ブラック・チェンバー・ミュージック 阿部和重、注目の最新作!〈サンデー毎日〉
初監督作品公開直前に逮捕され人生を棒に振った男が、突然現れた北朝鮮の女密使と共に「国家機密」の論文を探す――。一見、奇想天外なストーリー、しかし背景にはリアルな国際情勢が並走し、フィクションから〈今〉を浮かび上がらせる。そんな話題作を発表し続ける作家・阿部和重さんの最新長編『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版)は怒涛(どとう)のラブストーリー。創作の舞台裏を聞いた。
――『ブラック・チェンバー・ミュージック』は2019年8月~20年12月『毎日新聞』に連載されましたが、18年6月の米朝首脳会談が起点となっています。この歴史的な会談を中心に据えたのはどういう理由からですか。
阿部 デビュー作『アメリカの夜』で「特別な存在」とは何かを考えることから自分の小説は始まっています。その後も天皇制を主題とした作品があり、ここ十数年は国際情勢を題材に、国家元首や首脳が登場する短編や長編を書いてきました。その流れで、史上初の米朝首脳会談を小説にしたいと強く思いました。せっかくの新聞連載なので現実のニュースが載る紙面で、現在進行中の国際情勢を題材にしたフィクションを組み立てるという難易度の高い試みに挑んでみたかったんです。
――実際やってみて、苦労した点は何ですか。
阿部 アメリカについては前作『Orga(ni)sm オーガ(ニ)ズム』などを通して書いてきましたが、日本人の立場で北朝鮮を書くのは難しい。
国家間で見ると、体制が異なるだけでなく、日本は朝鮮半島を侵略統治した加害者である半面、拉致被害者を抱えている。国内では、在日コリアンに対する差別問題が解消されずに続いている歴史があるわけですが、情報化社会によってさらにそれらが悪いかたちで浮上している。そうした問題を踏まえてどう小説を書くべきか、時間をかけて考えました。
――デリケートな部分がありますね。
阿部 北朝鮮から来た女密使、ヒロインの〝ハナコ〟をどう描くかも神経を使いました。開き直るわけではないのですが、フィクションで人間を書く上で紋切り型は避けられません。それなら最初から類型的キャラクターとして書き、先入観や固定観念は接触や対話で反転し得るのだと、小説の構造で示そうと考えました。
――紋切り型をいったん受け入れて、反転の機会をうかがうというのは阿部さんがずっとやってこられたことですね。前作からより現実の政治世界と並走するようになり、その連続性とともに本作の大きなポイントは主人公ではないでしょうか。横口健二というまったくさえない映画監督ですが、重大な使命を負います。
阿部 首脳会談があり、北朝鮮と韓国の情報機関の女性二人のやりとりがあり、政治的歴史的背景とともにドラマが展開していきますが、舞台は日本です。複雑に絡み合う問題が小説の中で単純化されてしまう中で、横口健二は日本そのものだとも言えるかもしれません。現実の国際情勢で、日本ができることってこのくらいしかないじゃないのというのを意図した面もあります。
――なるほど。だめかもしれないけど頑張っている。名前は、映画監督の溝口健二からですね?
阿部 『キャプテンサンダーボルト』でご一緒した伊坂幸太郎さんのやり方を参考にしています。伊坂さんは名前や記号でキャラクターの特徴を伝えるのがお上手なんです。
――阿部さんの小説の重要なテーマに「映画」もあります。今回もある映画論文を探すというミッションなわけですが、溝口健二ではなくヒッチコック論なのはなぜですか。
阿部 金正日(キム・ジョンイル)が映画好きというのは知られたことで本も出ています。僕が北朝鮮を書くなら糸口はこれしかないと。実はこのヒッチコック論は僕自身がデビュー以前に書いたものなんですが。
――そうなんですか!
阿部 1993年の1月に書き上げたものです。原稿用紙80枚ほどあります。当時は文筆業ですらないフリーターで、小説やシナリオや映画評論など好きに書いてどれか受賞すればいいなと。たまたま群像新人賞をいただき小説を書くことになりましたが、いつか小説で使おうと温存していました。この度全文を『文學界』9月号に掲載してもらうことになりました。
ロマンチックスリラー目指した
――すごい話ですね。四半世紀以上たってついに陽の目をみた。本作には他にもヒッチコック的な要素がふんだんに取り込まれていますよね。
阿部 そうですね。ジャンルとしてはロマンチックスリラーを目指したかった。題材は国際情勢ですが、形式においてはヒッチコックの映画をどう小説化するかが大きな課題でした。ヒッチコック映画とつながっているような場面もあるので、それを探していただくのも一つの楽しみ方かもしれません。
――ラブストーリーとして魅力的だなと思ったのは、横口がすぐにハナコに惹(ひ)かれていくのに、ハナコが彼をどう思っているのか全然わからない。それがある時、ほぼ伏線なしで二人の関係がいきなり変化する。この唐突さもラブストーリーという紋切り型への処方箋かと思ったのですが。
阿部 二人の距離感は、北朝鮮からやって来た人物を書くことの難しさの反映とも考えられます。小説が伝えられるリアリティーは結局、そこにしかないのかもしれません。
――次の作品の準備は始まっていますか。
阿部 前作で神町シリーズは完結しましたが、あれは同時に新たなユニバースの始まりになっている。連続する話ではありませんが、本作もその試みの一つです。佐々木さんが編集長をしている『ことばと』創刊号に載せていただいた短編「Hunters And Collectors」も関連作で、これにつながる長編小説を次回作として準備しています。
――本作から始まる小説と現実政治との並走がさらに展開されていきそうですね。楽しみにしています。
阿部 ありがとうございます。
(聞き手・佐々木敦)
(構成/毎日新聞出版・柳悠美)
あべ・かずしげ
1968年、山形県生まれ。「アメリカの夜」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。『無情の世界』で野間文芸新人賞、『シンセミア』で伊藤整文学賞と毎日出版文化賞を受賞、『グランド・フィナーレ』で芥川賞、『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『インディヴィジュアル・プロジェクション』『ニッポニアニッポン』『ミステリアスセッティング』『クエーサーと13番目の柱』『Deluxe Edition』『映画覚書vol.1』『キャプテンサンダーボルト』(伊坂幸太郎との共著)、『ABC〈阿部和重初期作品集〉』『□ しかく』『Orga(ni)sm オーガ(ニ)ズム』など
ささき・あつし
1964年、名古屋市生まれ。思考家。HEADZ主宰。文学ムック『ことばと』編集長。著書に『筒井康隆入門』『絶体絶命文芸時評』『あなたは今、この文章を読んでいる。』など