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週刊エコノミスト Online ワイドインタビュー問答有用

震災の地で「傾聴喫茶」=金田諦應・曹洞宗通大寺住職/836

「わずかでも場の空気が乱れていると人は心を開かない。傾聴はとてもデリケートな活動です」
「わずかでも場の空気が乱れていると人は心を開かない。傾聴はとてもデリケートな活動です」

 東日本大震災から10年がたつが、被災者が負った心の傷は、今なお容易には癒やされない。宗教者としてそうした被災者の心の内に向き合ってきたのが、宮城県栗原市にある通大寺の住職、金田諦應さんだ。

(聞き手=白鳥達哉・編集部)

「被災者がよろめいたら、支えるのが私の役目」

「東日本大震災後、火葬場に最初に来た遺体は女の子2人。祈りの言葉が震えた」

── 2011年3月の東日本大震災後、宮城県内を中心に「移動傾聴喫茶」としてコーヒーやケーキを無料で振る舞いながら、被災者の心の内を聞く取り組みを続けています。

金田 移動傾聴喫茶を「カフェ・デ・モンク」と名付け、各地の避難所や仮設住宅、復興住宅などでこれまで370回ほど開催しています。主なメンバーは同じ県内の僧侶や神主、牧師などの宗教者約15人。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大もあり、昨年11月4日に宮城県石巻市の新蛇田第1集会所で開いたのを最後に、昨年は2回しかできませんでした。感染に気を付けながらの開催でしたが、それでも新蛇田第1集会所では20人ほどが参加してくれ、「待ってたよ」と言われたのはうれしかったですね。(ワイドインタビュー問答有用)

── 「モンク」にはさまざまな意味を込めているそうですね。

金田 「モンク」は英語でお坊さんのこと。これに、被災者の「文句」を聞き、私たちも一緒に「悶苦(もんく)」するという意味も込めています。傾聴では、相手の気持ちを尊重し、訴えや不安を否定したり、安易に教え導いたりするのではなく、寄り添ってひたすらに耳を傾けます。わずかでもその場の空気が乱れていると人は心を開きません。現場の情報をとにかく集めて、被災者の発する言葉の裏の裏を読み、唇の動きにも神経を集中させる。泥の中をはいずり回るような、とてもデリケートでタフな活動です。

── どんな悩みが打ち明けられるのですか。

金田 悩みや不安は被災者によって千差万別です。例えば、津波で夫を失った石巻市に住む70歳ほどの女性は、東京で生活する息子といったんは同居しますが、しばらくして石巻に戻ります。母を案じた息子は東京と往復を続けるうちに倒れてしまい、意識不明になってしまいました。女性は独りもんもんと苦しんでいましたが、カフェ・デ・モンクで話したことをきっかけに、近くに住む妹と連絡を取るようになり、少しずつ前に進み始めたようでした。

四十九日の追悼行脚

── つらい記憶を話すことで、気持ちがほぐれていくのですね。

金田 カフェでは県内の陶芸家の協力を得て、粘土でお地蔵さんを作ることもあります。震災から2年半余りたったころ、津波で夫を流された看護師の女性がカフェを訪れました。初めは女性に悲愴(ひそう)感はありませんでしたが、作ったお地蔵さんに夫が掛けていたという眼鏡を描き込んだところ、突然「あんた! 何で死んだの!」と泣き出しました。残された3人の子の前では泣けなかったといい、焼き上がったお地蔵さんを後日渡すと、「ほんとにあんたったら、……ドジなんだから」といたずらっぽく語りかけていました。

 金田さんは宮城県北部の栗原市にある曹洞宗通大寺の住職だ。自死者の葬儀が続くことに危機感を抱き、地域の僧侶や福祉・医療・行政関係者の有志と市民団体「栗原命と心を考える市民の会」を09年に立ち上げ、24時間対応の電話相談も始めるなど、自死防止の活動に取り組んでいた矢先に東日本大震災が起きた。太平洋沿岸から約40キロの内陸にある栗原市でも、未曽有の大災害による異変はすぐに現れた。太平洋沿岸の火葬場が壊滅状態となったため、栗原市の火葬場にも次々に遺体が運び込まれるようになったのだ。

