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秋篠宮さま記者会見に思う「誤報」への反論より対話を 緊急連載・社会学的皇室ウォッチング!/13=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉

眞子さんを見送る秋篠宮ご一家
眞子さんを見送る秋篠宮ご一家

 皇室のあり方「私より公」ではなく「公も私も」

 眞子さん(30)の結婚をめぐる報道について、秋篠宮さま(56)は誕生日(11月30日)の記者会見で、「創作」「作り話」もあったと指摘した。間違った記事に対し、反論するときの基準の必要性にも言及した。たしかに反論も重要だろう。だが、より大切なのは、対話と発信ではないだろうか。

 秋篠宮さまは、週刊誌に「自分でも驚くことが書かれていることがある」と述べた。その例のひとつだと、私に思えるのは『女性セブン』(2021年11月4日号)である。「小室圭さん『落胆と失望と涙』3年ぶり再会の修羅場」という記事があった。10月18日、小室圭さん(30)が赤坂御用地を訪れた際の模様を、見てきたように描いた。 記事によると、小室さんは「眞子さまのことは必ず幸せにします」と秋篠宮ご夫妻に述べ、金銭トラブル対応方針も説明した。この際、紀子さまはこらえきれなかった、とこの記事は描写する。見出しには「紀子さまの嗚咽(おえつ)」とあった。さらに、「小室さんの顔を見て、(紀子さまは)こみ上げるものがあった」との宮内庁関係者の証言を伝えている。これが「独占内幕詳報」として伝えられた。

 この場面について、秋篠宮さまは記者会見で「面会していた時間が20分位でしたので、何か印象に残ることというのは特に私にはありませんでした。ごく普通の会話をいたしました」と説明した。

『女性セブン』と秋篠宮さまのどちらかがウソを言っている。眞子さんを温かく見送ったご一家の様子から考えて、「修羅場」があったとは私には思えない。当事者としての秋篠宮さまの言葉を、私は素直に信じる。皇室は、この手の「物語」を書かれ放題である。

「眞子さま問題」が議論になって以来の4年間、宮内庁が記事に反論したのは3回のみ。それも美智子さまが絡んだときだけだ。何を書かれても、基本的に反論も抗議もしないのが宮内庁の常態となっている。

 「反論」は明治時代からある

 歴史的に見ると、宮内庁が報道に反論や抗議をするのは珍しくはない。明治期の条約改正に関し外国人判事を登用する問題について、『東京朝日新聞』は1889年7月26日、明治天皇が「帝国憲法に抵触するのでは」と尋ねたと報じた。宮内省は事実に相違すると指摘し、記事は取り消された。

 週刊誌が本格的に流通する戦後、とくに1960年代以降はたびたび問題が起きている。講談社が発行した『ヤングレディ』(66年12月12日号)は、昭和天皇の三女の鷹司和子(たかつかさかずこ)さん(称号・孝宮(たかのみや))が、バーのママとマンションで夫が一酸化炭素中毒死した問題に絡み、「夫を偲(しの)んで京都の門跡に」との記事を掲載した。これに対し、宮内庁は事実無根と厳重に抗議した。

 1993年には、いわゆる美智子さまバッシングがあり、報道への対応が遅れた反省から、宮内庁は94年6月、報道室を設置した。2007年以降は、メディアに抗議する際には、宮内庁ホームページにその内容を掲載するようになった。

 間違った記事に対して、その時代ごとの「基準」で反論することは以前から行われているのである。

 記者クラブは、戦時期のまま

 皇室のメディア対策は、すなわち、新聞対策であった。1942年、戦時期のメディア統制で宮内省の記者クラブ(宮内記者会)には主要新聞・通信7社しか加盟できなくなった(朝日新聞、毎日新聞、読売報知新聞、東京新聞、日本産業経済新聞、中部日本新聞、同盟通信)。このとき、常勤記者の上限枠が各社4人となった。加盟社と記者を絞り、情報を統制しようとしたのである。

 実は、4人の縛りは、現在も当時のままだ。基本的に宮内記者会は、昔も今も、一社につき4人の記者しか活動できない。21世紀になった今日、80年前の戦時体制を引きずっている。

 伝統的に宮内庁は、統制された宮内記者会の記者に、情報を発信してもらえばよかったのである。

 その後、週刊誌が出現したので、1960年代から雑誌側が便宜供与を受ける際のルール作りを進め、宮内庁と日本雑誌協会が懇談する機会もあった。しかし、宮内庁と雑誌メディアの関係は21世紀に入り、前例に沿うだけの形式的なものとなった。一方的に抗議しても、実効性はなく、最近では抗議することも少なくなった。

 現状、皇室報道には、新興のネットメディアも参入し、皇室記事の数は20年前、10年前に比較すると激増している。しかし、宮内庁は、ネット上でどのような言説が流通しているのかさえ正確には把握していない。

