「ドライブ・マイ・カー」カンヌ4冠 濱口竜介監督 村上春樹さんの原作の大きさを感じた〈サンデー毎日〉
村上春樹の短編小説を映画化した西島秀俊主演の「ドライブ・マイ・カー」がコロナ禍の下で大ヒット公開中だ。同作は7月のカンヌ国際映画祭で日本人として史上初となる脚本賞(大江崇允(たかまさ)と共同)など4冠を達成。濱口竜介監督が、短編小説が約3時間の長編となった理由などを明かした。
「ドライブ・マイ・カー」は短編集の同名作をベースに「シェエラザード」「木野」からもインスパイアを受け、179分の大長編に紡いだ。3月のベルリン国際映画祭でも受賞しており、三大映画祭の二つで栄冠に輝いた。
「名前を呼ばれた時に考えたのは、スピーチの内容ですね(笑)。脚本は映画には映ってないので、どうやってキャスト、スタッフを讃(たた)えようか考えました」 脚本賞はオリジナル作品に贈られることがほとんどで、原作ものの受賞は異例。映画オリジナルへの評価が大きかったのだろう。
「もちろん自分で構築した部分はありますが、いろんな取材に受け答えしていくうちに感じたのは、原作の力の大きさです。普段自分がやれないようなレベルまで物語の大きさ、世界観の大きさが引っ張ってくれた感じがします」
原作は妻を失った俳優・家福(かふく)(西島秀俊)が若い女性の運転手(三浦透子)らと出会い、再び希望を見いだすストーリー。主人公がわずかな人との出会いを通じて、自身の内面を掘り下げていく。この短い物語のどこに魅力を感じたのか。
「自分が描きたくなるような登場人物たちでした。あまり余計なことは言わない。できるだけ本当のことを言おうとする人たちです。でも、言えないことはあるわけで、それが人との関係性の中でほどけ、キャラクターが短編の外側に向かって生きていく」
ただ、原作を映画的と思ったわけではないという。
「何年かに1回、そういうサイクルがあるんですけど、自分が持っている映画観に当てはめて作るのではなくてもいいかと思いました。一個一個のモチーフは映画的であっても、最終的にどういうものになるのかわからない。そんなワクワクが並んでいました」 濱口監督は42歳。東京藝術大大学院映像研究科出身。国際映画祭での数々の受賞歴があるが、商業映画デビューは遅く、柴崎友香(ともか)原作、東出昌大(まさひろ)主演の「寝ても覚めても」(2018年)に続く2作目となる。
村上文学は20代前半から読み始めて、『海辺のカフカ』(02年)でリアルタイムに追いついた。一番好きなのは『ねじまき鳥クロニクル』(1994~95年)。
「小説も好きですが、創作論、仕事論が面白いと思いました。村上さんはある種、無意識的に書いているようなことを書かれていますが、自分もできるだけ意図的なものから離れて、演技や撮影を構築していこうとしています」
映画では、内的なリアリティーが豊かな小説らしい世界観を、主人公の内面の広がり、外とのつながり、空間の移動に置き換え、映画ならではの表現を見せる。特に、映画内演劇という仕掛けが見事だ。
「一番大きな役割を果たしたのは原作に出てくる(チェーホフ作の戯曲)『ワーニャ伯父さん』のせりふでした。このチョイスが完璧で、家福の心情とつながったものとして読める。彼がこのせりふを口にするだけで彼の内面をモノローグ的ではないやり方で観客に想像させ、観客は迷子になることなく見続けることができる。そういうことを全部やると、3時間かかりました」
脚本は濱口監督が執筆し、大江氏、プロデューサーの山本晃久氏、監督補の渡辺直樹氏からフィードバックをもらい、整理していった。ワークショップに参加した演技未経験の女性4人を主演に起用した5時間17分の「ハッピーアワー」(2015年)がロカルノ国際映画祭などで主要賞を受賞した実績もあり、観客を飽きさせないことにたけていた。 映画には、さまざまな〝加筆〟があるが、大きく変更したのは、もう一つの主役である車だ。原作の黄色い「サーブ900」コンバーチブルを、真っ赤なサンルーフタイプにした。
「オープンカーでは風の音が入ってしまうので、会話を録(と)ることができないので、屋根付きにしようってことになったんです。黄色は緑と近い色だったので、風景の中に埋まりやすくなるけど、赤なら際立つ。ただ、これは後付けみたいなところもあって、劇用車担当の方が、ご自身の真っ赤なサーブでやってきたんですが、それがものすごくかっこよく見えたんです」
映画館が3時間の作品を助ける
映画では、こうした偶然がいくつか重なった。映画は昨年3月に東京パートを終えたところでコロナ感染拡大のため中断。当初予定していた韓国・釜山(プサン)での撮影を断念し、11月からロケ地を広島に置き換えて再開。この中断が演技にも、いい方向で作用した。
濱口監督は昨年、本作の準備を進める一方、コロナ禍で経営が危ぶまれた全国のミニシアターを救おうと「ミニシアター・エイド基金」の中心メンバーとして動き、クラウドファンディングで約3億円を集めた。
「多くの人が、何かをやらなくては本当にひどいことになってしまうという感覚を共有したんだと思います。その結果、映画館で映画を観る体験を失うべきではないと考えている人がこれだけいることが可視化された。映画館の人たちにちょっとした励みになったのと同時に、僕にとっても大きな励みになりました」 本作は全国のミニシアターでも上映される。
「この映画ほど映画館が助けてくれるものはないと思っています。3時間という長さで、役者さんを大きな画面で見つめられますし、彼らを包むような音響を味わえる。映画館で映画を観る体験を積み重ねることで、新たに映画を作る人も出てくるはずです」 コロナ禍では映画界も大きな影響を受けたが、どう捉えているのか。
「今までのやり方はしばらくできないと受け止めるべきだと思います。必然的にものすごく小さな製作態勢になっていきますが、それは悪いことじゃない。小さな生産ラインからどう組み替えて作っていくべきと思っています」
12月には、今年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)受賞した3編からなる短編集「偶然と想像」の公開が控えている。
(ジャーナリスト・平辻哲也)
濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
1978年12月16日、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大大学院映像研究科修了。商業映画デビュー作「寝ても覚めても」(18年)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。脚本を手掛けた「スパイの妻〈劇場版〉」(20年、黒沢清監督)はベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞。