週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

〝バブル紳士の守護神〟から脱原発の急先鋒に 勝つことにこだわる河合弘之弁護士の生き様

「たくさんの”バブル紳士”が僕のところに来たけれど、みんな死ぬか刑務所に入るか破産するかしてしまった」 撮影=中村琢磨
「たくさんの”バブル紳士”が僕のところに来たけれど、みんな死ぬか刑務所に入るか破産するかしてしまった」 撮影=中村琢磨

 付き合った“バブル紳士”は数知れず。バブル期に数々の大型経済事件に関与して成功を収めながら、現在は全国で繰り広げられる脱原発訴訟の先頭に立つ。歴戦のつわものは、今なお「勝つ」ためのすべを追求し続ける。

(聞き手=浜田健太郎・編集部)

「日本から原発をなくして人生を終わりたい」

「さようなら原発全国大集会」の壇上で、自身が作った映画について話す河合さん=2014年9月
「さようなら原発全国大集会」の壇上で、自身が作った映画について話す河合さん=2014年9月

「シェアハウスの不正融資事件はひどい詐欺。その被害者に『自己責任』なんて言えますか」

── 日本原子力発電(原電)の東海第2原発(茨城県)の運転差し止めを求めた住民訴訟で、水戸地裁が3月18日、運転差し止めを命じる判決を出しました。河合さんは原告側の弁護団長として勝訴を勝ち取りましたね。

河合 この判決は非常に重要です。なぜかというと、東海第2は日本でいちばん危険な原発だからです。避難計画の策定が義務づけられる原発の立地から半径30キロ圏内には94万人が住んでいて、事故が起きたときには途方もない人数に被害が出てしまいます。しかも、東京都心まで100キロしか離れておらず、最悪の場合首都圏が壊滅する、すなわち日本が崩壊するような事態を招きかねません。(ワイドインタビュー問答有用)

── 前田英子裁判長は、30キロ圏内の自治体が立てた避難計画が実行できるにはほど遠く、防災体制が不備だと指摘しました。

河合 避難対策を綿密に検討して、それを稼働差し止めの理由にしたのは初めてです。この判決は「多重防護思想」を重視したという点で画期的。IAEA(国際原子力機関)は、原発の安全性は「事故を起こさない」「事故を拡大させない」など5段階で確保すべきとする「深層防護」という考え方を採用しており、どこかの段階で不備があれば原発を動かしてはならないという、世界標準の考え方に沿った判決という点で重要です。

── 判決後の記者会見で、河合さんは「全国の原発(再稼働)にも影響を与える可能性がある」と強調していました。

河合 水戸地裁の判決が示した考え方は、日本全国の原発にも適用可能です。特に、中部電力の浜岡原発(静岡県)、東京電力ホールディングスの柏崎刈羽原発(新潟県)、関西電力が福井県に持つ各原発(高浜、大飯、美浜)などに水平展開できるでしょう。なぜなら、30キロ圏の人口だと浜岡で約94万人、柏崎刈羽で44・6万人にも上ります。関電の原発も100キロ圏まで広げると大阪市や京都市も含まれ膨大な人口になります。

“モデルチェンジ”の時期

 河合さんは海渡雄一弁護士とともに「脱原発弁護団全国連絡会」(脱原弁連)の共同代表を務め、現在も全国各地で30件以上争われている原発の運転差し止め訴訟をリードする。もともとは各地でバラバラに争われていたが、2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、河合さんらが連帯を呼びかけて同7月に発足。情報共有などを通じて結束を強め、原発を推進する電力会社に立ち向かっていた最中の水戸地裁判決だった。

── ただ、原発の運転差し止め訴訟では、司法判断がその都度分かれ、行方が予想できません。

河合 脱原発弁護士側にも反省があります。ひとことで言えば、高度で難しい科学技術論争にこだわり過ぎです。訴訟ごとに住民側、電力会社側の双方が大量の準備書面を出してきます。そうすると裁判官は理解できません。裁判官はほとんどが文系だし、おおむね3年間の任期で異動を繰り返すうえに超多忙なので、原発にばかり関わってはいられません。原発訴訟において、裁判官は「三重苦」を抱えていると、元裁判官の樋口英明さんが指摘しています。

