「日本ぽいアイコンはつかわない」五輪開会式前責任者MIKIKO氏が語る、東京五輪の「正しい見せ方」
歌手やアーティストの振り付けで引っ張りだこの人気振付師で演出家。最新技術を駆使したライブ演出の腕を買われ、リオ五輪で日本を紹介するセレモニーの演出を担当した。
(聞き手=花谷美枝・編集部)
◇「リオ閉会式はパフュームとの経験生かした」
◇「欧米人と体型が違うので身体を立体的に見せる振り付けを研究しました」
── リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの閉会式で行われた、次の開催都市を紹介する「フラッグ・ハンドオーバー・セレモニー」(五輪旗引き継ぎ式)で総合演出を担当しました。
MIKIKO 全体のコンセプトはチーム全体で考えて、私はフィールドでのダンサーの動きなどを担当しました。
2015年12月ごろからスーパーバイザーの佐々木宏さん、菅野薫さん、椎名林檎さんと4人で演出について話し合いを重ね、「着物」「忍者」といった海外に日本を紹介する時のおなじみのアイコンはあえて使わずに、20年東京五輪の予告編として今の東京を見せるものにしようと決めました。
最終的に演出が固まったのは4月末か5月ごろです。
東京五輪のエンブレムの決定を待ったこともありギリギリになりましたが、結果的に45個のLED(発光ダイオード)の四角い立体の枠で市松模様のエンブレムをフィールドに描くところが落としどころになってよかったと思います。
◇リオ五輪でユニーク演出
フラッグ・ハンドオーバー・セレモニーは、小池百合子東京都知事の旗の引き継ぎに続き、現実世界に架空像を映し出すAR(拡張現実)や光の演出など、最新のテクノロジーをふんだんに盛り込んだ8分間のショーで東京をアピールした。
── フィールドでは50人のダンサーが踊りました。
MIKIKO 閉会式が行われたマラカナン競技場を下見した時、リオ五輪の開会式・閉会式の演出チームから「(ダンサーは)200人、300人はいないと会場が埋まらない」と言われました。
確かに広い会場です。でも、日本から片道24時間以上かかるリオに大人数を連れて行くのは予算の上でも難しいので、少ない人数での演出を考えました。
── どんな工夫をしましたか。
MIKIKO ダンサー一人ひとりをいかに拡張して見せるかを考えました。
各ダンサーの動きと画面の映像をシンクロさせて、着地した瞬間に地面が沈み込んだように見せたり、ダンサーが直方体のLEDフレームの枠をつかんで回転させながら移動することで、人の動きを拡大して見せる効果を狙いました。
また今回は、冒頭の映像を流した1分間に、フィールド上のスタンバイを終える必要がありました。
天井のない野外の大空間なので、本来ならば大がかりなセットで高さを演出したいところですが、時間的に難しい。
そこで跳ねたり回転したりという高さのある動きで補う効果を期待して、全日本学生新体操選手権15連覇中の青森大学(青森市)の男子新体操部の20人に加わってもらいました。
スポーツがテーマだったので、身体能力が高い人々に加わっていただけたのは強みになりました。
── 反応はどうでしたか。
MIKIKO 私は会場上部のダンサーに指示を出す部屋にいたので、直接歓声を聞くことはできなかったのですが、翌日、リオの街を歩くと日本人だというだけで声をかけてもらい、反響の大きさを感じました。
── スーパーマリオに扮(ふん)した安倍晋三首相が土管から出てきたのは、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長のアイデアとか。
MIKIKO マリオの演出は先に決まっていたのですが、誰にマリオをお願いするかはギリギリまで議論しました。
リオ五輪で活躍した選手がいいねという話もあったのですが、事前に結果はわからないし、試合に集中してもらいたい。安倍首相にお願いすると決まってからも、急なスケジュールの変更がありえたので、本番までハラハラしました。
◇米国留学で「日本」を意識
