人の心に寄り添う=玉置妙憂 看護師・僧侶/838
自分の好きな自宅で最期を過ごしたいと思いながら、延命措置を受けて病院で亡くなる人が多い日本。コロナ禍では家族でも病院に面会に行けない。看護師であり僧侶でもある玉置妙憂さんは話をひたすら聞く。
(聞き手=桑子かつ代・編集部)
「答えのない不安や悩みを真摯に聞くことだけ」
「夫は延命措置をせず枯れるように亡くなった。その姿は潔く、荘厳だった」
── 警察庁と厚生労働省によれば、2020年の自殺者数は前年比912人増の2万1081人と、11年ぶりに増加しました。女性や若年層の自殺増加が目立ち、新型コロナウイルスの感染拡大により、経済的な苦境に陥ったり、孤立したりする人が増えているようです。
玉置 コロナに感染して亡くなる人より、自殺する人のほうが多いそうですね。海外でも自殺者が増えているという報道を目にします。感染拡大の影響で、多くの人たちが子育てや仕事など、これまで未来像を描きながらやってきたことがその通りにいかなくなっています。不安や不満が蓄積し、何のために生きているのか分からなくなっている、ということではないでしょうか。 (ワイドインタビュー問答有用)
── 玉置さんは僧侶であり看護師でもあります。コロナによって医療現場にもさまざまな変化が生じているようですね。
玉置 例えば、余命宣告をされた人が入院する緩和ケア病棟でも、家族の面会が制限されてしまいました。お見舞いに来た人から万が一にも感染したら困るということなのですが、とても不思議な感じがします。これは一体、何を大事にしている制限なのだろうかと。本人と家族の間に入った看護師も、最期の時間を一緒に過ごせない本人と家族も、みな大変な思いをしていました。
── 心の悩みを抱える人にどのようにアドバイスしますか。
玉置 「生きる意味」や「死への恐れ」に対する苦悩は、「スピリチュアルペイン」と呼ばれます。医師や看護師、ケアマネジャー、行政などは、相談を受ければ困っている原因を突き止め、解決するように動きます。ただ、スピリチュアルペインに対しては、どんな方法をもってしても解決にはなりません。答えがもともとないのです。
そのため、具体的なアドバイスをすることはなく、ただ相談に来られた人の話を真摯(しんし)に聞くことだけ。もともと答えがないスピリチュアルペインは、悩みを抱える人自身が話をしながら、折り合いを付けていくしか方法はないように思います。自分の置かれた環境を直視したうえで、理屈は分からないけれども「そうなのだ」と思うプロセスに付き合うのです。
迫る死期の中で抱える孤独、親子や夫婦間の確執──。ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)のパーソナリティーなども務める玉置さんの元には、答えが容易には見つからない悩みや不安が数多く寄せられる。そんな相談者に寄り添いながら、相談者の置かれた環境を客観視する手助けをしつつ、悩みや不安をもたらす心の奥底に触れる。
例えば、光文社のサイト「WEB女性自身」で玉置さんが持つ連載コーナー「玉置妙憂の心に寄りそう人生相談」。園児の爪を切ってこない保護者への対応に悩む保育士からの相談には、保護者と短時間でも2人きりで話す場所を確保したうえで、「(保護者が)眠れているか、食べられているか、楽しめているか、とにかく保護者さんを話題の中心にする」ことから始め、子どもの爪を切れない理由を一緒に探すことを勧める。
子にアレルギー体質
── 現在は真言宗の僧侶ですが、もともと仏教とは無縁な環境で育ったそうですね。どんな幼少期だったのですか。
玉置 高校まで水泳に打ち込む日々でしたが、最初からすごくやりたかったわけではないんです。幼稚園の頃から親にピアノを習わされていましたが、どうにも嫌でした。ピアノをやめたいと親に言ったら、代わりに何か習えと言われ、たまたま選んだのが水泳でした。始めたら楽しくて水泳に夢中になり、高校2年の時には都立高校が集まる大会で優勝したこともあります。
── 大学を卒業後、法律事務所に就職し、結婚、出産と、人生の経験を重ねました。