── 14年5月に福井地裁が大飯原発の運転差し止めの判決を出した時の裁判長ですね。判決文で「原発事故によって国富が喪失する」と指摘しました。

河合 我々にとっては、“宝物”のような判決文です。樋口さんは17年8月に定年退官し、現在は日本から原発をなくすための講演を全国各地でしています。樋口さんは、原発の安全性を考える上で鍵を握る地震学もまた「三重苦」を抱えていると指摘しています。それは何かというと、地震とは地中深くにおいて起きる「複雑系」であり、実験ができないことに加えて、データが不十分ということです。

 1995年の阪神・淡路大震災を契機に、日本全体を25キロ間隔で地震を計測するようになったのですが、実際に起きた地震に関する精密なデータはそれ以降にしか蓄積されていません。地震学と地震の揺れを科学する強震動学はそれぞれ“未完の科学”であり、それを基に原発の耐震安全性を決めるのは間違っていると樋口さんは主張しています。

── 大阪地裁が昨年12月、原子力規制委員会が出した大飯原発の設置許可について、基準地震動(発生しうる最大の揺れ)に関する原子力規制委の判断に「看過しがたい過誤、欠落がある」として、許可を取り消す判決を出しました。

河合 地震の規模を想定する際、原子力規制委員会が審査に用いる「審査ガイド」には、単純に過去に起きた地震の規模の平均値を取るのではなく、平均値から大きく外れた「ばらつき」を考慮せよ、と書いてあるのに、原子力規制委の審査ではそれを考慮していない、という判断です。極めて分かりやすい指摘だと思いませんか? 過去の差し止め訴訟でも、勝つのはいずれも分かりやすい論点を提示した時でした。高校生でも分かるような論理で展開するように、差し止め訴訟をモデルチェンジする時期だと思っています。

イトマン、光進……

「ダグラス・グラマン事件」で参院予算委員会で証人の随伴者として出席した河合さん(左奥)。証言台に立つのは証人の有森國雄氏=1979年3月
「ダグラス・グラマン事件」で参院予算委員会で証人の随伴者として出席した河合さん(左奥)。証言台に立つのは証人の有森國雄氏=1979年3月

 河合さんはバブル期にかけて世間を騒がせた数々の経済事件を手掛け、弁護士としての名を上げた。巨大汚職事件「ダグラス・グラマン事件」では79年、国会で証人喚問を受けた日商岩井航空機部課長代理、有森國雄氏の随伴者に。他の証人が「記憶にございません」を連発して反感を買う中、有森氏に初めて「自分が起訴された時に不利になるので、その証言はできない」と回答させた。

 その後も、住友銀行(現・三井住友銀行)出身の河村良彦社長率いる中堅商社イトマンの顧問弁護士として、後に住銀に合併される平和相互銀行の内紛問題に携わったほか、仕手筋集団「光進」の小谷光浩氏の顧問弁護士として国際航業株の買い占めにも関与。他にも、背任罪に問われたイ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則氏ら、関わった“バブル紳士”は枚挙にいとまがない。

── 仕手筋のような人たちの顧問も引き受けることに、反発や懸念の声はなかったのですか。

河合 ありましたよ。でも、僕に悪事を頼んでくるなら断るけれど、仕手株でもうけようと不動産でもうけようと、着手金や成功報酬を支払うなら弁護してやる。それが“河合流”だと思っていました。僕は弁護士になったのは大活躍するため。大企業の顧問になろうとしたら、老舗の法律事務所に入って、のれん分けまで30年は我慢しなくちゃいけない。そんなぞうきん掛けみたいなことがアホらしくてできるかと。

── 中内功さんが創業したダイエーの顧問弁護士も務めていましたね。

河合 中内さんに「面白い弁護士がいるから」と紹介され、84、85年ごろに顧問にしてくれました。「経営者として成功するには?」と聞かれたので、「危険予知能力と撤退する勇気が必要」と答えると、当時40歳前後だった僕の話を聞きながらメモを取っていたのは感激しました。中内さんの右肩上がりの時期を見て、最後に一気に沈んでしまったのは悲しかったですね。

── 企業の不祥事は現在もいろいろありますが、当時と現在との違いを感じますか。

河合 バブル崩壊後はすごく“お行儀”がよくなりましたね。以前は暴力団でも金を持っていたら商売ができた。少々行儀の悪いこと、違法すれすれのことなどいくらでもあったんです。バブル崩壊後に世の中に出てきた言葉は、コンプライアンス(法令順守)、アカウンタビリティー(説明責任)、ガバナンス(企業統治)、透明性、CSR(企業の社会的責任)の五つ。これによって日本社会がおとなしくなり、それと同時に私の出番がなくなりました。

