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専門家を使い捨てにする菅官邸の暴走 加藤陽子・東大教授が学術会議問題とコロナ対策を斬る〈サンデー毎日〉

『この国のかたちを見つめ直す』表紙
『この国のかたちを見つめ直す』表紙

 『この国のかたちを見つめ直す』出版

 日本近現代史の研究者、加藤陽子東京大教授が、『この国のかたちを見つめ直す』(毎日新聞出版)を出した。加藤さんは、昨年、菅義偉首相に日本学術会議の新会員任命を拒否された一人。学術会議問題に表れた現代日本の課題を、歴史を鏡に鋭く突いている。

――本書は、2010年以降、『毎日新聞』に書かれたエッセーや書評などを収めています。「この国のかたち」といえば、小説家、司馬遼太郎のコラムのタイトルを連想しますが。

 このタイトルには二つ意味があり、菅義偉首相が私を含む6人の日本学術会議の新会員任命を拒否した問題にも絡みます。まず、司馬さんは、コラムで、合理的な明治と統帥権の法解釈が暴走した昭和戦前期という対比で後者を問題視した。私は、この理解に批判的な論考を書いています。

 また、政府の行政改革会議は1997年、最終報告で「この国のかたち」という言葉を司馬さんから借用しています。最終報告は、行革で「自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄」を作るとした。実際は、行革の延長線上で内閣人事局の官僚支配などが進み、官邸の暴走が止まりません。

――学術会議問題も官邸の暴走というわけですね。

 政府と学術会議のやりとりには、集団的自衛権の解釈変更や検察庁法問題同様に、忖度(そんたく)を用いた権力の行使がありました。2017年の新会員任命の際、学術会議側は政府との事前協議で、必要な新会員数より6人多い111人の名前を出した。政府が任命しない人を選ぶ余地を、裏でこっそり用意した。今回はこれをやらなかったから、私たちは任命を拒否されたのでしょう。杉田和博官房副長官らにとって拒否する人は誰でもよく、「次回は6人多い名簿を持ってこい」と示唆さえできればよかった。これが権力の怖さです。直接の指示は必要なく、忖度させられたら十分、と。

 他方、私は最近、学術会議の件と新型コロナウイルス対策での政府の動きとを絡めて考える人が結構いるのに注目しています。「政府は都合がよいときだけ専門家を使う。この姿勢の始まりは学術会議問題だ」と。行革由来の問題が、ますますはっきり認識されるようになってきた。

 話は変わりますが、今は、「トランスサイエンス」が求められる時代です。「原発をどうするか」といった、専門家だけでは答えの出しにくい問いこそ、「分野を横断し、市民も交えて議論すべき」となってきています。

――トランスサイエンスの発想は、学術会議の必要性ともつながりますよね。 そのとおり。原子力や遺伝子工学など、地球や人類の将来に影響を及ぼす研究を考える際は、たとえば生物誕生やギリシャ悲劇における人間の本質といった他分野の知見が重要です。学術会議は、こうした問題でさまざまな分野の研究者が答えを出す共同体なのです。

 菅義偉首相や彼の依拠する識者らの弱点は、これでしょう。知見の幅が限られていて、適切な助言を得られないで失敗する。

――7月の某紙インタビューで、加藤さんが学術会議問題を「人前であまり語っていない印象」と記者に言われていて……。

 いや、確かに記者会見などには出ていませんが、問題の背景は本書に収めたエッセーで歴史と絡めて何回も論じていますよね。たとえば、戦艦大和は必要かどうか、公開でさまざまな人が議論したら造られないで済んだかもしれない。歴史の引用で、政府が今回いかに誤ったかを示してきました。

 長期的に信頼できる議論は何か

――任命を拒否された方で唯一、学術会議の特任連携会員就任などの代替措置を断りました。

 今回の経緯を歴史に刻む意味で、突っ張って「実」より「名」をとる人間がいていいと判断しました。

 それにしても、学術会議への批判は、単純なうそばかりでした。「左翼だ」「既得権益を持っている」「上級国民」等々と言えば、反発が広まると考えたのでしょう。戦前の天皇機関説問題を連想しました。美濃部達吉が反論するほど反発され、リベラルな知識人さえ「帝大教授は特権階級だ」などと思ってしまった。

 ただし今回は、各紙の世論調査で6割方が任命拒否の理由を「菅首相は説明不足」としました。私の手元にも、応援の手紙が批判より圧倒的に多いですね。

――風向きが変わった?

 そう思います。先日インターネット掲示板で、政権幹部らの発言を嗤(わら)う大喜利が傑作でした。「コロナに打ち勝った証しとして帰省する」。まるで幕末の落書きです。権力側が何か言うと批判されるかわからなくなっている証左でもある。

――学術会議関連以外の本書の読みどころは?

 歴史認識やコロナ禍など主張に幅がある問題について、何が長期的に信頼できる議論かを考えたい方に、ぜひお読みいただきたいです。1本約2000字程度ですから、通勤電車に1駅と少し乗る間で読めます。短い議論の切り取り方を学ぶ実用書にもなるのでは。時代への危機意識で読んだ本を多数引用しており、読書案内にもなります。

――タイトルの「見つめ直す」が印象的です。

 私は、新聞の首相動静欄などをじっくり見てしまうたちでして……。権力者の思考を理解したいから、見逃さない。日米開戦の前、両国は共に迷いながら抑止に失敗していった。相手の一挙手一投足を見誤ってはならない。相手を文字通り見捨てないから、変わってほしいから見続ける、何度でも見つめ直すのです。

――最後に、日本の今後をどうお考えですか?

 積み重なった問題を帳尻合わせだけで済ませてきたが、そろそろ堕(お)ちるところまで堕ちるのではないでしょうか。東京都の一日の新型コロナ感染者数は5000人を超え、「中等症患者の自宅療養」という国民を見捨てる方針まで出ました。既に一人あたりGDP(国内総生産)は韓国に負け、技術力でも世界最先端と言いがたい。底の底からやり直すしかないでしょう。

 本書で日本人について、(「仁義なき戦い」の脚本家)笠原和夫の「アナーキーなことをやっていると生き生きとしてくる」、第一次大戦時のウィルソン米大統領の「たいへん巧妙」という言葉を引用しました。「美しい国」とは違う、日本人の利点をよみがえらせる作業は、これからです。希望は、まだ残っています。

(構成/毎日新聞・鈴木英生)

かとう・ようこ

 東京大大学院人文社会系研究科教授(日本近現代史)。1960年、埼玉県生まれ。山梨大助教授、スタンフォード大フーバー研究所訪問研究員などを経て2009年から現職。著書に『天皇と軍隊の近代史』『戦争まで』『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』など

「サンデー毎日8月29日号」表紙
「サンデー毎日8月29日号」表紙

 8月17日発売の「サンデー毎日8月29日号」は、他にも「『菅政権、倒します』蓮舫+田村智子が無能・無責任のポンコツ政治を徹底総括」「デルタ株最新知識 都内で2万人超!自宅療養者の危機」「『令和の皇室』特別座談会(前編)」などの記事も掲載しています。

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