壇蜜さんが日露合作映画に出演。ロシア版「忠犬ハチ公」の姿に感激
映画「ハチとパルマの物語」に出演=壇蜜・タレント、俳優/843
29歳でグラビアアイドルとしてデビューし、テレビや映画にも活躍の場を広げた壇蜜さん。5月28日公開の日露合作映画「ハチとパルマの物語」に出演している。出身地の秋田県もロケ地になったこの映画の見どころなどを聞いた。
(聞き手=神崎修一・編集部)
「ロシアの忠犬が飼い主を待つ姿に感激」
── 出演作のテーマとなった、ロシア版の忠犬ハチ公「パルマの物語」はご存じでしたか。
壇蜜 知らなかったです。駅前やバス停ではなく、空港というとても危険な場所で、飼い主を待っていたことにとても驚きました。飼い主が飛行機に乗って帰ってくることを知っていたということですから、パルマの理解力はすごいと思いました。(ワイドインタビュー問答有用)
当時の旧ソ連は激動の時代にあったかと思います。そんな中でパルマの存在は、人々がいさかいを忘れるエピソードになったのだろうと思います。もっと真実を知りたいという気持ちになりました。
日露共同製作の映画「ハチとパルマの物語」が5月28日から公開される。1970年代の旧ソ連・モスクワの空港で、2年もの間、飼い主の帰りを待ち続けた忠犬「パルマ」の実話を基に、パルマと主人公の少年との触れ合いや成長、周囲の大人たちの奮闘ぶりが描かれている。
冒頭、大人になった主人公が秋田犬の「忠犬ハチ公」の物語を知って来日し、観光交流施設の「秋田犬の里」(秋田県大館市)を訪れるシーンがある。壇蜜さんはこの施設の館長役として出演した。
秋田県内でロケ
── 2019年に秋田県内で行われた撮影に参加しました。
壇蜜 撮影場所を貸していただき、大館市のみなさんにもエキストラとして大勢参加していただきました。撮影中でしたので、なかなか市民の方々と交流できず、もどかしい面もありましたが、(撮影用の)舞台に立つと私のトークショーみたいになって、みなさんが大歓迎してくれました。
── メガホンをとったのはロシア人監督でした。日本の映画やドラマと違った点はありましたか。
壇蜜 言葉が分からず不安でした。言葉の違う人たちが一つの作品を作るということで、(空気が)ピリッとしたのかもしれません。しかし、良い作品を作りたいという気持ちは変わらないので、ロシア側の方法や指示に従わないといけないなと考えました。
例えば、照明。ロシアのスタッフの方が出演者たちにきれいに当たるようにしてくれて、現場がとても明るくなり、驚きました。まるでアカデミー賞の授賞式かと思うほどの明るさでした。ワンちゃんがびっくりしてしまわないか、少し気がかりでしたが。
── この映画の見どころは。
壇蜜 子ども(主人公)と犬の関係という「ハートフル」な部分だけでなく、周りの大人たちも実は魅力的な存在です。旧ソ連の時代、大人たちはいろいろな事情を抱えていました。父親が子どもにつらく当たってしまうシーンもありますが、父親なりに子どもを支えようとしているのです。周りの大人たちの心の変化が、非常に興味深いポイントになっています。
ナレーションを担当
── 予告編のナレーションを担当しました。
壇蜜 ナレーションは初めてで、貴重な体験になりました。映画館で他の作品を見ている人たちに向けたアピールの場にもなります。「壇蜜の声だ」と気づいてもらうことで、作品のことが少しでも記憶に残ってくれればと思います。少年と犬が主役の映画なので、私の存在が邪魔にならないように気をつけました。私がナレーションを担当していることで見てくれる方もいるかもしれないので、変にきれいな声を出そうなどとは考えずに、できるだけ普段の声を出すように心がけました。
── 出身地でもあり、撮影場所にもなった秋田県の魅力はどこにありますか。
壇蜜 聞かれるたびに必ず、「冷たい風」と答えています。雪もたくさん降る地域で、暮らしにくい時間がとても長いです。だからこそ、おいしいお米や甘い果物など豊かなものが生まれます。そこが雪国の魅力です。
29歳でグラビアアイドルにデビューの遅咲き。大学卒業後は、調理師免許を取得したり、和菓子工場で働いたり、銀座のクラブでアルバイトをしたりと、さまざまな仕事を経験した。ゲームショーのアシスタント出演をきっかけにデビュー。TBSテレビの「サンデージャポン」に出演し、セクシーな外見と知的なコメントのギャップで人気に火がついた。
お金が欲しかったデビュー前
── タレントデビューしたきっかけは。
壇蜜 その前にゲームショーのアシスタントのオーディションを受けました。お金が欲しかったからです(笑)。当時は、エンバーミング(遺体の衛生保全)の仕事の研修をしていて、お金がありませんでした。短期間で面白そうなゲームショーの仕事にバイト代も出ると聞いて、地下鉄の車内で当時持っていたガラケー(携帯電話)からオーディションの申し込みをクリックした。それがすべての始まりでした。
── 有名になりたいという気持ちはなかったのですか。
壇蜜 ゲームショーに出ただけで、30万円ぐらいのお金を頂きました。歌の練習をしましたし、拘束時間も長かったので、今思えば割に合わなかったのですが、当時の私にとっては、オーディションで選ばれたことや謝礼をもらったことで「魔が差した」のかもしれません。キャバクラの体験入店に応募した方が、お金にはなったはずですが……。
── テレビ番組の出演をきっかけに社会現象になるほどの人気者になりました。どのような心境でしたか。
壇蜜 当時は、私なんかより「食べるラー油」の方がはやっていませんでしたか? 私は名前もないグラビアアイドルとして売り出され、それまで芸能界は聞いたこともないような世界でした。いろいろな人たちが知恵を絞って、私を露出させていくというゲームなんだろうなと思っていました。そして、いつか終わるのだろうなと思っていました。
── 自身の予想に反して、10年以上も活動が続いていますね。
壇蜜 ゲームの機種が変わっただけではないでしょうか。ゲームの中に自分もコマとして、入り込めてはいるのだなと思っています。10年を振り返ると、チームとして動かないといけない仕事だということに気づかされました。タレントとして華やかに見せることは、実は後ろで支えてくれる人がいないと絶対にできないことです。私を支えるチームのメンバーがいてくれることが、貴重でありがたいことだと感じています。
── タレントや俳優業だけでなく、エッセイストとしても活躍しています。
壇蜜 マネジャーが仕事を持ってくるからです。自分から「やりたい」と言ったことはないはずなんですけど。自分では、テレビやラジオに出演している方に、お話を聞けるような仕事もしてみたいなという欲望はあります。
── 書籍も出していて、日常をつづった「壇蜜日記」は特に人気ですね。
壇蜜 日記は(お笑い芸人、俳優の)板尾創路さんも出版していますし、時代をさかのぼれば『アンネの日記』や『更級日記』もあります。日記文学ははやらないのかもしれませんが、長い歴史と読者の支持があり、そこに魅力を感じています。自分も毎日、ネット上でブログを書いています。日記文学に携わってもよいならば、前のめりになりたいです。できる限り、続けたいです。
ブログ執筆は日常の一つ
── タレント活動の合間に毎日更新するのは大変ではないですか。
壇蜜 ブログを書く行為も日常の一つになっています。苦労することはありますけど、大変ではありません。歯磨き粉がなかなか出てこないとか、お風呂のお湯が少しぬるいとか、日常で行き詰まることはたくさんあります。ブログがうまく書けない日も、そんな中の一つなのです。
── 毎日新聞で「話題の本」のコーナーも担当しています。
壇蜜 私の担当は「話題の本」のいわば“箸休め”コーナーです。紙面に登場する先生方は難しい本を紹介されていますので、私はマンガを紹介するようにしています。新聞にも四コママンガが掲載されていますよね。ページに目をとめてほしいという気持ちです。そのため、マンガでも難しい作品は取り上げないようにしています。ついつい好きな作品を紹介して済ますこともあります。
── マンガもたくさん読むのですか。
壇蜜 マンガの方が好きです。絵から感情が伝わってくるところに魅力を感じることもありますし、逆に全く感情が伝わらない、冷たいと思いながらも結局読んでしまう作品もあります。活字よりもマンガの方が作者との距離がとても近い気がします。だから、くぎ付けになってしまうんでしょうね。
生きるのが下手なんです
── 19年に漫画家の清野とおるさんと結婚しました。
壇蜜 お恥ずかしながら。もともとある新聞で連載していた相談コーナーで「一人暮らしをしたいけど勇気がでない」と悩んでいる人に、清野さんの作品を薦めたことが、彼のことを意識するようになったきっかけです。
彼の作品を読んでいた時に、その悩みへの回答の依頼があったので、「こんなに一人暮らしを楽しんでいる人がいるんだよ」と提示できたことに運命を感じました。実際に会ってみて意気投合し、結婚できて本当にうれしいです。
── 壇蜜さんの日記にもたびたび清野さんが登場しますね。
壇蜜 東京・赤羽に作業場のマンションがあるので、週の半分はそこで寝泊まりしています。私の家でも、できる作業はやると決めているので、週の半分ずつを行ったり来たりしています。
── 日常生活で変化したことはありますか。
壇蜜 男の人の靴下は、どうしてあんなに毛玉がつくのでしょうか? うちの毛玉取り器がかつてないほど活躍しています。電池が減るペースがとても速いです。人と暮らすというのはそういうことなのかなと感じています。
── この1年間はコロナ禍で日本全体が大変な状況でした。どのように過ごしていましたか。
壇蜜 テレビのニュースをつければ感染症の話題、新聞を読めばさまざまな不祥事が報じられていました。気がめいる日も確かにありました。逃げてはいけないのですが、正気を保つために逃げる時間も必要で、時間に対してルーズになってしまった自分がいました。
だらだらとプールで泳いでしまったり、マンガを読んでしまったり、ぼーっとしてしまったりと。元から少しルーズなところがあるので、それが特に出てしまった1年だったかなと思います。
── 今40歳です。今後、挑戦したい仕事はありますか。
壇蜜 仕事のことはマネジャーと2人でなんとなく決めてはいますが、今後はどうなるかわかりません。あまり気にはしないようにしています。年は取るので、仕事をきちんとこなせるように、心と体をしっかり作っていくことが私の役目だと思っています。
とにかくアクシデントが起きないようにしたいです。例えば、自転車に乗る時には一時停止を心がけたいですね。私はすぐに(自転車で)ひっくり返ってしまうんです。基本的に生きるのが下手なんですね。「自分は人より能力が劣っているんだぞ」と言い聞かせながら過ごしています。
●プロフィール●
壇蜜(だんみつ)
1980年12月、秋田県生まれ。昭和女子大卒。工場勤務などを経て、2010年にグラビアアイドルとしてデビュー。TBS「サンデージャポン」の出演を機に注目を集める。映画やエッセーにも活動の場を広げ、14年に映画「甘い鞭」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。著書に『壇蜜日記』『三十路女は分が悪い』など。毎日新聞書評欄「話題の本」も担当。19年に漫画家の清野とおるさんと結婚した。本名は清野支靜加。40歳。