女性3人組の音楽ユニットPerfume(パフューム)、星野源さん、BABYMETAL(ベビーメタル)など人気歌手・グループの振り付けで知られるMIKIKOさん。ダンスの舞台公演の演出も手がける。16年にはパフュームの北米4都市5公演を回るツアーを行うなど、海外公演の機会も増えている。
中学時代の3年間をバトン部で過ごし、身体を動かす楽しさを知った。高校2年生の時にダンスを始め、短大進学後にはスクールで講師を務めるまでに上達した。
── 短大在学中から、広島市内のダンススクールで講師を始めたそうですね。
MIKIKO 当時、広島では女性のダンス講師がいなかったので、通っていたスクールで習いながら教え始めたのが最初です。後に広島アクターズスクールでも講師をするようになりましたが、当時は将来、自分がダンスで身を立てるようになるとは思っていませんでした。
── 踊り手から演出側に回ったきっかけは。
MIKIKO 広島で05年に「DRESS CODE(ドレスコード)」という地元のダンサーによる自主公演を演出して、踊るよりも舞台を作る方が興奮することに気づき、裏方に回ることを決めました。
本格的に東京進出の背中を押してくれたのは、芸能事務所アミューズの大里洋吉会長です。
アクターズスクールと提携していた関係で、広島まで「ドレスコード」を見に来てくれたんですね。そこで「演出の勉強をするなら東京に出ないとだめだ」と言われて、演出家として拠点を東京に移しました。
── その後は。
MIKIKO 東京に出てみたら、今度は「東京にいてもしようがないからニューヨークへ行け」と言われまして(笑)。
たしかに、東京で何をしたらいいのかわからなかったのも事実なので、06年に米国へ留学しました。午前中は語学学校に通い、午後はブロードウェーでひたすら舞台を見るという生活を2年続けました。
── 米国留学ではどんな刺激を受けましたか。
MIKIKO ブロードウェーは圧倒的な歌唱力、感情豊かな表現力で見る側の心を揺さぶります。それは素晴らしいものです。でも、そうした表現は欧米人の気質や文化が背景にあって初めて成立するものなので、日本人がモノマネしても違和感があります。
日本人は内に秘めた熱い思いを、大げさではない形で表現するのが得意なのだということに気づきました。
そうした違いを米国で実感し、日本人の生活になじんだ形の、日本人が見て満足できる舞台を作りたいと望むようになった一方で、それは通用するのだろうかと思いながら帰国しました。
◇パフュームで知名度アップ
帰国したMIKIKOさんに、大きな転機が待っていた。
振り付けを担当するパフュームがメジャーデビューを果たし、07年発売のシングルCD「ポリリズム」で一躍人気を得ていた。
パフュームの3人はMIKIKOさんが講師を務めていた広島アクターズスクールの生徒だった。
小学生の時にパフュームを結成した当初から、MIKIKOさんがダンスを教え、振りを付けて、ライブの演出も手掛けてきた。
そんな3人の成功は、「パフュームの先生」としてMIKIKOさんの知名度を上げることになった。
── パフュームの振り付けを担当するようになった経緯は。
MIKIKO もともとパフュームは本人たちが組んだユニットで、アクターズスクール内のオーディションに受かると担当の先生が付くというシステムがあり、私が担当になったのがきっかけです。
── パフュームのダンスの振り付けは独特だと言われます。
MIKIKO 動きに一定の制限を設けて踊らせるというのがひとつの特徴かもしれません。
例えば、(顔を正面に向けたまま上半身を左にひねり、右ひじを胸の前に、顎(あご)の下で手首を折る仕草で)こうして腕や体のひねりで「角度」をつけると、身体が立体的に見えます。
角度で身体をかたどって、動きをはめていく振り付けは、日本人の体型に合っていると思います。
ただ、その角度にグッと身体がはまっていなかったり、振りがそろっていなかったりすると格好が悪くなります。
パフュームの場合、3人の立ち位置が5センチずれるだけでそろっていないように見えるので、簡単なものではありません。
欧米人と日本人は、体型が異なりますし、同じように踊っても迫力が違います。
ニューヨークで一緒にダンスレッスンを受けて実感しました。
だから、この体型にしかできない動きとは何か、華奢(きゃしゃ)で凹凸の少ない身体をいかに立体的に見せるか、無駄を削(そ)ぎ落とした中で何を見せるかを研究しました。