玉置 大学は法学部で、同級生には法律関係の仕事をしたいという強い意志を持つ人が多かったです。私は特にやりたいこともなく、ふわふわしていました。就職、結婚と普通の人生を歩んでいましたが、長男が重いアレルギー体質でぜんそくやアトピーといったいろいろな症状が出てから大変になりました。初めての子どもをちゃんと成人させるには、私に看護の知識が必要だと考えました。
── そこから看護師になろうと。
玉置 はい。長男が3歳になるのを待って看護学校に入りました。30歳から3年間、国立療養所東京病院(現・国立病院機構東京病院)の付属看護学校で学び、看護師と看護教員の資格を取りました。看護の知識の吸収は面白かったのですが、自分の年齢というコンプレックスに直面しました。他の学生は皆、高校を卒業して入ったピチピチな子ばかりだったんです。
── 年齢が離れると、友達付き合いも難しくなりますしね……。
玉置 今でこそ社会経験を経て看護学校に入る人は少なくありませんが、当時はまだ珍しかったんです。教師からは、卒業後は年下がずっと上司になるけれど大丈夫か、と心配されました。そんなの問題ないと思っていましたが、看護師の世界では実績を何年積んだかが重要。私は人間としての経験を長く積んでいる、という気持ちで頑張りましたが、苦労したことも少なくありませんでした。
「この悩みを解消するにはさらに学歴を積むしかない」と考えた玉置さん。都内の病院で看護師として勤務しながら、05年には東京都立保健科学大学(現・東京都立大学健康福祉学部)の看護教員養成講座を修了し、その後に看護教員の資格も得る。新たな道を歩み始めた玉置さんだったが、再婚したフリーカメラマンの夫・哲さんに08年、がんが転移・再発したことが、その後の玉置さんの人生を大きく変えた。
哲さんは玉置さんより16歳年上。再婚前に大腸がんが見つかっていたが、手術や抗がん剤治療でいったんは良くなっていた。哲さんは再び手術はしたものの、抗がん剤治療はきっぱりと拒否。看護師として医療の力を信じていた玉置さんだったが、同時に終末期の看護で精神的にも肉体的にも負担が大きい抗がん剤治療に苦しむ患者を見てきたことも頭をよぎる。そして、「自宅に戻りたい」という哲さんの決断を受け入れた。
「夢の国」へ避難
── 自宅での看護は大変だったのでは。
玉置 自宅で看護をしたのは11年に亡くなる前の半年間です。夫は別の病気も併発していたため、昼夜問わず徘徊(はいかい)したり、感情をコントロールできなくなることがあり、心身ともに大変さも感じました。ただ、延命措置をしない死にざまがこんなに美しいものかと驚きました。夫は食べられなくなったら食べず、飲めなくなったら飲まず、まさに枯れていくように亡くなりました。その姿は潔く、荘厳でした。
── 亡くなった後の喪失感をどう埋めようとしたのですか。
玉置 夫が亡くなってから、次男が学校へ行かなくなりました。私の親は「このままでは引きこもりになってしまうから、引っ張ってでも学校に行かせなさい」と言ったのですが、私は無理に行かせる気になれませんでした。その代わりに、東京ディズニーランドに通ったんです。つらい現実を忘れられる時間が本当に心地よく、四十九日が明ける前、週に2回行ったこともあります。
── 周囲は驚いたのでは。
玉置 親には「何やってるんだ」と言われましたよ。でも、あの夢の国の中は当時の私たち、家族にとっては厳しい現実から一時避難するセーフティーゾーンでした。あの時、我慢せずに行動して本当に行ってよかったと思っています。先日も「四十九日の間に海外旅行に行っていいか」といった相談を受けたんですが、人からどう見られるかは気にせず、行動を抑制する必要はないと言いました。
── その後、出家を決意して僧侶を目指しますが、きっかけは何だったのですか。
玉置 四十九日が終わって遺骨を墓に納めた時、思い出したのが、大学生の時に訪れたタクラマカン砂漠の風景でした。シルクロードに憧れて出た旅で、砂漠の真ん中に1人で立った時、「ここは何度か来たことがある」と感じ、自分の前世が中国の修行僧に違いないと思ったんです。
── 家族の反応は?
