揺らぐ皇室像の共有 10月26日・小室圭さんと新たな門出=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉
緊急連載・社会学的眞子さまウォッチング!/4
ついに、眞子さま(29)と小室圭さん(30)の結婚が宮内庁から正式発表された。今回の結婚に対する人びとの反応が多様なのは、大衆や国民を基盤とした天皇制が変容し、次の新しいフェーズに入ったからだ。それは、さまざまな価値観を持つバラバラな人たちが、皇室を自分の好きなように受け取る「断片化する天皇制」である。「国民」がひとつの皇室像を共有する時代は終わった。今回の事態は、〈国民統合をする天皇制〉の終わりを示す象徴的な出来事である。
加地隆治(かちたかはる)・皇嗣職大夫(こうししょくだいぶ)は10月1日、眞子さまと小室さんが10月26日、婚姻届を提出し、皇室離脱に伴う一時金(1億3725万円)は受け取らない――などと発表した。
同時に発表されたのは、眞子さまが複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたことである。眞子さま、そして同様に精神的に極めて不安定になっている小室さんの母親を追い詰めた週刊誌、ネット上で誹謗(ひぼう)を続ける人たちには落胆を禁じえない。
結婚が発表されても反対の声は止(や)まない。オンライン署名サイトChange.org(チェンジ・ドット・オーグ)では、皇室系ユーチューバーが、多くの国民は「破談一択」を望んでいるとして署名を集めている。眞子さまの病状が公表された後も、眞子さま、小室さん、その母親を中傷する人たちの気持ちが理解できない。
憲法は、天皇を日本国と日本国民統合の象徴であると定める。この国はかつて、天皇を中心に統合されるものであった。
今も、国民統合機能が重要だと考える人たちはいる。だが、もはや、天皇制は国民を統合しない。ひとつの皇室像を想定して、共有することは不可能になった。
今回の状況と比較のため、62年前、1959年の正田美智子さん(現・上皇后)と明仁皇太子(現・上皇)の結婚を見てみよう。
世紀の御成婚と呼ばれた2人の結び付きは、国民的祝賀を受けた。結婚パレードを見るために沿道に詰めかけた人は61万人であった。
美智子さま結婚でもあった反対論
だが、美智子さんへの揶揄(やゆ)や反対も存在した。それを記録する、ある右翼団体の機関紙「独立新報」を紹介しよう。文章は、御成婚に反対する理由を次のように書く。
「本人美智子は、本年己(すで)に二十六歳(筆者注・実際は当時24歳)の晩婚で今日迄(まで)に二十五回も見合をなし何(いず)れも男性側より拒絶され成立せず、しかもその理由が、何れも『あんな元気のいい強い女では嬶(かかあ)天下で亭主を尻の下へ敷き家の中を引っかきまわされ、将来が思いやられるから…』との事だったといはれて居る。其(そ)の中で一人、波多野氏だけは婚約が出来、相当深き関係まであり、今回の話が進行した為(た)め、昨年正田家より之を解消したとの事であるが、かかる婚約者があったとしたら、之(こ)れは全く身心の純潔を欠くもので到底、皇太子妃として、其の資格なき事は論ずるまでもなき事である」(『大右翼史』から引用。※原文ママ)
小室さんに対するのと同様な誹謗中傷が存在したことが分かる。美智子さんに婚約者があったという話は、当時、かなり広まったデマだ。国会で「波多野」の名を挙げて質問する自民党議員までいた(衆議院内閣委員会、1959年2月6日)。
4月10日の結婚式当日の午後0時40分、パレード通過が2時間後に迫った四谷見附で天皇制に反対の演説を始める人物がいた。警官が駆けつけて直ちに中止させられた(『警視庁事務年鑑』1959年版)。
有名なのは、午後2時37分、馬車列が皇居前広場を通り抜けたところで、19歳の浪人生の男性が、馬車めがけて駆け出し、こぶし大の石2個を投げつけた「投石少年」事件である。馬車列はこのあと、何事もなかったかのように進んだ。
農漁村でも、2人が自由意思で結婚したことに眉をひそめる人たちがいた。石川県森本町(現在は金沢市の一部)の「広報もりもと」(1959年1月号)では、6人が壮年座談会を開いた。このなかの男性2人は「驚いた。あまりにも若い者の利己主義に拍車をかけないか」「息子がどんな嫁を選んでもハイハイと言わねばならぬ」と否定的な意見を述べている。
こうした言動は国民的な祝賀のなかでかき消された。
国を挙げての「奉祝」のキーワードになったのは、「平民」と「恋愛」である。これは、19世紀中盤以降の近代が目指した平等と自由という二つの価値を具現化するものだ。皇族や旧華族でなく、「私たち」の代表である平民性、前近代的な家を背景にした封建的結婚から解放され自由になった恋愛――。人びとが御成婚を寿(ことほ)いだ理由である。
社会全体が平準化を進め、恋愛結婚を勧めた。家と家との結び付きの側面が強かった従来の結婚のあり方を民主化する必要を強調する言説は戦後、広がっていく。家を基盤とした結婚は否定されるべきで、自由意思によって、恋愛・結婚することが重要だと盛んに議論される。婦人運動家の神近市子(かみちかいちこ)は、恋愛が悪と考えられた戦前とは変わり、戦後は逆に恋愛なしの結婚こそ、いけないことになったと言い切った(『婦人生活』1947年9月号)。
近代とは、平準化と自由化という目標、さらにその先にある経済的な豊かさを実現しようとする時代である。人びとが、目標を共有できた。1964年の東京五輪、東海道新幹線開通、1970年の大阪万博……。封建的社会を脱し、恋愛し、結婚し、マイホームを建て、マイカーを持つ。産児制限によってほとんどのカップルは子供を2人に抑え、夏冬の休暇には、海水浴や登山、スキーなどのレジャーを楽しむ。典型的な日本人が想像できる社会であった。
「格差婚」は尊厳を損なうのか
小室さんは旧華族でもなければ、親類に学習院や皇族関係者もいない。その意味で言えば、「平民」である。さらに、眞子さまとは大学で出会って、恋に落ちた。恋愛結婚である。62年前は寿がれた平民性と恋愛が、今日、なぜ蔑(さげす)みと批判の対象となるのか。
それは、平等と自由という価値を実現したあとの時代、ポスト近代に突入したことが大きい。
平準化された社会は誰しも成功のチャンスがある。昭和の時代、国会議員や地方議員の多くは地元の名士だった。今も2世議員、3世議員が多いのは確かだが、そうでない人も選挙さえ通れば十分に可能性がある。ITベンチャーを起業したり、飲食店で一発当てれば、数年で経済的成功を収める可能性がある。平等で自由な社会だからこそ、なし得ることだ。
ところが、逆に、成り上がった人たちに怪しさ、胡散(うさん)臭さ、あるいは嫉妬を感じることがある。平等で自由な社会だからこそ、貴種性や「確かな出自」に価値があるとみなされる。米国でケネディ家の血脈が期待されたり、日本でも父親が首相だった、実績のない若手政治家が人気を集めるなどの例を挙げれば分かりやすいだろう。
平準化された社会では、小室さんの「平民性」は「怪しさ」を喚起する属性となる。皇室と釣り合いの取れない家柄だとみなされる。眞子さまとの恋愛もまた、貴種性がない者との「格差婚」によって、皇室の尊厳を損なうものと受け止められる。
結婚に批判的な人たちが、小室さんを「怪しく」感じるのは、小室さんの個人的なキャラクターや家族の問題など、個別な事情によるところがないわけではない。ただ、それ以上に、社会が平準化し、自由化した反動であると、私は考える。
突出したもの、目立つもの、何かを利用して成り上がるもの、説明がしづらい特権を持つもの、透明でないコネクションを使って利益を得たように見えるもの……。私たちは、そうしたものを、事あるごとに、その高みから引きずり下ろし、徹底的に叩(たた)き、葬りさろうとする。交通事故で過失を認めなかった90歳の元官僚が「上級国民」と刻印を押されたのがよい例である。
繰り返すが、美智子さまの御成婚の時代でも、反対はあった。正田家という非華族の家柄の「怪しさ」をいぶかしく思う人もいた。恋愛が、村社会の秩序を脅かすと感じる人もいた。しかし、それらは、「国民的」熱狂によって、ないものにされた。
一方、21世紀のこの国では、ひとつの皇室像は存在しえない。それぞれの人たちの、眞子さま観はバラバラである。
ネット社会のなかの天皇制という現象が顕在化したのは、2004年、眞子さまが初等科を卒業したころの「眞子様萌え」からだったように思う。
セーラー服姿の可愛らしい眞子さまに、赤い眼鏡や、耳の上でのショートの二つ結びの髪形など萌え要素が加えられた画像が拡散し、ネッ上で「かわいい!」という声が上がった。動画共有サイト「ニコニコ動画」には「ひれ伏せ平民どもっ!」というタイトルの動画まで作成された。皇室受容のサブカルチャー化が進みだしたのである。
皇室は文化の中心、「メイン」な位置にあったはずである。ところが、「サブ」のポジションで受容されるようになった。
「眞子様萌え」から13年後の2017年から始まった、同じ眞子さまが主役となる結婚騒動。新聞・テレビなど古いメディアが伝える皇室のあり方は、もはや国民を統合しきれない。国民からの広い支持を基盤とする天皇制(松下圭一はこれを「大衆天皇制」と呼んだ)は終焉(しゅうえん)したのである。
眞子さまの結婚を機に明確化したのは「断片化する天皇制」「偏在する天皇制」の本格始動である。
秋篠宮さまは、2018年の記者会見で「多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況をつくる」ことを求めた。しかし、「多くの人」、すなわち国民の大多数が、皇室の営みを奉祝する社会は、すでに過去のものだ。
経済政策のあり方も新型コロナ対策も、あらゆる社会的課題に解答は見つからない。私たちは答えのない時代を生きている。
そのような時代の天皇制は社会の統合ではなく、その分断を顕在化させる象徴になっている。眞子さま騒動が示したものは、統合しえない日本、分断される日本である。
眞子さまを追い詰めたメディア
最後になるが、眞子さまの病気について一言言わせていただきたい。
宮内庁の発表によれば、眞子さまと小室さん、その母親への中傷が長期間反復され、人間としての尊厳が踏みにじられる状態が続き、平穏で幸福な生活を送りたいという願いが不可能になってしまう恐怖を眞子さまは感じているという。人生を壊されるという恐怖が持続し、些細(ささい)な刺激で強い脅威を感じるとも説明された。
眞子さまもひとりの人間である。眞子さま、そして同じく精神的に参っている小室さんの母親を追い詰めた人たちのなかには、なお、「仮病だ」とか、「こういうときによくある手法」と誹謗を続ける人たちがいる。私自身の個人的な気持ちを前面に出すのは憚(はばか)られるが、正直、残念でならない。
8月中旬、私は『サンデー毎日』の坂巻士朗編集長に電話を掛けた。
「眞子さまをめぐる言論状況がひどい。眞子さまや小室さんを強く擁護する言論人もいない。誰もやらないから、私がやることにした。連載をやらせてほしい」と伝えた。坂巻さんは快諾してくれた。8月末の段階で、結婚を擁護する言説はほとんどなかった。
記者として、研究者として、私は、取材・調査対象と距離を取ってきた。宮内庁にも厳しめのスタンスであった。眞子さまの結婚問題について、発言したのはこれまでわずかであった。
それを転換して、眞子さま、小室さんを公然と応援することは、変節と見られる可能性もある。「それでもよい。今のままの日本はおかしいから、世論を変えるつもりで、記者人生、研究者人生を懸けるつもりで書かせてもらう」と坂巻さんに伝えた。言うからには、集中的に、できるだけ大量の意見を多くのメディアを使って言うことにした。
ネット世論もひどいと感じたが、それを煽(あお)ったのはワイドショーや週刊誌などのマスメディアである。
推測を事実のように書き、それをもとに小室さんや母親を糾弾する手法は報道倫理から外れている。
眞子さまを追い詰めたメディアの責任は大きい。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年、埼玉県生まれ。博士(文学)。毎日新聞で皇室や警視庁担当、CNN日本語サイト編集長、琉球新報ワシントン駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)など