映像報道の新境地=神保哲生・ビデオジャーナリスト/837
日本初のインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を運営する神保哲生さん。映像の力を駆使して社会のひずみにまざなしを向け、首相会見では忖度(そんたく)無用で鋭く迫る。神保さんの目に映るジャーナリズムの今とこれからを聞いた。
(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
「ネット時代の公共的ジャーナリズムを追求する」
「東日本大震災やコロナもそう。世の中が騒がしくなってくると会員数が増えてきます」
── 菅義偉首相の今年1月13日の記者会見で、最後に指名された神保さんとのやり取りが話題になりました。新型コロナウイルスへの対処を巡り、神保さんが医療法や感染症法の改正についての考えをただすと、菅首相が国民皆保険制度を見直すかのような発言をして、さまざまな臆測を呼びましたね。
神保 私の質問時は菅首相の目が泳いでいたという人がいましたが、泳いでいたんじゃなくて、手元にメモが何もなかっただけなんです。他の記者の質問に対する答えは手元にメモがあるので、下を向いてしゃべっています。けれど、私の質問はその場で考えたので、答えのメモが用意されていなかった。菅首相は予期せぬ質問をされ、うっかり発言してしまったんでしょうね。(ワイドインタビュー問答有用)
── 日本の首相の記者会見は、海外メディアの常識からすれば「出来レース」、やらせみたいなものとも言われています。
神保 言われているんじゃなく、実際そうなんです。民主党政権時代は均等に誰でも質問できましたが、安倍晋三政権になってから内閣記者会に加盟する記者以外は一切質問ができなくなった。事前に官邸の報道室が記者の質問を取りまとめて、答えは首相官邸の官僚が用意するんです。官邸の担当者から「今度の○○さんの質問はこんな感じでよろしいでしょうか」と、確認のメールまで記者に送ってきます。ばかばかしいですよ。
── 首相の記者会見にはいつでも出席できるんですか。
神保 現在は内閣記者会に所属していない非加盟社の枠は10席しかありません。外国特派員や専門誌、雑誌、ネット、それからフリーランスの記者たちが申し込み、抽選に当たると記者会見に出席できます。私はその抽選を見たことがないのですが、あみだくじと言われています。さらに、記者会見に出られても、質問できるとは限りません。まあ、質問できるのは5回に1回ほどですね。
質問は「15回に1回」
── かなりチャンスは限られるんですね……。
神保 抽選に当たって記者会見に出席できるのは2~3回に1回ぐらいなので、単純に言えば15回の記者会見で1回質問できるかできないかの確率になります。だから、数少ないチャンスを絶対に逃さないぐらいの気合が入っていないとダメ。私は事前に質問を提出しませんから、全部アドリブです。そもそもジャーナリズムとして、質問を事前に出すこと自体、許されないですよ。
── 当時の記者会見の司会は、その後に総務省時代の接待問題が発覚して辞任した山田真貴子内閣広報官でした。
神保 メディアでは、内閣広報官とか元総務審議官との肩書で紹介されますが、総務審議官の前は情報流通行政局長でした。放送行政も担う部署で大変な利権ポストなんです。報道機関がそうした組織や人物から介入を招くような力関係、利害関係になっていたら、それはもう中立的な報道とは言えない。それがないようにしようとすれば、我々のように泥を飲むような苦労から始めなければなりません。
神保さんが代表取締役を務める日本ビデオニュースは、1999年11月に始まった日本初のニュース専門のインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を運営。広告に依存しない報道を志向し、月額550円(税込み)の有料会員制を採用する。神保さんと社会学者の宮台真司さんが毎週出演し、これまで1041回(3月20日現在)を数える「マル激トーク・オン・ディマンド」を看板番組に、新型コロナウイルス対策や原発問題などのニュースを縦横無尽に掘り下げる。
── 新型コロナウイルスの感染がなかなか収束しません。取材活動や日本ビデオニュースの経営面に変化はありますか。
神保 東日本大震災や今回のコロナ禍もそうですが、世の中が騒がしくなってくると会員が増える傾向にあります。自分の身を案ずる状況になり、人ごとだと思っていたことが人ごとではなくなると、人々が情報を求め始めるんです。会員数は今、2万5000人ちょっと。右肩上がりというわけではありませんが、会員は増え続けています。
湾岸戦争報道に衝撃
── そもそもジャーナリストになろうと思ったきっかけは?