玉置 それが両親も子どもも驚きませんでした。僧侶になると言ったら、「ふーん」「へー」というだけ。私は出家の仕方も宗派も全然知りませんでしたが、いろいろな縁に導かれて高野山の真言宗を選びました。後で分かったのですが、大学生の時の旅で、雰囲気が気に入って滞在した中国・西安の青龍寺は、真言宗の開祖、空海が密教を授かった寺。全部つながったように感じましたね。
── 修行はどのようなものでしたか。
玉置 50歳で修行に臨みましたが、厳しかったです。午前5時起床、午後9時就寝で、一日中、経を読むか掃除をしていました。でも一番きつかったのは、価値観の転換です。修行中はお釈迦(しゃか)さまの経典が絶対。先生の教えがお釈迦さまの教えであり、話し方から歩き方から徹底的に直されました。最初は叱られるたびに疑問や反抗心も出てきましたが、だんだん柳のように受け流せるようになっていきました。
大慈学苑で講座開設
── 13年に僧籍を得ました。自身にどんな変化がありましたか。
玉置 1年間の修行で今まで持っていた嫉妬、世間的な向上心、人と張り合う気持ちがなくなりました。そうした私のモヤモヤを、夫が全部亡くなる時に持っていってくれたんだと思います。物欲もなくなりました。昔は洋服が好きでしたが、今は作務衣(さむえ)と白いシャツだけ。髪の毛も剃髪(ていはつ)しているので、ヘアスタイルを気にしなくてもいい。持っていなくていいものはどんどん捨てています。
── 19年に非営利の一般社団法人として「大慈学苑」を立ち上げ、「訪問スピリチュアルケア」に取り組んでいます。
玉置 病院やご自宅に伺い、死への不安といったスピリチュアルペインを抱える人に、自宅で寄り添って話を聞くのです。そうした人の話の聞き方を学びたいという人が多くいることが分かったため、一緒に活動する仲間を増やすために、大慈学苑を設立して「訪問スピリチュアルケア専門講座」を開講しました。現在までに看護師など延べ約80人が受講しています。
講座で学んでもらうのは、私が15年から台湾で勉強したケアの技術や仕組みがモデル。台湾は英誌『エコノミスト』の15年の調査で、緩和ケアの環境などを評価した「クオリティー・オブ・デス」(死の質)のランキングでアジア1位になりました。その台湾では、末期の患者のもとに僧侶を派遣している「大悲学苑」という組織が、病院と協力して患者を支える体制を築いています。この仕組みを日本でも導入したいと考えました。
── 日本は今後、さらに高齢化が加速していきます。
玉置 これまでは病院や施設で亡くなる人がほとんどでしたが、これからは対応しきれなくなり、在宅で亡くなる人が増えていくでしょう。台湾では在宅で亡くなる人が5割と言われます。そうした状況に対処できているのは、死期が間近に迫った人の気持ちを在宅で支える訪問スピリチュアルケアのシステムができているから。すでに講座を修了した人を訪問スピリチュアルケアに派遣する事業も始めており、私も手の届く範囲でそうした活動をしていきたいと思います。
●プロフィール●
玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)
1964年10月生まれ、東京都出身。88年に専修大学法学部を卒業後、法律事務所を経て、長男のアレルギーをきっかけに看護師の免許を98年に取得。がんを患った夫の最期をみとった体験から、高野山で修行を積み、2013年に真言宗僧侶となる。看護師、看護教員、ケアマネジャーとしての勤務を経て、19年に非営利一般社団法人大慈学苑を設立し、代表理事に。著書に『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア』(光文社新書)など。