そうして生まれたのがパフュームの振り付けです。
── 「歌詞を振り付けで表現している」とも言われますね。
MIKIKO 中田ヤスタカさんが作った楽曲を聴き、歌詞の意味と意図を考えながら振りを付けています。
日本のダンススタジオにいた頃は、米国人のダンサーは憧れであり、正確にまねすべきだと考えていました。
しかし米国に行ってみて、貧しさや怒りといった歌詞の意味を理解した上で、ダンスで表現しているということがわかりました。
そんなことも知らずに、表面的にまねしていたと気づき、恥ずかしくなったのです。
だからこそ、それまで以上に日本語の歌詞に忠実に振り付けしようと思うようになりました。
── 帰国後にパフュームの楽曲がヒットして、MIKIKOさんの振り付けが世に知られるようになりました。
MIKIKO 彼女たちは私がダンスを教え始めた1年目からの教え子で、長年かけて自分のこだわりを伝えてきた生徒です。
そして、パフュームのダンスはまぎれもなく私がやりたい振り付けでもあります。
たまたま売れていたアーティストに付けた振りが世に出て行ったわけではない。
一番長く付き合ってきた彼女たちが踊って、世の中に広めてくれたことは幸せなことです。
── MIKIKOさんはライブの演出も担当しています。
MIKIKO パフュームのライブは、基本的にバックバンドも、バックダンサーもいません。
東京ドームのような大きな会場でも3人だけです。だから、3人でもこぢんまりとせず、大きく、華やかに見せる工夫が必要です。
照明や映像を使った演出や、衣装と映像を重ね合わせるプロジェクションマッピングなど、テクノロジーを学び、取り込みながら演出しています。
── 最小限のダンサーで大きな舞台を演出する経験は、リオ五輪でも生かされたのでは。
MIKIKO そうですね。椎名林檎さんに「ドームでも3人でライブを見せているのだから、人数が少ないことに恐怖を覚えなくても、普段通りやれば大丈夫」と言われて、確かにそうだと思いました。
── ご自身が主宰するダンスカンパニー「ELEVENPLAY」(イレブンプレイ)での公演も積極的に行っています。
MIKIKO イレブンプレイはプロのダンサーが所属するカンパニーです。
私にとって実験場でもあり、身体とテクノロジーを掛け合わせて何が生まれるのかをひたすら研究する場所でもあります。
広島時代に「ドレスコード」をやっていた頃からこだわりは変わっていません。17年4月くらいに自主公演できればと考えています。
── 人気テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で新垣結衣さんはじめ出演者が踊る「恋ダンス」の振り付けも担当しています。
MIKIKO あの振り付けは星野源さんのミュージックビデオの撮影のために、プロのダンサー向けに付けたもので、難易度は高めです。
ドラマのエンディングでも踊ると聞いていたので、簡単な振りに変えようと思っていたのですが、プロデューサーが「難しい振り付けに挑戦しているかわいらしさを出したい」と言ったので、プロ向けの振り付けを役者さんが踊っています。
── 今後の抱負は。
MIKIKO ショーを見せる場所を東京に作りたいなと考えるようになりました。
この2、3年、海外で公演する機会が増えましたが、特に海外では、照明や舞台装置など会場設備の制約のために、やりたい演出のすべてを実現できるわけではありません。
「もっとできるのに」と思うのです。だから、全力で作りこんだショーを日本に見に来てほしい。
20年に向けて、そういった場所を作りたいです。
(本誌初出 ワイドインタビュー問答有用:/626 日本人のダンスを追究=MIKIKO・演出振付家 2016年12月27日)
●プロフィール●
1977年、広島県出身。高校時代にダンスを始め、短大進学後にダンススタジオで講師を始める。女性3人組音楽ユニットPerfume、BABYMETALの振り付けを担当。自身のダンスカンパニーELEVENPLAYでは「セルバンティーノ国際芸術祭」「MUTEK MEXICO 2014」などに出演。海外公演での演出の機会も増えている。