神保 高校2年生の時にスーザン・ジョージ著『なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造』を読んだことが一番大きいですね。途上国で起きている食糧危機や飢餓の元凶が、先進国の多国籍企業による搾取であることを明らかにした本ですが、世の中の人がこんな不条理を知らなかったことで放置されてきた。私もそうしたことを取材して、世界の貧困や不公正を少しでも是正したいと思いました。
── 米コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程を修了した後、AP通信などの記者を経て、映像によるビデオジャーナリズムに乗り出します。
神保 映像を意識するようになったのは、91年の湾岸戦争の報道ですね。米CNNの記者ピーター・アーネットがイラクのバグダッドに残り、命がけで取材したリアルタイムの映像を世界が見ることになりました。彼はAP通信の記者としてベトナム戦争を取材しており、私にとっては大先輩。そんな経験豊富なジャーナリストが映像と衛星放送を駆使し、通信社や新聞社より大きな力を持ったことを目の当たりにしました。
94年に独立した後、とりあえず市販のカメラを持っていろいろと撮り始めたんですが、だんだんと分かってきたのは、テレビの作り方をまねしてもダメだということ。テレビは後で編集しやすい映像をとにかく撮って、取材結果をナレーションで入れます。そのため、映像は取材を補強するものでしかない。もし、ジャーナリストが映像をコントロールできれば、ジャーナリズムの新しい境地が開けるのでは、と考えました。
── 日本ビデオニュースの設立は96年4月ですね。
神保 最初は個人で米国や日本のテレビ局向けにドキュメンタリーや映像リポートを提供していました。法人化するといろんな誘いが来るようになり、97年にはCS放送「スカイパーフェクTV」で「CNBCビジネスニュース」というチャンネルを始めることになりました。スカパーの仕事は2年間やりましたが、そもそもそうしたことをしたかったわけではないので、事業から外れることにしたんです。
日本ビデオニュースはCNBCビジネスニュースを手掛けていた米CNBCの日本法人「CNBCジャパン」の株式を保有しており、その持ち株を日本経済新聞社系列の日経サテライトニュースに売却。折しも、時代はインターネットの普及期。その売却益をもとにビデオニュース・ドットコムを始めた。ただ、会社の経営はその後、大きな難局に直面する。
入退会手続きを簡単に
── どんな難局だったのですか。
神保 ビデオニュース・ドットコムを始めた後、経済ニュースやデータを配信する米ブリッジ・インフォメーション・システムズが立ち上げたインターネットの情報端末会社に参加することになったのですが、このブリッジ社が2001年2月に経営破綻してしまったのです。そこからの収入を当てにして借金もし、人や放送機材にかなりの投資をしていたのですが、それらが一切回収できなくなり、借金だけが残ってしまいました。
── どうやって乗り越えた?
神保 我々には全然後ろ盾もないので、資金繰りはかなり大変でした。多くのスタッフに辞めてもらい、事務所も賃料の安いところへ移り、買ってきた壁紙を自分で事務所の壁に張ったりして。ビデオニュース・ドットコムはそれまで無料で提供していたんですが、ブリッジの経営破綻を機に有料化し、これで食べていく会社にしようと決めたのが03年。会員がゼロからのスタートです。
二つの大学で教える仕事を掛け持ちしながら、テレビ向けの番組を作ったり、原稿を書いたり、翻訳をやったり……。何とか赤字を埋めつつ、借金を返す生活がそこから始まりました。ビデオニュース・ドットコムの会員数が1万人を超え、黒字転換したのは08~09年ごろ。借金の返済が終わったのは昨年です。
── インターネットでは、あえて退会の手続きを難しくする他のサービスも少なくない中で、ビデオニュースは入会・退会の手続きを簡単にしていますね。
神保 会員になってくれる人もいるけれど、すぐに退会してしまう人もいて、ものすごく流動性が高くなっています。けれど、そうすることが必ずしもマイナスだと思っていません。入会・退会の手続きを簡単にすることは、公共的でフェアな運用をしている会社の証しにもなります。激しい競争の中でもちゃんと会員を増やしていけるメディアにならなければ、ネット時代は生き残れないと思っています。
「100年計画」の難しさ
── インターネット上では、ニュースサイトだけでなくさまざまなコンテンツのメディアとの競争にもなります。
神保 1人の人間が1日の生活の中で、食事や仕事、睡眠を差し引いて、いろいろなメディアにアクセスする時間は限られています。我々はその時間を何と競争しているかというと、自分のダンスを見せる中学生の動画とか、アダルトコンテンツ、投資指南のサイトだったりするわけです。人に負けないような魅力のあるコンテンツを作らないと、とてもじゃないけれど食べていけません。
もう一つ重要なのは、人材です。ただ単に、今までの基準のジャーナリストを育てるだけでも大変なのに、インターネットで通用するコンテンツを作っていけるジャーナリストを育成していかなければいけない。育成するだけでなく、自分自身もそういう存在になれるかどうか。そんなことをやってきた人は一人もいないので、とても大変なことです。
── 今でも神保さんが一人でカメラを持って取材・編集する手法は変わりません。
神保 私がビデオカメラを持っていかないのは、メモをするペンを忘れることと同じ。一人で全部やるのは大変ですね、とよく言われるんですが、私にとってはメモを取りながら取材することと変わりないんです。他の記者もビデオカメラを持っていって取材すればいいと思うんですが、それはジャーナリストとして映像を使いこなせるようになって初めて言えることなんでしょうね。
── 今後のジャーナリズムの姿をどう展望していますか。
神保 公共的なジャーナリズムがインターネットでも通用するんだ、ということを我々は証明し続けなければなりません。だから、それをやる人、次にまた引き継いでやっていける人を育てないといけないんです。本当は100年ぐらいの計画でやらないと新しいメディアなどできませんが、私はそんなに生きられない。この仕事をあと何年できるか分からないけれど、次の世代に引き継げるようにしていきたいと思っています。
●プロフィール●
神保哲生(じんぼう・てつお)
1961年11月、東京都世田谷区出身。85年国際基督教大学卒、87年米コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者、グローブ・アンド・メール紙(カナダ)東京特派員などを経て、94年独立。96年、日本ビデオニュースを設立し、代表取締役に。99年11月に「ビデオニュース・ドットコム」を立ち上げ、代表・編集主幹。2003~09年立命館大学産業社会学部教授、05~12年早稲田大学大学院ジャーナリズム学科客員教授も兼務。