 「眞子さま」を何も知らない

 反論とは、報道がなされたあとの「受け身」の対応である。私はそれ以前に、宮内庁は「攻め」の発信をしているのかを問いたい。

 例えば、過去、肉声で眞子さんの考えが直接聞けたのは、▽2011年10月に20歳になったとき▽17年9月に小室さんとの婚約が内定したとき▽今回の結婚の際――の3回の記者会見だけである。眞子さんの印象は、映像などで形成されたものがほとんどで、彼女のキャラクターや人生観など、私たちは実は何も知らない。

 眞子さんは英国で修士論文として「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」を書いた。19世紀のチェコのガラス工芸家が作った模型を題材に、展示方法を論じた論文だ。しかし、眞子さんがどのようなモチーフで研究に取り組み、日本での博士課程でどう進化させたかなど、彼女個人の思いは何も知らされていない。

 これは宮内庁の発信が昔ながらだからである。

 2019年10月、眞子さんが28歳になったとき、宮内庁は「全国都市緑化祭や国体閉会式など秋篠宮ご夫妻から引き継いだ公務を担い、関係者との交流に努められた。日本人移住120周年にあたり、ペルーとボリビアを公式訪問するなど国際親善にも励まれた」と説明した。定型的で、味気ない内容だ。何も伝わってこない。

 皇室が「公」であろう、「公平」「公正」であろうとすれば、何色でもない無色の存在でなければならなくなる。天皇・皇族に「無私」であれと求めることは、個性やキャラを捨てろと言うに等しい。

 私は、世間の風潮とは逆に、皇族たちはもっと「私」を押し出すべきだと考えている。

 上皇さまは、在位時代、国内外を旅し、多くの人の声に耳を傾けた。天皇として公に尽くしたのは間違いない。ただ、中国、サイパン、沖縄などへの旅は、上皇さまの個人的な思いがかなり含まれていた。私的な思いをもとに、具体的な要求をする上皇さまに対し、「無理な注文」「わがまま」と批評する宮内庁幹部がいたのも事実だ。

 秋篠宮紀子さま(55)は9月11日の誕生日に公開された映像のなかで、『新型コロナウイルス ナースたちの現場レポート』(日本看護協会出版会編集部編)のページをめくっていた。看護師162人が医療従事者としての使命感などをしたためた報告書である。紀子さまを先頭に、秋篠宮家は医療用ガウンを手づくりし、現場に届けていた。しかし、そこに懸けた紀子さまの個人的な思いが前面に出ることはない。

 当たり障りのない「公」だけがアピールされ、「私」的な思いは隠される。無色であることはたしかに崇高だ。しかし、受け止める人が勝手に色を付ける危険性がある。皇室はそれぞれの私性(わたくしせい)、個別性を大切にし、その「資源」を生かすべきなのだ。

 苦悩も晒すデンマーク王室

 参考になるのはデンマーク王室の取り組みである。フレデリック皇太子(53)は、東日本大震災の直後(2011年6月14日)、宮城県東松島市を訪問し、「被災地の子供たちのために」と企業から集めた義援金を贈ったことで知られる。

 フレデリック皇太子は3年前、50歳を迎えるのを機に、テレビ局による国内外での長期密着取材を許した。

 オーストラリア出身の妃(きさき)および当時13歳から7歳の子供4人との生活、キャンプ中に自然の偉大さを子供たちに教える様子、1歳年下の弟宮との確執、ノブレス・オブリージュ(王族の義務)として軍特殊部隊をあえて志願したときの思い、ノルディックスキーで過酷な150㌔の北極圏レースに挑戦する姿……。自然体の皇太子一家が撮影された。

 印象的なのは、中学生のとき、友人たちが『キャリアの選択』という書籍を人生計画の参考にしていたエピソードである。だが、国王になることを義務付けられていた皇太子は「私には役立ちませんでした」と述べた。王族に生まれた苦悩が赤裸々に語られた。

 日本の皇室は、理想的な姿しか見せないできた。このことが、天皇・皇族も生身の人間であることを忘れさせ、皇室への過剰な期待を招いた側面がある。

 無色の皇室の時代の終わり

 ありのままの本当の姿によって、人びとの共感が広がる。反発を招くこともあるだろう。それでも、社会とのコミュニケーションを重ね、少しでも、理解を広げていくしかない。皇室が無色の存在として、「国民」全体にいい顔を見せる時代は終わっている。

 秋篠宮さまは、間違った記事にも「非常に傾聴すべき意見」が載っていることがあり、「全てを否定するという気にはなれません」と述べた。それでは結局、「創作」や「作り話」を放置することにならないだろうか。

 それ以上に、人びととのコミュニケーションを、21世紀型にアップデートしてほしい。「私より公」ではなく、「公も、私も」が、SNS時代の皇室のあり方にならなければならない。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史―側室・育児・恋愛』(吉川弘文館)など

「サンデー毎日12月19日号」表紙
「サンデー毎日12月19日号」表紙

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