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自粛警察、歌舞伎町……ルポで描く「複雑で、割り切れない」思い 本屋大賞作家と語る ノンフィクションライター・石戸諭さん/直木賞作家・辻村深月さん〈サンデー毎日〉

『東京ルポルタージュ』
『東京ルポルタージュ』

『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』刊行記念

サンデー毎日「シン・東京 2020/2021」を大幅に加筆した『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)が刊行された。著者でノンフィクションライターの石戸さんが、10月に『闇祓』(KADOKAWA)が刊行された作家、辻村深月さんと対談した。辻村さんは直木賞、本屋大賞などを受賞したエンタメ小説界のトップランナー。ジャンルも作風も違うふたりの作品には共通点がある。それが複雑で、割り切れない社会を描くことだ。今、なぜ描くのか。2人の思いがぶつかり合う。

■『東京ルポルタージュ』は、「闇を祓う」ストーリー

石戸 『闇祓』、とてもいい本でしたね。

辻村 ありがとうございます。

石戸 辻村さんは、やはり人間の心が一番怖いのだと考えているのがよくわかりました。物語に出てくるような、人の弱みにつけこんでくるやつ、自分の嫌な部分を増幅させる人って確かにいますよね……

辻村 その人さえいなかったら、コミュニティがこんなに変わってしまうことはなかったかもしれない、ということは、私たちの日常でも起こりうることですよね。今まで対等な友だち同士だったのに、いつのまにか支配関係になってしまったりすることも。それはある種のハラスメントなのではないか、と思ったところから、自分の一方的な思いを押しつけ、周りを引き込む行為を「闇ハラスメント」、「闇ハラ」と名付けました。

石戸 でも最後に、主人公たちが「闇ハラ」を「祓う」というところは、「正気を取り戻しなさい、自分を取り戻しなさい」ということですよね。その意味では『東京ルポルタージュ』 も、実は「闇を祓う」話なんです。闇というのは、わからないからこそ闇なのであって、光を照らせば、闇ではなくなる。

『東京ルポルタージュ』では劇場やライブハウスも取り上げました。彼らは新型コロナ禍にあって最初期のクラスターを出したというファクトから「悪者」と名指しされた人々です。ですが、彼らには彼らの思いがある。そこで生活している人もいる。

辻村 私もそう感じました。ホラー小説の中で一番怖い状況って、正体がわからないとか、相手の姿が見えないまま、何が起こっているかわからない時なんです。人間は実態がわからない時、ものすごく怖さや不安を感じる。

石戸 『東京ルポルタージュ』でいえば、その典型が歌舞伎町を中心とした夜の街ですね。実態が見えないから、新型コロナ禍の中、あいつらきっと何かやっているんだろうと皆思ってしまう。でも、実際に彼らが取り組んでいたのは、新宿区、新宿保健所と共同でホットラインを作り上げて、自分達の職場を安全に機能させていく取り組みでした。悪者どころかしっかりやっていたのです。

「自粛警察」のユーチューバーも実際の生活は極めて真面目で、衛生意識が高かった。専門家や行政の言うことを守っていたのです。

辻村 歌舞伎町の「夜の街」も「自粛警察」も、みんなおそらくイメージだけでしか捉えていないだろうということが『東京ルポルタージュ』を読むとよくわかります。その人がどういう人で、どんな気持ちでいるかということをイメージ先行で捉えて、その先への理解を止めてしまう。石戸さんがその中のひとりに話を聞いていますけど、話を聞いてみるだけで見えてくることがたくさんあると感じました。

石戸 そうなんですよ。だから、きちんと現場に行って、自分での目で見る作業が改めて大切だったと思っています。「それって単なるイメージだったでしょう」と、きちんと言う作業が必要だったのです。

辻村 それが「闇を祓う」ということなんですね。

『闇祓』
『闇祓』

■現実の社会と切り結ぶ

石戸 辻村さんの最近の作品を読んでいると、複雑な現実の社会を描こうという意識をすごく感じます。

『朝が来る』(文藝春秋)の特別養子縁組はそのひとつですよね。きちんと社会と関わろうという意識があって、すごいなと。『闇祓』もジャンルはホラーだけど、ハラスメントは実際に起こっていることだし、『琥珀の夏』(文藝春秋)は、カルト宗教がテーマでしたよね。カルトにはまっていく人たちの心理がよくわかる。

辻村 ありがとうございます。多くの人は信仰やカルトに対して自分の持つイメージのまま、「きっとこうなはず」と相手を善と悪に分類したり、白黒はっきりさせてわかりやすく理解してしまいたいものだと思うんです。でも、現実はそんな簡単に割り切れるものでない気がして。

 いいと思っているものにも悪い面はあるし、悪いことに見えるけれど、やっている人には善の心もあったりする。否定や肯定という枠を越えて、複雑なことを、できるだけそのままの状態で書けるのが小説のよさだと思っています。

