監督インタビュー ジョニー・デップ製作/主演映画「MINAMATA」は風化しない〈サンデー毎日〉
その写真は深い陰影に満ち、人々の心の内をも映し出す力を持っている。米『ライフ』誌のメインページを何度も飾るなど、フォト・ジャーナリズムに大きな軌跡を残した写真家ユージン・スミスと、当時の妻アイリーン・美緒子・スミス。彼らが1975年に発表した写真集『MINAMATA』に収められた写真の数々は、水俣病の事実と悲惨さを世に知らしめる契機となった。
ユージン・スミスの写真集を題材にした映画「MINAMATA―ミナマタ―」が現在、公開中だ。製作・主演を務めたのは、ジョニー・デップ。その作品の監督に抜擢(ばってき)されたアンドリュー・レヴィタスさんに、取材を行った。映画の撮影前には熊本県水俣市を実際に訪れたという。
「今もなお被害者の訴訟が続く水俣の実情を知り、非常に複雑な感情を抱きました。そして同時に、過去と現在の水俣に何が起きているのか、その事実と本質をきちんと伝えなければという大変な責任とプレッシャーも感じたのです。その水俣では患者さんやご家族、介護者など多くの方と話をしました。誰もが自分たちの人生を映画で描くのを承諾してくださった。そして〝世界中の人々が私たちと同じ経験をしなくてすむように、二度と繰り返されないようにするために映画を撮ってください〟と仰(おっしゃ)ったのです。それを聞いて、何とヒロイックな言葉だろうと激しく感情を揺さぶられました。以前から私は環境問題に関心を持ってきましたが、人生でこれほどの使命感を持ったのは初めてでした」
物語の始まりは、71年のニューヨーク。ユージン・スミスは太平洋戦争で戦場カメラマンとして従軍し、砲弾を浴びた。その心身の傷によりアルコールと薬を手放せない日々が続いていた。かつての栄光が色褪(あ)せつつあった頃、ユージンは水俣の公害の実情を知り、妻アイリーンとともに3年間現地で暮らす。チッソ工場の工業廃水であるメチル水銀により神経系障害を患った人々の日常や抗議運動を、何百枚もの写真に収めた。
そのユージン・スミスに対しては、ジョニー・デップも、またレヴィタス監督も、以前から「憧れを抱いていた」という。実は監督自身も自ら写真を撮り、画家・彫刻家として活躍するアーティストであり、米では名高い。
「初めてユージンの写真に出会ったのは10代前半です。写真という一つのフレームの中に、希望や愛といった人間の最も美しい部分、反対に最も醜い悪の部分など深い人間性というのを抽出してみせる。だから誰もが写真の中に自分自身を投影できるのです。こういう写真はとても稀有(けう)で、水俣の写真に多くの人が心を揺り動かされるのも、それが理由でしょう」
気高さが滲むクライマックス
主演のジョニー・デップは、時に彼の印象が消え、ユージンそのものにしか見えない瞬間があるほど、魂の演技を見せている。「互いに意識を共有しながらこの作品を撮った」というレヴィタス監督はその演技について、賛辞を惜しまない。
「ジョニーは今までも素晴らしいキャリアを築いてきましたが、初めて完全に、自分自身を別のところに置いて演じることができた、と言ってもいいのではないかと思います。その演技を、本当に誇らしく感じます。そして不思議なことに、彼が演じるユージンの姿を通して、私たちは真のジョニーの姿というのを知る契機になったのではとも思うのです。愛情や思いやり、光や希望といった人間にとって最も大事なものを内包するユージンこそが、実は本当のジョニーに近い。今までは、彼が演じてきた強烈なキャラクターとか、時にスキャンダラスに報じられる有名人としてのイメージに誰もが縛られてきました。でも、実はそうではないのです」
映画のクライマックスは、ユージンの最高傑作の写真とされる「入浴する智子と母」の撮影シーンである。
母親の体内の水銀を胎盤から吸収することにより、智子さん(映画ではアキコ)は胎児性水俣病を発症した。だが、そのお陰で母親も、妹弟も健康が守られた。「この子は宝子」と呼ぶ母親と智子さんの入浴写真は、時に聖母マリアがキリストを抱く「ピエタ像」にも譬(たと)えられ、世界の注視を浴びてきた。しかし、あまりに水俣の象徴的写真となりすぎたゆえに、「これ以上、人々に晒(さら)され続けてほしくない」という家族の意向により、長いあいだ封印されてきた。今作ではその撮影シーンが再現されるとともに、23年ぶりにオリジナルプリントも公開されている。
「映画の製作前にご家族とお会いして、このシーンの撮影とオリジナルプリントを使用する許可をいただきました。それでも念のため風呂場でのシーンを入れないバージョンも編集したのです。今も水俣問題に尽力するアイリーンさんがご家族に映像を見せたところ、〝これで大丈夫です〟と言ってくださったと聞きました」
逆光の曇りガラス。そこから漏れる光が湯船の水面に揺らぎ、湯気が静謐(せいひつ)に立ち上る。家族の愛や生きる苦難と喜び、心の気高さが滲(にじ)むこのシーンは、ユージンの写真と同等の強度と美しさを持ち、見る者を惹(ひ)きつけてやまない。
リアリティーに徹しようという真摯(しんし)な姿勢は、映画全体に通底するものだ。水俣の街はセルビアとモンテネグロに再現されたが、日本人が見てもまったく違和感がない。その映像を強固なものにしたのは仏映画の巨匠ロベール・ブレッソン監督の弟子であるブノワ・ドゥローム撮影監督。そしてアイリーン役の美波、被害者救済運動のリーダー役の真田広之らの心の声を、音楽で表現する坂本龍一の楽曲も素晴らしい。
「全スタッフが100%以上の力を出してくれたこの作品は、僕にとっては贈り物としか言いようがありません。この映画により水俣の事実が多くの人の目と心に留まればと願っています。そして他の国や地域でも、今もなお産業公害にあっている人たちがいます。世界中の人々が自分たちも声を上げることにより、物事を変える力があるんだと気づく、試金石のような映画になれたとしたら本望です」
今も救済の闘いが続く水俣問題を決して風化させないために、米国人の彼らが製作してくれたこの映画に感謝を捧(ささ)げたい。
「MINAMATA―ミナマタ―」
出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信ほか 東京・TOHOシネマズ 日比谷ほか全国で公開中