── 混乱の中で葬儀もままならない状況だったのでは。

金田 はい。当時は火葬が追い付かず、最悪の場合、仮埋葬(土葬)にするケースもありました。そうした状況の中で、自分でもできることはやろうと考え、亡くなった人たちに最後の祈りをささげる“火葬場ボランティア”を始めましたが、最初に来た遺体は小学5年生の女の子2人。小さなひつぎを前に祈りの言葉が震え、声が出せませんでした。その後も、トラックの荷台に乗せられてきた男性、青いブルーシートに包まれた女性……。多くの遺体を目の前に祈りの言葉をささげながら、必死に自分の使命は何かを考える日々でした。

── 火葬場での遺族の様子は?

金田 火葬場にいる人たちは、みんな涙すら出ていなかった。起きていることが大きすぎて理解が追い付かず、無表情。その表情を見て、心が動いていないなと感じました。その心を動かしてやらなければという考えは、あの時から頭の中にあったと思います。震災から四十九日を迎えるころには少しずつ落ち着きを取り戻したため、県内の教会に赴任していたキリスト教の川上直哉牧師にも呼びかけ、超宗教・超宗派のグループで11年4月、被災地の南三陸町戸倉にある海蔵寺から戸倉海岸まで四十九日の追悼行脚をすることにしました。

── 当時はまだ遺体の捜索も続いていたのでは。

金田 そうなんです。自衛隊ががれきの中から遺体を捜索しているのを横目にしながらの行脚で、辺り一面は遺体とヘドロの臭い。自分がこれまで学んできた宗教的な言語などですくい取れるようなものではありませんでした。とにかく何かをしなければと思っていたところ、父が交流していたオーストラリアの禅道場から1万豪ドル(約85万円)が寄付され、それを元手に南三陸町馬場中山の避難所でうどんの炊き出しをしました。その避難所の責任者にあいさつに行った時です。責任者が男女2人を問い詰めている光景に出くわしました。

「臨床宗教師」も養成

── 男女2人とは?

金田 次の避難所へ向かおうとしていた国境なき医師団の医師と看護師です。責任者は「おめえだちが帰ったら、ここの年寄りたちはどうするんだ! 死んでしまうぞ!」と必死に叫び、避難所にとどめようとしていたのです。彼らも非常に複雑な表情をしていました。そのやり取りの一部始終を見て、「みんなが医者に命を預けているのに、私たち宗教者は炊き出ししかできないのか、何か他にもっとできることがあるはずだ」と自問自答しながら帰宅の途に就きます。

── 家に帰っても落ち着かなかったでしょう。

金田 もんもんとした思いで自宅で寝転んだ時、天から降ってきたように思い付いたのが、被災地を飛び回りながら、傾聴活動のための場を作るということ。自死者の相談活動では、ただひたすら話を聞くことで、相手が少しずつ生きる力を取り戻し、自分が置かれている状況を客観的に見られるようになったのを感じていました。すぐに知り合いの僧侶を中心に仲間を募り、炊き出しの2週間後、同じく南三陸町歌津の避難所で1回目となるカフェ・デ・モンクを開催しました。

 音楽が好きな金田さん。カフェ・デ・モンクではBGMに米ジャズピアニスト、セロニアス・モンクの曲を流す。スピーカーはもちろん有名な「BOSE」ブランド。ちょっとした遊び心も、訪れる人の心をリラックスさせる工夫だ。道路などハード面の復興は徐々に進んでも、人々の心の穴は容易には埋まらない。寄付金や民間財団からの助成金も得て、カフェ・デ・モンクの地道な活動を続ける一方、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者「臨床宗教師」の養成にも取り組んでいる。

── 「臨床宗教師」の養成は、超宗教・超宗派の取り組みですね。

金田 きっかけは11年5月、県内外の宗教者や宗教学者、医療関係者などが集まって被災者の心の問題に向き合う「心の相談室」を立ち上げたことでした。中心となったのは、在宅緩和ケアの医師である岡部医院(同県名取市)の岡部健院長。カフェ・デ・モンクに何度も同行し、傾聴活動によって被災者の心が動く様子をひたすら観察していました。岡部さんは12年9月にがんで亡くなりましたが、その遺志を継いで翌10月、東北大学大学院文学研究科で臨床宗教師を養成する「実践宗教学寄附講座」が始まりました。

感じた「大きな力」

── どんなことを学ぶのですか。

金田 被災地や医療機関では、各宗教の教義はいったん脇に置き、相手の気持ちに寄り添って耳を傾けることがとても重要です。そのためのスキルを学ぶほか、宗教間の対話・協力の方法や、医療機関や自治体など他の機関との連携の仕方なども身に付けます。寄付講座では私も講師となり、仏教やキリスト教、イスラム教などさまざまな宗教者が研修を受けています。17年2月には一般社団法人日本臨床宗教師会が設立され、後に臨床宗教師の認定制度も整えられました。

── 人の悩みを聞く活動は、聞く側にも心理的に大きな負担がかかるのでは?

金田 私自身、あまりにもつらい話にいたたまれなくなり、逃げ出したことは何回もありますよ。何であの人は死んで私は生き残ったのか、何で私はあの人を置いていってしまったのか──。そうした悩みに向き合い続けて耐えられなくなり、13年末からカフェ・デ・モンクの活動を1~2カ月、休んだこともありました。しかし、しばらく休んでから戻ると、何か神様から動かされているような大きな力を感じたのです。それからは余計な力を入れず、自然体で活動できるようになりました。これが一種の悟りなのかとも感じました。

── 今年1月にこの10年間の体験をまとめた『東日本大震災 3・11生と死のはざまで』(春秋社)を出版しました。

金田 執筆したのは二つの大きな理由があります。一つは、カフェ・デ・モンクを通して、被災者が苦しみ、悲しんでいる姿、そして少しずつ立ち上がっていこうとする過程のすべてを見てきました。被災者が前を向こうとする命の輝きを世界、そして後世の人間に伝えなければいけません。これは、その場に居合わせた人間として当然の使命です。もう一つは、これまでに背負ってきた荷物をいったん降ろすため。震災から10年を迎え、これまで見聞きしてきたことを一冊の本にすることで、私自身が次のステップへ進もうと考えました。

── 今後の活動予定は。

金田 新型コロナの影響で、残念ながらカフェ・デ・モンクの活動も自粛せざるを得なくなっています。もちろん来るのを待っている人たちがいる限りは続けなければなりません。でも、それだけでもうれしいですね。被災地以外にも、訪問看護ステーションやワーカーズコープ(日本労働者協同組合)などから、傾聴の場を作ってほしいという相談が来ています。新型コロナが落ち着いたところで、活動の手を伸ばしていこうかと考えているところです。

── 金田さんが寄り添ってきた人たちは今、前を向いて歩けているのでしょうか。

金田 「分からない」としか言いようがないです。寄り添うということは、そばにいてちょっと指で支えてあげるということ。

 人はいろいろなものを背負いながら、よろよろと歩いています。その人がよろめいて転びそうになったら、小指一本でも支えて倒れないようにするのが私の役目。私は一介の僧侶で、スーパーマンのように人を助けることもできなければ、魔法使いのように呪文を唱えて悲しみをどこかに飛ばしてやることもできない。それでも、常にあなたたちのことを思っているよ、という気持ちで活動を続けていきます。


 ●プロフィール●

金田諦應(かねた・たいおう)

 1956年生まれ。宮城県出身。79年駒沢大学仏教学部卒。82年同大学院修士課程修了。2000年、代々続く通大寺の住職に就任。日本臨床宗教師会副会長。日本スピリチュアルケア学会会員。東日本大震災の直後から被災者の悩みや不安を聴く、傾聴活動を兼ねた移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を主宰する。著書に『傾聴のコツ ──話を「否定せず、遮らず、拒まず」』(三笠書房)、『東日本大震災 3.11生と死のはざまで』(春秋社)。

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