石戸 『東京ルポルタージュ』は、「サンデー毎日」の連載が元になっているんですが、最初は全く方向性の違う企画だったんです。オリンピックが始まる前の東京の街を歩いてみる、というような。

 でもパンデミックがあり、オリンピックも延期になり、その意味が全く違うものになっていきました。それでも歩き続けることで、この時代の空気をパッケージできたという気はしています。現場を歩くこと、人に会うことはリアリティを獲得することでもあります。あるときは『鬼滅の刃』だけが救いになった風俗で働く若者に会い、訪問診療で新型コロナ患者を診察したドクターの現場に行き、自粛要請に従ったバーや飲食店を訪ね、そして特別な舞台になってしまった日本武道館のライブに行く……。彼らのリアルな人生の一部を丁寧に描こうと思いました。もうこんなことやろうと思っても二度とできないですよね。

辻村 「疫病とオリンピックの街」という副題がついていますけど、その中でさまざまな立場の人たちがどういう気持ちで自分の生業をしてきたのか、2020年が疫病とオリンピックの年になって、これからどうするのか。そこに石戸さんが視点を据えたことで、結果的にその人たちが自分のこれまでとこれからを言語化できたのだと感じました。そこが、この年に取材したからこそ見えてきた部分だし、現代を切り取った作品になっている所以ですね。

 今の時代、「共感」がマニュアル化していっている気がするんです。内心に自分の思いがあったとしても、形だけ共感し続けることで相手を傷つけることを回避できる。でも、それって、結局蓋をしてしまうことと同じかも、と最近感じるんです。

 石戸さんは、そこをさらに一歩進めて個別のことに目線を合わせ、徹底的に取材する。そして一つの強いドラマを作る。そうすれば、読者はたくさんある中の一つの話を読んだことによって、それ以外の部分にも想像力が働くようになる。そこを起点として他者に理解を広げていくことができる。石戸さんが『ニュースの未来』(光文社)で、「ニュースにはドラマが必要だ」と書いていますけど、きっとそういうことだと思うんですよね。

石戸 『闇祓』を読んで感じたのは、新型コロナウイルスも「闇ハラ」と同じだということです。人間の病んだ部分、自分でも嫌だと思っているところが、現実でも比喩的な意味でも感染していったように思えます。

辻村深月さん
辻村深月さん

辻村 そうですね。ただ、ホラー作品を愛してきた身としては、やっぱり「一番怖いのって人間だよね」と簡単に言ってしまうのも抵抗があって。

 じゃあ『闇祓』でやりたかったことっていったい何なんだろうと考えると、異物が一つ入り込んだことによって、人が内在的に持っていた心の嫌な部分が出てきてしまうっていうことなんです。確かにこれはコロナと似ているかもしれない。

『闇祓』はコロナ禍が始まる前から書いていたんですが、全部書き終わってみたら今の状況を反映したような話になっていたんです。コロナが入ってきたことによって可視化されてしまったり、人がそれによって変貌していったり、ということがたくさんあって。私が書きたかったホラーでも、人々の生活に恐怖がもたらされて、そのことによってかえって浮かび上がる人の営みってあるなあと感じました。

石戸 それだけで終わらせないっていうところもまた大切ですよね。『闇祓』も最後には闇が祓われるんだけど、終わらない。その過程は重要だなと思いました。『東京ルポルタージュ』では、できる限り取材で浮かび上がったストーリーをできるだけ否定せずに、肯定的に書こうと思ったんです。

■自分を消さない描き方

辻村 石戸さんに聞いてみたかったのは、ノンフィクションを書く上で、書き手自身の主観については、どう思っているのかなということです。石戸さんは、自分を持ちながら文章の中で消すのが抜群にうまい。

石戸 僕の場合はすごくシンプルです。自分の役回りっていうのは、小説でいう狂言回しなんです。今回は31編の現場で生まれたショートストーリーの積み重ねなので、共通の登場人物が出ることによって、小説でいう連作短編のような雰囲気が出るかなと考えました。僕が何を考え、どういう立場かということは、読めばわかるというくらいにしています。

辻村 だから、完全に自分を消さない。

石戸 新聞記者は、自分を消したがるんですよ。新聞記事は「私」を消す極地みたいなものですね。僕はその良さと味気なさの両方を感じてきました。

 主観100パーセントも一度はいいけど、二度三度と続けられない。三人称で客観的な書き方もできなくはないけれど、それは限定したテーマが必要です。今回のような作品で3人称を選ぶと、どこか取材対象を突き放したような感じになってしまい、取材対象と距離が離れてしまう。今回取材先を選ぶところから僕が勝手にやっています。彼らを選んだのは、僕が話を聞きたかったからというだけです。だから「私」を残しています。随所に少しだけ「私」を入れておくと、読者はそれを起点に自分の意見を考えやすくなるかもとも考えました。本を読みながら、内なる自分と会話しやすい感じにすることはけっこう大切にしてますね。

