それが唯一、コロナでよかったことかな。
── そして11月には、製作総指揮を務めた岡田会長が亡くなりました。
成島 ショックでした。公開日を迎えるまでは一緒に戦っている気でいますが、あまりに突然だったのでまだ実感がありません。今回、岡田さんは、「ふしぎな岬の物語」の時以上に編集室にも来ていろいろ話をしたり、エンドローリングにかかる(ギタリスト)村治佳織さんの音楽の指示をしたりと、かなりがっつり絡んでいました。音楽が入った完成品を見てなんとおっしゃるか、感想を聞きたかったです。
── コロナ禍が依然として収まらない中での公開となります。
成島 家族がコロナに感染して見舞いにも行けず、遺骨で帰ってくるという現実がいきなり起きてしまった中で、命の問題や家族をみとるというこの映画をどう受け止めてもらえるのか。それを含めて、今のタイミングでやっていいのかはやはり悩みました。ただ、大事な人を失ったりした人がこの映画でちょっと元気になってもらいたい。もう一度、家族や命を見つめ直し、我々がその悲しみに少しでも寄り添えればいいなと思いますね。
必ず人は戻ってくる
成島さんは山梨県の高校を卒業後、浪人生活を送った東京で映画館に通いつめ、「ローマの休日」から小津安二郎作品まで古今東西の映画の魅力を知った。1980年に入学した駒沢大学の映画サークルで自主制作映画を撮り始め、86年にぴあフィルムフェスティバルで入選。その後、長谷川和彦監督に師事しながら本格的にシナリオを書く傍ら助監督を務め、03年にコメディー「油断大敵」で監督デビューを果たした。「ラブファイト」(08年)などの青春ものや「八日目の蝉」(11年)といったヒューマンミステリーなど手掛けるジャンルは多彩で、いずれも細やかな人物描写に定評がある。今回の「いのちの停車場」は監督14作品目だ。
── コロナ禍はご自身にどのような影響を与えましたか。
成島 個人的にはそれほど影響はありません。僕の場合、がんがいつ再発してもおかしくなく、体が爆弾を抱えているようなものです。だから、自粛期間中は自粛するところはしましたが、ずっと家に閉じこもっていると鬱になってしまうから、落ち込みそうになったらなるべく外を歩いて太陽の光を浴びるようにしました。撮影中はどうしても生活が不規則になりますが、できる範囲で外を歩いています。
── 観客が減って映画界も厳しいと聞きます。
成島 (取材時の4月上旬時点で)今、新宿の映画館に行くと、50代から上の世代の人をほとんど見かけません。コロナ禍が明けたら戻ってきてもらいたいと祈るばかりです。ただ、どのタイミングかはわかりませんが、僕は必ず映画館に人は戻ってくると思っています。それは「不要不急」じゃないから。やっぱり必要なんですよ。映画も音楽も全部そうなんです。
岡田さんが「映画とパチンコ(ばくち)だけは絶対なくならない」と言っていたように、戦争などさまざまなことがあっても映画は生き残っています。この映画は「いのちの停車場」ですが、映画館で映画を見て安らぎが得られるような「こころの停車場」がないと、人は生きていけないんです。
大林監督の言葉
── ネットフリックスなど動画配信サービスの影響で、最近はオンラインで上映する映画もあります。今作は劇場のみですが、オンラインでも上映することは考えませんでしたか。
成島 劇場で見てもらえる前提で作っていますから。この映画の終盤は、せりふはほとんどなく音楽と映像だけで構成する“映像詩”のようになっているので、やっぱり映画館の大画面で見てほしいですね。
── 今年4月に還暦を迎えました。今後作りたい作品は?
成島 いくつかありますが、一つは戦争ものですね。今の若い人たちの中には、日本が米国と戦争したことを知らない人が結構いるんです。ハワイのパールハーバーにあるアリゾナ記念館(真珠湾攻撃で犠牲になった戦艦アリゾナとその乗組員を追悼する慰霊施設)に行っても、向こうの高校生や中学生はたくさん訪れているのに日本人は来ていない。ワイキキビーチは日本人だらけなのに。
── 戦後80年近くになり、戦争を知る世代がどんどん少なくなっています。
成島 昨年亡くなった大林宣彦監督は、「今は戦後ではなく戦前になっている」とおっしゃっていましたが、僕もそれとすごく近い感覚を抱いています。韓国映画には(朝鮮戦争をテーマにした)「高地戦」(11年)や「国際市場で逢いましょう」(14年)といった作品があって、僕らと同世代の監督が(時代を)ちゃんと総括している。しかも娯楽映画でできがいいんです。
── 成島さんは戦争ものでは「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ─太平洋戦争70年目の真実─」(11年)を監督していますね。
成島 戦争ものはその作品だけですが、やってよかったと思っているし、知らないことが映画で分かるのはとても大事。吉永さんが出演した山田洋次監督の「母と暮せば」(15年)などの作品はありますが、やっぱり我々の世代が引き継いでいかないと結構危ないのではと思っています。娯楽映画として若い人たちも見られるような戦争ものを作ってみたいですね。
●プロフィール●
成島出(なるしま・いずる)
1961年4月生まれ、山梨県出身。駒沢大学文学部中退。大学在学中に映画サークルで活動し、86年に自主制作映画「みどり女」がぴあフィルムフェスティバルで入選。審査員のひとり長谷川和彦監督に師事しながらシナリオ修業を開始。助監督を務めながら現場での経験を積む。94年「大阪極道戦争 しのいだれ」で脚本家デビュー、2003年「油断大敵」で監督デビュー。12年には「八日目の蝉」が日本アカデミー賞最優秀作品賞など10部門で受賞。