── バブル期は現在に比べて社会が熱気に充ちていました。

河合 バブルの頃に上げた名声もあり、その後は中小企業の中小レベルの事件でがっぽり稼ぎました。しかし、そんなことばっかりやっていても心のむなしさを感じるということで、90年代後半に原発の危険性を訴えた科学者、高木仁三郎さんと出会ったこともきっかけに、原発反対を始めました。ところが、負けてばかりで、そろそろズラかろうかなと思っていたところに、福島で原発事故が起きました。「俺のやっていたことが正しかった」と思い直し、腹を据えたのが10年前です。

── 原発訴訟は、弁護士としての報酬に結びつきますか。

河合 原発闘争って一切、お金になりません。着手金ももらえないし、成功報酬ももらえない。無料で引き受けています。私は原発専従の弁護士2人と事務員2人も雇っていますが、裁判に勝っても一銭も入るわけじゃない。水戸地裁の判決だって、「やったー」とみんなで喜ぶだけですよ。運動体から報酬をもらうことはありません。

スルガ銀行に照準

 コロナ禍の中の昨年3月、河合さんはシェアハウス「かぼちゃの馬車」を巡るスルガ銀行の不正融資事件で、和解成立の記者会見に臨んだ。17年秋から表面化した事件を巡り、被害者となったオーナー側の弁護団長としてスルガ銀行と正面から対決した河合さん。集団訴訟でもなく金利減免を求めるでもなく、丁々発止の交渉やオーナーによる街頭デモといった“白兵戦”も展開し、シェアハウスそのものを手放すことで借金を帳消しとする「代物弁済」を要求。日本の金融史上でも異例の代物弁済を認める形で決着が付いた。

── 当初はオーナー側の「自己責任」という声もありました。

河合 あの連中がやったことはひどい詐欺です。詐欺の被害者に向かって、自己責任なんて言いますか? 被害者側も少しは油断していただろうけど、相手が99%悪くて自分が1%悪い時に「自己責任」と捉えるべきではない。オーナーの中には自殺してしまった人もいましたが、たかが借金のことで自殺をしてはいけないと被害者たちを励まし続けました。スルガ銀行の店頭でのデモは僕が提案したものですが、悪事を世間に訴えていくうちに、「頑張れ」という反応が増えていきました。決着したのは被害者と一緒に戦った結果です。

── 高値でシェアハウスをつかませた不動産会社や、建築代金を水増しして請求した建築業者もある中で、ターゲットをスルガ銀行に絞った戦術でした。

河合 集団訴訟をやれば10年はかかる。被害者は普通のサラリーマンなので、体力や財力、精神力のいずれも持たなくなってしまいます。また、不動産会社や建築会社を追及しても、回収できる金額はたかが知れている。あまりにひどい詐欺に対して初めから代物弁済を主張することとし、標的をスルガ銀行に絞ると、追及を恐れた不動産会社から不正融資の証拠などの情報が提供されるようにもなりました。デモだけでなく、スルガ銀行の株主にもなって株主総会でガンガン突き上げたのは、脱原発闘争の手法でもあるんです。

── これからの人生をどう生きていきますか。

河合 僕にとって一番重要なことは、日本から原発をなくして、自然エネルギーで回る国にすること。それに貢献した人間として人生を終わりたい。僕はそれなりに成功して、食っていく分には困らなくなった。なぜこんなことをしているかといえば、この日本を放射能で汚い国にできるか、という愛国心と、若干の義侠心(ぎきょうしん)、功名心ですね。自分の利益のためではなくて、本気で取り組んでいると、必ず誰かが助けてくれる。僕が“バブル弁護士”をしていただけでは味わえなかった喜びです。


 ●プロフィール●

河合弘之(かわい・ひろゆき)

 1944年4月旧満州・新京市(現在の中国吉林省長春市)生まれ。67年東京大学法学部在学中に司法試験合格、70年4月弁護士登録。ビジネス分野を専門とし数々の大型経済事件を手掛けた。90年代に脱原発運動を本格化し、全国各地で稼働差し止め訴訟を引き受ける。原発問題や中国、フィリピンの残留邦人の支援活動も手掛ける。映画「日本と原発」(2014年)の監督や「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」(20年)の企画・製作も務めた。

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