■コロナ、オリンピック 「大きすぎる物語」を抱えた東京の中で

辻村 石戸さんの取材は、相手の懐に入っていく力が絶妙で、すごいなと思っています。私も一度取材をしてもらいましたが、そこからですよね、こうやってお話をするようになったのは。私もいろいろな人に会うけれど、連絡先を交換して、そこからさらに話すということに対してけっこう殻が厚いから。

石戸 いや僕もけっこう殻は厚いほうですよ。辻村さんには一度取材した後に、一年くらい間が空いて、偶然、展示会で会ったんですよね。

辻村 そうそう。書いてもらった記事が素晴らしくて、すごくうれしかったから、もう一度ちゃんとお話したいなと思っていた時でした。

石戸 こちらこそです。何かこう、物が言いにくくなっている時代に、きちんと言葉にして、お仕事を続けていること尊敬しています。やっぱり作品を読んでいて、はげまされることが多いです。

辻村 ありがとうございます。私のほうは小説だから、必ずしも現実を活写する必要はないし、取材相手がいるわけでもないから、書けることってけっこうあるんです。でも、石戸さんは現実に即したことをきちんと見ないといけないお仕事ですよね。

石戸諭さん
石戸諭さん

石戸 今は世の中がすごく複雑になっていて、ある立場の人から見た「世界」がいっぱいあるんですよ。そういうものに対して想像力を持ちましょうと言っても、たぶん持ちにくいだろうなと思う。

辻村 そうですね。「コロナ」っていう私たちには大きすぎる状況の中で、日常が少しずつ制限されていって。でもあの人の大変さに比べれば自分はそこまで経済的な打撃を受けたわけじゃないし、とか、本来は個人のもつそれぞれの切実さがあったはずなのに、それを皆が無意識に押し殺そうとしていた気がするんです。

『東京ルポルタージュ』は、社会情勢とかオリンピック、その大きすぎる物語を抱えた東京の中で、個人の声や思いがどこにあったのかっていうことを丁寧に追っていく仕事だと思います。

石戸 僕もそうだと思います。新型コロナ禍、そして戦後2度目のオリンピックを迎える東京を描くというルポルタージュであまり大きな話をやると、ぼんやりしたものになってしまう気がしたんですね。それは自分たちが生活していた東京と離れている、と読み手が思うのではないかと。それよりは、自分たちのリアルな東京というのは何だろうと考えました。

 結果としてできたのがこの本です。新橋で靴磨きをしながら、明日を夢見ている無名の若者も、佐野元春さんのような日本ロック界の宝物のようなミュージシャンも同じ東京で暮らしている。それこそがリアルではないかと思って、フラットに一冊にしてみたんです。個人に落とし込まれた小さい話を31本並べることで、自分にひきつけて、あの時の東京ってこういう雰囲気だったよね、確かに自分たちがそんな空気の中で生きてたよね、と思えるのではないかと考えたのです。

辻村 そうそう、それで私もはげまされたんです。やっぱり小説も、社会性の強いものに文学性が宿るとか、スケールの大きい話をかけたら一人前みたいな圧を感じることはあるので。でも、私はある種、近視眼的なコミュニティの話や、ひとりの人生を追っていきたい。

 もちろん、そこに対するコンプレックスみたいなものもすごくあるんです。でも、一つの強いドラマを描くと、その向こうにちゃんと社会が見えるし、そこに人間の心や現代性はきちんと宿る。今は小さい話にも、ちゃんと価値があると胸を張って言えます。そんな距離の取り方、描き方が、小説とノンフィクションで近いと思ってもらえたらうれしいです。

石戸 こちらこそ、うれしいです。 

辻村 そういえば『東京ルポルタージュ』の少し前に出た『視えない線を歩く』(講談社)の装丁は坂野公一さんですよね。私も坂野さんには自分の本を多くお願いしてきたのですが、すごくいい装丁。あの本も、震災をずっと取材されてきた石戸さんのお仕事のひとつの集大成だと思って読みました。

石戸 あの本の装丁もとてもいい感じにしてもらいました。 きょうはお忙しいところ、ありがとうございました。

辻村 こちらこそ、ありがとうございました。

《著者紹介》

石戸諭(いしど・さとる)

1984年、東京都生まれ。2020年「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。21年「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)などがある。

辻村深月(つじむらみづき)

1980年、山梨県生まれ。2004年『冷たい校舎の時は止まる』(講談社)でメフィスト賞を受賞しデビュー。11年『ツナグ』(新潮社)で吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』(文藝春秋)で直木三十五賞、18年『かがみの孤城』(ポプラ社)で本屋大賞を受賞。そのほかに『東京會舘とわたし』(文春文庫)など著書多数。

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